第19話

 それは定期的に受注する、いつも通りの調査依頼のはずだった。


 世界中に点在する魔物発生地区・ダンジョンの中でも屈指の凶悪さで知られる魔の大森林地帯“ナシワーツ樹海”。

 他に類を見ない天然の魔石が大量に埋蔵されている事が分かっているこの地は、その影響が地表にも強い影響を与えている秘境として王国は勿論の事、周辺国にすら災厄の地としてその名を轟かせる程である。

 そこに棲む魔物達は、高純度の魔石が眠る地下から湧き上がる大量の魔力を常に浴びて育つ。

 更に悪いのが、そんな魔物達が喰って喰われるを日々繰り返している事で、そこに棲息する魔物のレベルが、ほかのダンジョンと比べて絶望的に高いという事である。


 ただし、その弱肉強食のレベルが遥かに高い事が逆に幸いし、モンスターハザードとでも呼ぶべき《大氾濫》が滅多に発生しない点だけは幸いと言えた。

 大量発生した魔物が数千、時に数万の群れとなってダンジョンから外部へと溢れ出す現象大氾濫

 このナシワーツ樹海では、弱い魔物はより強い魔物によってすぐさま討滅されてしまう。そんな環境故に、少なくともこの地において魔物の数が数千数万に達成する事が無い(と言われている)。


 だが、確かに《大氾濫》の危険性はかなり低いのだが、その代わり度々はぐれと呼ばれる魔物が出没するという別のリスクは存在する。

 この《はぐれ》というのは、簡単に言うとダンジョンから外へ迷い出てしまった魔物の事だ。

 詳しい理由は分かっていないのだが、通常、ダンジョンに棲息する魔物はそのダンジョンから外へ出る事は滅多にない。仮に出ても一日二日もすれば、やはりダンジョンへと戻っていくのが常である。

 だが、時にその習性から外れて、ダンジョン外に拠点を移すイレギュラーも時偶出てくる。それが《はぐれ》だ。

 ナシワーツ樹海の場合、その《はぐれ》の発生件数が他のダンジョンに比べて多く、しかもその《はぐれ》の大半は強力な高レベルモンスターである。それこそ、AランクやBランクの認定を受けた者達による討伐隊が編成される規模の戦い、というのも決して珍しくはない。


 だからこそ、ギルドは定期的に『ナシワーツ樹海調査依頼』という依頼を張り出す。

 この調査依頼とは、要するに《はぐれ》を警戒したいわゆる哨戒任務であり、高レベルモンスターが樹海の入り口付近に出現していないかを調べて報告するのが仕事となる。その報告も必ずギルドマスターに直接報告をする事が義務付けられ、受注も最低Cランク以上と制限が設けられている点でも、この依頼の重要性は察せるだろう。


 とは言え、何度かこの依頼をこなしている私――メイ・ブルーフィールにとっては、いつものお仕事だ。

 単身で挑むにはCランクでは些か実力不足が懸念されるナシワーツ樹海での調査だが、私のスキル《気配希薄化》と、防衛・防御に特化した『メズゥー流護剣術』の師範代でもある私自身の腕前を買われてこの依頼を度々引き受けていた。


 さて、そんなわけでお仕事となったわけだけど、今日は、いつもと様子が異なる。

 魔物の数が、異様に少ないのだ。

 いくら比較的魔物の数が少ない外側を中心とした調査とは言え、前に調査に来た時はレベルにして20そこそこの魔物が相当数居たはずなのに、今回に限っては未だにエンカウントがない。

 間違いなく、何かがおかしい。下手したら、森の中心部にいる高レベルモンスターが外側へと流れてきている可能性がある。そうなると、そのモンスターが《はぐれ》と化すリスクもまた高まる。


「もう少し周辺を探ったら、一旦、ギルドに報告すべきかしらね」


 そう呟きつつ、私は最大限警戒しながら樹海の奥へとさらに踏み入れる。


「グァァァァァァァァ!!」


 魔物の咆哮が上がったのは、それから暫くした時だった。

 突如響き渡った魔物の咆哮に、私は樹の陰に身を潜めつつ、注意深く周囲を窺う。

 魔物の声がした方角は意外と近い。

 それと、微かに聞こえたのは――――


 まさか、人の声!?

 なんでこんな森の中に、人が!?


 災厄のダンジョンの一つ“ナシワーツ樹海”には、通常、ギルド発行の許可証がなければ入る事は許されていない。

 その理由は、過去にレベルが低い者が無暗に森に入った結果、森から《はぐれ》を引きずり出すという最悪の事故が起こった為。

 そんなわけで、それ以降はその都度許可証が発行される事となり、現時点でその許可証が発行された事実がないのはギルドが確認済み。

 本来なら、この森には私以外の人間が居るはずがない。

 と言う事は――――


「どっかの馬鹿が、ルール破ったわね!」


 気が付いてしまった以上、そのバカの安否を確認しないわけにはいかない。

 馬鹿がここで魔物に襲われて死んだとしてもそれは単なる自業自得なのだが、仮に魔物に狙われたまま森からそのバカが飛び出してしまうと《はぐれ》が発生してしまう。

 それは防ぎたい所だし、なによりいくら自業自得とは言え、見捨てて見殺しにするのはいくらなんでも寝覚めが悪い。

 私は、魔物の声を頼りに、駆け出した。


 程なくして、私は独りの男性を発見する事となる。

 その人を見た瞬間、私はその人の正気を疑った。

 上下が灰色で統一された衣服に身を包んだその男性は、武器も防具も一切身に着けていなかった。しかも、戦闘によって防具類が破損した結果というようにも見えず、どうみても着の身着のまま森に入ったとしか思えない。

 だとしたら、バカを通り越した狂気の沙汰である。仮にナシワーツ樹海でなくとも、ダンジョンに普段着で入るなど正気ではない。

 ――とはいえ、今は。


「伏せて!」


 駄目だ!

 咄嗟に間に合わないと判断した私は《ウインドブロー》の魔法を使って男性を突き飛ばす。

 次いで、牽制の為の《フレイムランス》を見舞う。魔物との距離が近く、もしかしたら多少の巻き添えは受けたたもしれないが、無許可で侵犯したのはあちらで、つまりは自業自得だ。

「こっちよ。急いで!」

 呆然と佇む男の手を取って、私はその場を逃走した。


 走りながら男の話を聞いて、私はますますこの男の正気を疑わざるを得なくなった。

 なんと、この男が今着ているのは寝間着だという。もはや、理解不能だ。

 その見た目に違わず、戦闘経験などあるはずもなく。

 ここまで来ると、私自身の不運を嘆きたくなる。


 案の定、私達はすぐさま、先ほどの魔物の再襲撃を受けた。

 敵は、よりによってAランク指定の《クレイジータイガー》。最悪である。

 とっさに男を突き飛ばして逃がし、私は両手に短剣を持って構える。

 メズゥー流護剣術『鉄鼠の構え』。これは攻撃を捨て防御に重点を置いたメズゥー流の基本にして奥義たる構えである。その神髄は、とにかく敵の攻撃を受け流し、衝撃を拡散させる事にある。

 その流派の技と、魔法を組み合わせて戦うのが私の戦闘スタイルなのだ。

 問題は、私のスタイルが、とれだけあの化け物クレイジータイガーに通用するか。

 Aランク指定という未知との戦闘の火蓋が切られる。

 爪自体は剣で防ぎ、自ら後方へと飛びずさって相手の衝撃を逃がす。流派の基本的な技を持ってしても、相手の膂力とこちらの防御力に絶望的なまでの開きがあるのは埋め難い。

 私は敢え無く弾き飛ばされる。だが、やられっぱなしでは終わらない!


「逆巻け炎、風纏いて爆ぜよ《フレイムバースト》!」


 私が使える魔法の中でもとっておきの一つ《フレイムバースト》をお見舞いする。


 ――――が。

 奴は、それを咆哮で掻き消すと、追撃で放った《ファイヤーボール》に至っては直撃しても平然とした様子で突っ込んでくる。

 なんとか《ハイスピード》の魔法で移動速度を瞬間的にあげることで凌ぐが、クレイジータイガーの挙動は予測を遥かに超えていた。

 私に攻撃を回避されるや、その一瞬後には追撃となる爪が振りかぶられていた。

 咄嗟に《風の防壁(エアシールド)》を張ろうとしたが間に合わず、その爪は私に振り降ろされた。


 正直、それ以降の記憶は曖昧だ。

 革鎧が引き千切られ、その下の肉も引き裂かれたのはおぼろげに覚えている。

 燃えるような痛みも覚えがある。

 だが、その後のあの男の行動は現実だったのか夢幻だったのか――――。


 貴方、戦えないって言ってたじゃない。なら、早く逃げなさいよ、と思う一方。

 朦朧とする意識の中、それでも必死にあがない戦う男の姿を見た、気がした――――。

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