第3話 エセルと喋る魔道具たち
メイドのエセル――エセル・エヴァット男爵令嬢は、二つの意味で世間に名が知られている。
ひとつめは、金遣いの荒い実家から追い出された可哀想な令嬢として。
ふたつめは、何でも綺麗にしてしまう凄腕メイドとして。
エセルは、男爵家の令嬢でありながら殆ど平民と同じ生活を送っていた。
元々土地持ちでないエヴァット男爵家の収入は、父親の王宮勤めの給料だけだった。騙されやすい父親があちこちに金を貸したせいで、貴族の体面を辛うじて保っているという具合だったが、最後に引っかかった特大の詐欺が、金遣いの荒い未亡人との再婚だ。
その女は――エセルにとっては、死んだ母だけが母だ――貞淑で慎ましい女のふりをして父親と結婚してしまうと、本性を現して収入に見合わない贅沢を始めた。……といっても、あちらもエヴァット家の資産を見誤っていたようだが。
ともかくエセルが義務教育を終えた頃、母が貯めてくれていた学資金がきれいさっぱりなくなっていることを知った。
「このままでも、来年には復学できそうなんだけどな……」
翌日の昼。
エセルは自室で、ノートに連なる数字を睨みながらぼやく。
いい
けれど大学生になり生活費や教科書代にバイトを増やせば、成績は転げ落ち、単位も奨学金も落として、遂に休学してしまったのだ。学生寮も当然のように追い出され――そうして、もう丸二年、メイドとして暮らしている。
エセルの専攻は、日常に役立つ魔法と魔道具。それに一応貴族の身分ではある。だから(体面さえ気にしなければ)貴族のお屋敷の掃除と、ちょっとした魔道具の修理もする便利なハウスメイドとして渡り歩き……辿り着いたのが、今のメイウェザー伯爵邸だ。
子孫も親戚もない高齢の伯爵は、家事がからっきしで、ため込み屋。いわゆるゴミ屋敷の住人だった。使用人が最低限の掃除をしていたが、先祖代々の美術品、魔道具含めたガラクタや自身がため込んだ書籍に書類、趣味の道具に埋もれて暮らしていた。
そんな彼が思いきってメイド令嬢として知られるエセルを雇った理由は、ひとえに年齢である。「終活」を意識して、すっきりして余生を過ごしたい、というのだ。
「紹介してくれた奥様が『終活だからお給料もいいのよ』って仰ってたけど……魔道具は別途手当が出るんだよね」
モノで埋まった屋敷から、明らかなゴミを捨てるのに一週間。各部屋の、窓への獣道を作るのに更に一週間。各部屋の床を出すのに更にひと月。
ここに来てしばらくは、多くの部屋がモノで埋め尽くされて文字通り足の踏み場もなかったのだ。朝の光にキラキラと舞う細かい埃と、通路と窓を一直線に繋ぐガラクタの獣道を開拓してここまで来たのだと思うと少し感慨深い。
しかし、屋敷の執事、メイドと協力しつつ奮闘して、各部屋を「散らかってるけど許容範囲」な部屋にして、さて貴重品に取りかかるか――といったところで、まさか、ガラクタ抵抗してくるなんて。
「あれが貰えたら、当分バイトしなくて済むんだけど」
「……うちらを売るってのは考えてないのー?」
腕を組んで頭を捻ると、目の前に飾ってある一枚の油絵から声がした。いつかの先祖の親戚の少女の絵だ。教師にピアノを指導されており、心なしかふくれっ面をしている。
本人? によると、ご先祖様はどうやら寂しさに耐えかねて、疑似会話の魔法をかけたらしい。
メイウェザーは代々魔法が得意な家系だったようで、今の伯爵も魔法絡みの法律に関わる仕事をしていた。
「昔の魔法は今ほど体系化されてなかったから。動作保証されてないし、安全基準も厳しくなったの。最近は疑似会話に特化した魔法を、ぬいぐるみや人形にかけた方が売れるのよ」
「研究所でいじくりまわされたあげく、暗くて冷たい倉庫に閉じ込められるなんて、嫌なんですけどー。どうせなら、どっかのイケてるお屋敷を紹介してくれない?」
額縁をガタガタ鳴らしそうな勢いで入った抗議に、エセルは肩をすくめただけで聞き流すと、続いて扉が激しく叩かれる。
エセルが眉をひそめて立ち上がり扉を開ければ、目の前に物騒な槍を持った金属鎧が立っていた。
「おい、ここのところ、物置部屋の掃除を怠けてるんじゃないか」
「あの石像の相手で手一杯だったのよ。それに大人しく掃除されてくれないじゃない」
銀の面当ての上にほんの少し積もった埃。出会った時には気にしなかったくせに、一度磨かれたら癖になったらしい。
「掃除はな、綺麗にするためじゃない。そもそも汚れないためにするんだろう?」
「ああもう、何でここの魔道具はどれもこれもおしゃべりなのかしら」
仕方なく雑巾を手にしてエセルがごしごし拭いてあげると、予想通りにすぐさま身をよじり始める。
「あっ、もっと丁寧にしろ! くすぐったい!」
「早く終わらせたいなら、大人しくしなさい……!」
一人と一体がもみ合っていると、突如鎧の右腕が動き、槍の石突きが無造作に振り上げられ――どん、と頭の横に突き立てられた。
エセルは慌てて槍を退けると、漆喰の壁に手を滑らせてへこみがないことを確認する。修理で給与が引かれたら困るのだ。
「危なっ……掃除を頼みに来るなら槍は置いてきなさい、というより動けるなら自分で拭けるでしょう。こんなことだから粗大ゴミ扱いにされるんじゃない」
エセルが抗議すると、鎧は槍ドンしていたそれをおずおずと引っ込めた。
「……悪い。俺たちも久しぶりに、人間に構ってもらってついはしゃいじまったんだ」
「魔道具はね、普通は勝手に動かないものなの。掛けられた魔法が暴走しない限りね。それに自由に喋らない。そんなだから伯爵も困ってたんでしょう」
正確には、代々の伯爵家が困り果てていたのは魔道具だけでなく屋敷丸ごと、である。
この屋敷は例の石像のモデルであった魔法使いレオナルドが建てたもので、彼の魔法があちこちにかかっているという。
多くは害のないものだが、現伯爵もその全てを把握しきれていない。
「私だって本当は、せっかくの話せる魔道具を破壊したり、無理矢理封印したくはない……分解は、ちょっと興味あるけど」
今までエセルは、暴走する“自動給湯”ティーポットや“空飛ぶ”椅子を、修理したり、時には破壊するなり封印するなりして処分してきた。
まれに、自律して本当に意思疎通できる魔道具もあると聞くが、それらは古く強い魔法による超高級品だ。決して伯爵邸で埃を被っているようなものではない。
「うわヤバ、そんなこと考えてたのー?」
「ほんの少しだけよ。だって依頼主は伯爵で、依頼は片付けなんだから」
「エセルは約束してたよね、『伯爵がいつお亡くなりになっても掃除は完璧にこなしてみせます』って」
「ええ。仕事で遺体を発見した経験ならもうあるし、伯爵はいい人でしょう」
エセルは返事をして、それが例の石像の声だと気付き、ぎょっとする。槍ドンしていた鎧の横辺りだ。鎧が「俺じゃない」というように首を振る。
「ああこれは、声を風の精霊にお願いして届けてもらって――じゃなくて、君にお客さんだよ、エセル。先に教えておこうと思って」
「お客さん……?」
エセルは首を傾げつつ廊下の窓から身を乗り出す。二階の窓、まだもさもさと生い茂った庭木の向こうの鉄扉に、辻馬車で乗り付けたドレス女性の姿が見えた。
「あれは……あの女……」
しばらく見ていなかったが、ピンク色の花をたくさん飾った少女趣味な帽子は間違いない。どうやって勤め先を知ったのか――前の勤め先の屋敷の夫人も悪い人ではなかったが、少々おしゃべりな友人か使用人でもいたのだろう。
窓から身を離して考え込んでいると、程なくして廊下の奥から執事が現れた。
「エセルさんにお客様ですよ」
「……それは、母でしょうか」
「ええ。バセット男爵夫人です。どうやら相続に関わる大事な話だそうで、応接間にお通ししております。どうされますか」
伯爵には実家の事情は話してある。会いたくない、といえば追い返してくれるだろうが、あの女がしつこいことは身をもって知っている。
「相続か……簡単に追い返すにはちょっと厄介だね」
宙から石像の声がした。執事がびくっと、ほんの一瞬肩を震わせた。
「……この声は?」
「玄関ホールのあのレオナルド様の像の声です」
「……そうですか」
エセルは彼をプロだなと感心しつつも、何度も訪ねてくるたびに、高齢のこの執事に応対させるのは――いらぬ心労をかけるのは忍びないと思う。
「分かりました、会いに行って断ってきます」
「何も聞いていないうちにですか……?」
「ろくな提案でないことは分かってますので。対応はまた別途考えます」
エセルは掃除用の白いキャップとエプロンを外してから、足早に応接間に向かう。
そして無人になったエセルの部屋に鎧が入り、壁の絵画を抱えて出てくると、その後を追った。
執事は再び一瞬だけ目を丸くしたものの、丁寧に部屋のドアノブを閉め――彼もまたお茶を運ぶため、応接間に向かった。
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