第17話 ブートニエールの儀式
会場は、完成したばかりの花の館であった。
本来は室内での予定だったが、リカルドの思いつきで、「庭でやろう。その方が、百花王らしいだろう?」ということになり、誰も反対しなかったので、庭師たちが丹精した場所に急遽決まった。メインになるのは、一本だけ植えられた、桜の木である。
百花王即位の儀には、執り行う聖職者がひとりと、これまで家族としてともにあった王族、そしてこれからリカルドの伴侶となるアズマだけが参加する。半年前の成人の儀の騒がしいパーティとは大違いで、自然と背筋が伸びた。
リカルドは聖職者の前に跪く。目を閉じ、胸に手を当て。聖句とともに授けられたのは、ドライフラワーでできた冠である。
何も知らない人間は、なんとみすぼらしいものを掲げているのか、と幻滅しそうである。けれど、アズマはこの後に起こることを知っているから、固唾を飲んで見守った。書物の中に出てきた記述が正しければ、もうすぐだ。
「あっ」
と声を出したのが、自分かと思って口を覆った。だが、実際には驚きの声を発したのは、兄王太子の幼子であった。父と母の隣に立ち、リカルドの方を指さしている。
「お花!」
――ああ。花の女神に認められた。彼は正式に百花王――リカルド・ローゼスとして立つ。
色褪せた花が、元の色彩とみずみずしさを取り戻す。どういう仕組みなのか、調べている学者は何人もいるらしいが、結局答えは出ていない。百花王だから、としか言いようがないのだ。
祝福が終わると、リカルドは立ち上がった。急に成長したわけでもないのに、大きく、逞しく見えてアズマの目には涙が滲む。ハンカチーフをそっと差し出してくれたのは、王妃殿下であった。断るのも失礼で、会釈して受け取り、目元を押さえる。
まさかこの目で、百花王即位の奇跡を目にすることができるなんて、想像していなかった。それもこれも、リカルドが自分などに執着し、対の花にしようと頑張った結果であった。だまし討ちではあったにせよ、アズマは自分の変化を肯定的に受け入れている。
親族たちの前で頭を下げたリカルドは、アズマに向けて手を伸ばした。
「アズマ。私の愛おしい、美しく強い、夜桜のブーケ」
黒髪に桜の花が踊り散る。わぁ、と子どもが声を上げた。
この髪のおかげで、散々な目に遭ったこともある。けれどその度、リカルドの言葉を思い出して、耐えてきた。
『アズマの黒い髪には、金や銀の星が似合う』
今はそこに、白い桜も映えるようになった。
アズマは彼の手を取った。
「ええ。百花王陛下。私の愛する小鳥」
小鳥なんて可愛らしいものではない。どちらかというと、小動物を狙う猛禽の類だ。だが、そういう決まりになっているのだから、仕方がない。
ぎゅっと指先を握られ、引き寄せられる。
「愛している、アズマ。私のものになってくれ」
その言葉を、心から信じ、受け入れるとき。花生みの身体には、変化が訪れる。
「あ……」
恍惚とした溜息が、アズマの口から漏れる。桜しか咲かない身体、その首の後ろ側から、するすると茨の蔓がリカルドに向かって伸びていく。自らの意志というよりも、本能に近い形で、特別な花は人生に一度きり、現れる。
薔薇の棘は硬く、鋭い。当然、刺されば痛いし血も出る。けれど、傷つくことを厭わずに、リカルドの指が取り除いていく。プチプチともぎ取られるアズマの側に、痛みはない。少しのくすぐったさに耐え、彼の成すことを見守っている。
「これで、最後」
首に最も近い場所に飛び出していた棘が、プチンともぎ取られた。
その瞬間、薔薇の花が一斉に開花する。もともとの桜と同じ色をした、八重の薔薇だ。縁だけが、リカルドの目と同じ青に染まっている、自然には存在しえない植物である。
私とあなただけの、薔薇。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ。旦那様」
「ああ……」
彼は蔓に直接唇を寄せ、花を噛んだ。アズマは歓喜に涙を流す。
ブートニエールは、成った。
身も心も、初恋の君と結ばれることになった己が身の幸福を、少々の恐怖とともに、アズマは享受するのであった。
花の館に、ふたりで入った。
「あ、ちょ、リカルド様!」
ようやく結ばれたことに浮かれ切ったリカルドは、今日はまだ使用人が誰もいないのをいいことに、ドアを閉めた瞬間、口づけてくる。
ブートニエールの儀式で出現する蔓薔薇は、桜を生み出すときよりも、体力や気力を消耗する。疲弊したアズマの肉体は、愛しい花食みの体液を求める。初夜のお膳立てをされているようで気恥ずかしいが、自分から舌を差し入れ、もっともっととねだってしまう。
「は、ァ……」
「まだ足りないだろう?」
常ならば十分だが、今日は違う。小さく頷くアズマは、まずは身体を清めさせてほしいと懇願し、リカルドは頷いた。一緒に入ろうと誘われたが、遠慮した。これから長い時間をともにするのだ。何度だって機会はあると、拗ねる彼の目元に口づけると、リカルドの機嫌はわかりやすく浮上した。
「だが、あまり待ってはいられないからな」
「ええ、わかっています。きれいにしてくるだけです」
暗に、「自分で慣らそうとするなよ」と言われ、頷いた。時間がかかりすぎるようならば突入するからな、と言われ、手早く済ませた。
ネグリジェを纏い、アズマは寝室へと向かう。長い髪を乾かすこともせず、雫が廊下に滴り落ちていく。少し悩んで、ノックなしで扉を開けた。ここはもう、彼だけの私室ではない。自分と彼の愛の巣、庭園である。
ベッドの上にゆったりと寝そべっていた彼のもとへ、しずしずと歩み寄る。一挙手一投足をじっと見つめられて、なんだか気恥ずかしい。ベッドの端についた手を、すぐに引かれた。バランスを崩し、どさりとマットレスの上に倒れ込む。
「殿下!」
「俺はもう、殿下じゃないぞ」
「じゃあ、猊下とお呼びしましょうか?」
百花王は常春の花の象徴だ。もしもアズマが剪定師としてそのまま仕えていたのなら、明日の出仕からは、彼のことをそう呼んでいただろう。殿下よりも、ずっと遠い呼称だ。よくもまあ、耐えることができると考えたものだ。自分のことを過信していた。
嫌そうな顔をして、リカルドはアズマの鼻を摘まんだ。子どもっぽいやり口に、クスクスとアズマは笑う。
「こんなことがしたいわけではないでしょう?」
するり、アズマは彼の手を取る。大きな手のひらを、緩い袷の中へと差し入れた。
「どうぞ、あなたのお好きなように。私を咲かせてくださいませ」
言った傍から、ぽん、とひとつ桜が生まれた。リカルドへの恋情が、花となる。それを摘み取り食べて、彼は桜の味をアズマにも味わわせるように、唇を合わせた。
ほのかに甘い、桜。きっと彼が感じている味とは違う。アズマが一番おいしいと思うのは、リカルドの体液であったから。口づけは手軽な愛情の発露であり、花生みへの水やり方法である。
だが、今の自分にはキスだけでは不足だ。もっと体の奥、種となる部分に直接注ぎ込んでもらわなければ、蔓薔薇の分は回復しない。
「さわって……抱いて、ください」
「もちろん。アズマの内側も外側も、全部愛してやる」
だからきれいで美味しい桜を、もっと咲かせて?
覆いかぶさってくるリカルドの肉体を受け止め、アズマはこれから訪れる快楽の予感に身を震わせ、目を閉じた。
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