8プール開きは 監視員 その1
佐野明良
プール開きは稼ぎ時。
俺は夏になると屋外にある市民プールの監視員、短期バイトを始める。
子ども用エリアは深くても俺のへそあたりまで。
三十分ごとに高い監視椅子、滑り台ゾーン、浅瀬の見張り、休憩と回る感じだ。
高校生の割に時給が高く、監視はきちんとやらないとだが、大変なことはない。
父さんの紹介だったが、大当たりのバイトだ。
午前中、開園直後は高い監視椅子。
偏光サングラス越しに、辺りを見渡す。
走っている子供がいたらメガホンを使い「危ないですよー」と注意するだけ。
なにも難しいことじゃない。
視界の端、日陰のベンチでつばが広の帽子と薄手のパーカー。ラッシュガードの裾がちらっと見える、ひときわ姿勢が奇麗な女性。金色の髪を後ろで縛り、色白の姿はモデルのように見えるが。
それが椿姫だと気づくのに三秒。
なんで椿姫が? と、その理由に気付いたのにもう三秒。
「つばきお姉ちゃんはやくー!」
「さきいっちゃうからねー!」
甲高い声。あれは椿姫の従妹、ミカちゃんとミクちゃんだ。
まだ椿姫と仲が良かったころ、一緒に遊んだ事がある。
一卵性の双子らしく、正直、そっくり過ぎて俺には見分けがつかない。
椿姫はベンチで荷物をまとめてから、彼女達の間に挟まり手をつないでプールへ進む。そのまま一緒に入るかと思いきや、ミカちゃんミクちゃんが泳ぎ始めると、プールの縁に腰を下ろした。
足だけを見ずに入れて、ボーっと彼女達を監視している。
俺の記憶では、椿姫は子供が得意じゃない。
苦手と言うよりかは、接した方がわかない、と言った方が近いかも知れない。子供相手に敬語を使ったり、変に気を遣い過ぎたりしてしまう。優し過ぎるが故の不得意と言ったところか。
恐らく親の命令で付き添いに来たんだろう。
首にかけていたストップウォッチが震える。移動の合図だ。
俺はプールの中に設置された滑り台ゾーンに移動する。
二個の滑り台は下が水に浸かっており、滑ると水しぶきが上がる。
当然、多少の危険があるため、それを監視する役割だ。
たまに二人で滑ったり、逆走したりする子を注意するだけで、出番は少ないが。
「「あっ! あきらお兄ちゃんだ!」」
滑り台ゾーンに立っていると、ミカミクが近付いてきた。
どうやら俺の事を覚えてくれてたようだ。
「久しぶりだな。元気してたか?」
「うん! お兄ちゃんは」
「元気してた?」
「おう。今日も元気に監視員だ。ルールを守って遊べよ」
「うん!」
「つばきお姉ちゃん! あきらお兄ちゃんがいるよー!」
ミクが縁に座ってこちらを見ていた椿姫に声を掛ける。
彼女は暫く悩むように水面を蹴っていたが、騒ぎ続ける子供たちに負けたのか、こちらにゆっくりと近付いてきた。
近くで見ると、薄手のパーカーも、あまり身体を隠す役に立っていないようだ。
布は軽く、濡れているせいで身体に張り付き、がそのまま形になっている。
前面のファスナーが閉められている事を確認し直して、それでも椿姫は俺の前に立つと、恥ずかしそうに視線を逸らして頬を朱色に染める。
「なに?」
「あっ、いや。なんでもないけど。ミカミクの付き添いか?」
「ええ。お母さんに頼まれたから。それで」
短いやり取り。
その後、どう会話を続けたらいいんだ? と考える前に手を引かれる。
「あきらお兄ちゃん! ミカもあれやりたい!」
指をさす先を見ると、父親が子供を持ち上げて、遠くに放り投げている。
放り投げるといっても、危険が無いように、緩めに落としている感じだが。
「あー……。でも、俺バイト中だしな」
「ええー!」
「じゃあつばきお姉ちゃん、やってー!」
椿姫は困ったように先ほどの親子を見た後、。パーカーの袖口をぎゅっとつまんでから、小さくうなずいた。
「軽くね。あまり強くは投げないからね」
言いながら、椿姫はミカの脇にそっと手を入れて、胸の前で抱え上げる体勢に。
姿勢は丁寧。だが、足元のタイルがぬめっていたようだ。
持ち上げている途中で、重心が後ろに逃げるのが見える。
そのまま水面へ尻もち、ばしゃん、と水しぶきをしぶきが上がる。
抱え上げられていたミクは椿姫のお腹に乗ってかり無事だったようだ。
代わりに、椿姫が綺麗にびしょ濡れになった。
「これもたのしい! これちがう!」
「さきにたかいたかい! そのあとぽちゃんだよ!」
ミカミクの笑い声が響く。
椿姫は、帽子のツバで表情は見えないが、首から耳まで赤くなっている。
ぷかぷかと水中に身を任せ浮かんでいる様子は楽し気だけど。
「大丈夫か?」
「……ええ。問題ないわ」
手を差し出す。
椿姫は一瞬ためらって、帽子を深く被り直してから俺の手を取った。
濡れた掌は少し滑って、だから逆に指がしっかり絡む。
引き起こした勢いで、椿姫の身体と微かにぶつかりそうになった。
肩を掴んでしっかりと立たせ、衝突をギリギリで止めた。
「ありがとう……。あと、手。もう、大丈夫だから」
ぼそっと囁かれたお礼に、俺は問題ないと手を放す。
「あきらお兄ちゃんやってよ!」
「そうだよ! つばきお姉ちゃんじゃ危ないよー!」
騒ぎ始める双子。さてはてどうしたものか。と考える必要はないか。
いま滑り台を使っている子供はいない。
ここでやらなかったらミカミクも悲しむし、何より椿姫が悲しむ気がする。
私が付き添いだから……。なんて。
「よし、じゃあ怪我しないようにしろよ!」
俺は膝を曲げてミカの脇に手を入れる。
そのまま立ち上がり、放り投げることはせず、しっかり脇に手を入れたまま水面にダイブした。激しい水しぶきの後、すぐにミカの笑顔が眼前に迫る。
「楽しい! もう一回! もう一回!」
「ミカちゃんずるい! わたしもやって、あきらお兄ちゃん!」
「おうおう落ち着け。やってやるから」
続けてミクも同じようにやってやると、キャッキャと嬉しそうに騒ぐ。
辺りの監視をしながら何度かそれを繰り返していると、横から視線。
なぜか椿姫がジッとこちらを睨みつけている。
「……なんだ? 秋藤もやって欲しいのか?」
問いに、椿姫の表情が一瞬、パッと明るくなった気がしたが、気のせいだったか。
「そんなわけないでしょ。なんで私が貴方にそんなこと……」
「だ、だよな。悪い」
やって欲しいわけないか。そんなことしたらセクハラにしかならんしな。
「「お兄ちゃんもっとやって!」」
「おうおう待て待て。やってやるから」
騒ぐミカミクに何度もそれをやってやる。
「本当は、やって欲しいけど……」
水しぶきの音にかき消され、椿姫の声は、俺に届かなかった。
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