第30話 変態の洗礼

 ————吹っ飛ばされるように店から飛び出してきたのは白衣を纏った人物であった。

 

 

 白衣の人物はタスクの足元にドドっと倒れ込んだが、どこか怪我でもしたのかすぐに立ち上がれないでいる。

 

「おい、大丈夫か?」

「…………」

 

 見かねたタスクが白衣の人物へ声を掛けたが返事が無く、代わりに店の入り口で腕を組んで仁王立ちしている男が答えた。

 

「放っときゃいい。そいつはただの酔っ払いだ」

「……酔っ払い?」

 

 言われてみれば強烈な酒の香りが鼻を打ち、下戸のタスクは眉を寄せ、ミロワは鼻をつまんで距離を取った。

 

「…………うー……」

 

 その時、うずくまっていた白衣の人物がヨロヨロと蠢きだした。

 

(……女だったのか)

 

 立ち上がった白衣の人物は女性であった。

 

 タスクが気付かなかったのも無理はない。ゆったりとした白衣で身体の線は隠されていた上に、東洋人としては比較的上背のあるタスクよりもさらに長身だったのである。

 

 白衣の女性はウェーブの掛かった紫色の髪を黒いヘアバンドで無造作に後ろへ流した眼鏡姿で、化粧っ気はまるでない。年齢は40前後だろうか、据わった眼でタスクを一瞥した。

 

「……やあ、久しぶりだね……?」

「初対面だ」

 

 冷静にツッコんだタスクはこれ以上酔っ払いの相手をしても無駄と悟り、男へ視線を移した。男は組んでいた腕をほどいて白衣の女性にシッシとばかりに振ってみせる。

 

「ホラ、カネが無いならアンタに飲ます酒はねえよ。店の入り口に突っ立たれてちゃ迷惑だ。さっさとどっかへ行ってくれ」

「……お金ならまた今度……」

「ウチはツケはやってねえんだ! ヨソへ行きな!」

「…………」

 

 この店の店主と思われる男に怒鳴られた白衣の女性はよたよたとした足取りで去って行った。その背を見送りながらミロワがつぶやく。

 

「あのひと、タスクよりもおっきかったね」

「ああ」

「でも、すごいお酒くさかった……」

「そうだな。こんな昼間から————」

「アンタたちもくっちゃべるんならヨソでやってくれねえか?」

 

 店主に割り込まれ、タスクとミロワは顔を見合わせる。

 

「ああ、すまん。ここは食事もできるのか?」

「夜は酒も出すが、昼はランチもやってるぜ」

 

 確かに店の中からは食欲を掻き立てるような良い匂いが漂ってきている。タスクはミロワへ伺うような視線を送った。

 

「おじさん。おじさんのお店のゴハンは美味しい?」

「ああ。自慢じゃねえが、ウチのハンバーグはロワゴールいちだぜ!」

「タスク! このお店にしよっ!」

「二名様、ご案内!」

 

 店主はタスクの返事を聞く前に高らかに声を上げて店に戻って行った。

 

 ミロワに引っ張られる形で店に入ると、こじんまりとした内装で客は一組しかいない。本当に美味い店なのか疑わしくもあるが、ミロワはハンバーグの口になってしまっているようでウキウキとした様子で席に着いた。

 

 

 

「————うわあ、美味しそう……‼︎」

 

 20分ほどで運ばれてきたハンバーグランチにミロワが眼を輝かせる。

 

「悪いな。一人でやってるモンで提供まで時間は掛かるが、味の方は保証するぜ」

「うん、とっても美味しい!」

 

 店主が口を開く前にハンバーグを一口頬張ったミロワが素直な感想を述べると、仏頂面の店主の顔もほころんだ。

 

店主あるじ。一つ尋ねるが、先ほどの白衣を纏った女性にょしょうはもしや医者では?」

「……医者じゃねえよ。ありゃ、学者のセンセイだ」

「学者……」

 

 タスクの質問を受けた店主は再び仏頂面を浮かべて続ける。

 

「ああ。若くして教授に推薦されるほどの天才学者だったらしいが、今となっちゃ酒代も払えねえただの酔っ払いだ」

「何故それほどまでに没落を?」

「詳しくは知らねえが、なんでもとんでもねえ学説をブチ上げて誰にも相手にされなくなったらしい————って、そんなことより冷めちまう前にアンタも食ってくれよ!」

「ああ、では頂く」

 

 

       ◇

 

 

「————へえー、そんな美味えハンバーグだったんかよ?」

「うん! 噛んだら中からジュワッて肉汁あぶらが口の中に広がって、すっごく美味しかったよ!」

「いいなあ。明日、俺も行ってみようかな」

「ジャンには教えてあげない!」

「だから、なんで俺には意地悪すんのよー……」

 

 夜になりホテルの部屋で合流した三人は今日あった出来事を話し合っていた。

 

「……ジャン、お前の方はどうだった?」

 

 ソファーに腰掛けたタスクに尋ねられたジャンは振り返って指を3本立てて見せた。

 

「三人ほどピックアップしてあるぜ。どうよ、俺って仕事のデキる男だろ?」

「ああ。大したものだ」

 

 タスクに褒められたジャンは誇らしげに腰に手を当てる。

 

「へへ。居場所も掴んでるからよ、早速明日行ってみようぜ」

 

 

      ◇ ◇

 

 

「……ミロワ、このおじさん、なんかイヤだ……!」

 

 ミロワは嫌悪に満ちた表情を浮かべてサッとタスクの背に隠れた。

 

「恐れずとも大丈夫。確かに免許はないが私は純粋に医学の道をゆく者。よこしまな気持ちは一切ない。さあ、安心して上着を脱いでベッドへ横になりなさい……!」

 

 脂ぎった左右の髪を強引に頭頂部へ撫で付けた初老の男がキリッとした顔つきで高尚なセリフを言ってのけたが、その眼は純粋どころか薄汚い欲望で濁りに濁っていた。

 

「……ジャン、次を当たろう」

「……そうした方がいいな」

 

 

 

 ————二人目のモグリの医者の家を後にした三人は郊外の路地を進んでいた。

 

「……悪い、二人とも。さっきのオッサンはマジで腕はいいらしいんだが、あんな変態野郎だとは聞いてなかった」

「一人目は開口一番に腑分けさせろときたからな。いくら腕があろうと、まずはミロワの安全が第一だ」

「だよなあ……」

 

 ミロワは立て続けに変態医師の洗礼を受けたせいですっかり怯えて、タスクの背中にぴったりくっついて離れない。

 

「気持ちは分かるが歩きにくいぞ、ミロワ」

「だって……」

 

 今にも泣き出しそうなミロワを元気づけようとジャンが明るく振る舞う。

 

「安心しろって、ミロワちゃん! 次は女の人だからよ!」

「……ホント……?」

「ああ! 正確には医者じゃねえらしいんだけど、なんでも若くして教授に推薦されるくれえの天才学者らしいぜ⁉︎」

「…………」

 

 どこかで聞いたことのあるような経歴にタスクも不安な心持ちになった。

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