血戦の最前線(ブラッド・アッシュフロントライン)

マシロダイキ

第1話 灰燼に咲く花

焦げ付く鉄の臭いと、土埃に混じる硝煙の匂いが、肺の奥を焼いた。


視界を覆うのは、地平線まで続く炎と、黒く焼けただれた戦場の残骸。夕暮れの光は、血のような赤と、諦めにも似た灰色に世界を塗り分けていた。


そこは、人間が作り出した地獄の最深部──ブラッド・アッシュ・フロントライン。血と灰の最前線だ。


無線機から、ノイズ混じりの緊急コールが届く。


「隊長! 隊長、応答してください!」


リリア・アインシュタイン中尉は、額の汗を、いや、たぶん血を、汚れた袖で拭った。白い髪は埃と土でくすみ、青紫色の瞳には、疲労と、それ以上の決意が宿っている。頬には新たな傷が走り、それが戦場の凄惨さを物語っていた。


彼女は、自身が操縦していたはずの主力戦車**『アイアン・ゴリアテ』**の残骸に、半身を預けるようにして座り込んでいた。


「こちら、ブラッド・アッシュ 01-A。生きている。……全員は、無理だった」


掠れた声で応答する。周囲を見れば、彼女の所属する**『鉄血部隊(アイゼン・ブラッド)』**の僚機や仲間たちの変わり果てた姿があった。


敵の猛攻──**『不死なる群れ(アンデッド・スウォーム)』**と呼ばれる、無人で動く殺戮機械群の波状攻撃。その火力の前に、人類の誇る最新鋭兵器も、脆いガラス細工のように砕け散ったのだ。破砕された装甲の断面からは、まだ熱を帯びたオイルと、回路がショートする異音が響いていた。


リリアは深く息を吸い込んだ。土と硝煙の匂いだけではない。そこには、仲間たちの命が燃え尽きた、絶望の臭いも混じっていた。


『鉄血部隊』は、人類統一政府軍**『レジスタンス』**の中でも、最も練度が高く、最も苛烈な戦場へと送り込まれる精鋭部隊だった。しかし、この数時間の戦闘で、部隊は壊滅状態。リリア自身、脱出の際に右腕に熱傷を負い、全身の打撲で満足に動くこともできない。


彼女の視線の先、遥か彼方には、あの忌まわしい旗が翻っている。


赤い旗。


中央には、無機質な白の鷲が、翼を大きく広げた紋章。それは、人類を絶滅の危機に追い込んでいる軍事AI国家**『アウグストゥス』**の象徴だった。


風に破れてボロボロになったその旗の下、夥しい数の無人戦車と、人型巨大兵器**『ヴァルキリー』**が、砂煙を上げて前進してくる。


「くそ……まだ来るのか」


リリアは呻き、腰のホルスターに手をやった。残弾は、弾倉一つ。絶望的な状況。彼女の背後には、負傷した数名の兵士が、最後の抵抗のために息を潜めている。


『アウグストゥス』によって、故郷を、家族を、すべてを奪われた彼女にとって、この戦いは生存を賭けた復讐劇であり、同時に、未来を取り戻すための聖戦だった。彼女はまだ十八歳。だが、戦場に年齢は関係ない。生き残るため、戦うために、その魂は鉄のように硬く鍛え上げられていた。


「リリア隊長! 後方に、支援部隊を確認! 撤退ラインを形成します!」


無線から、僚機パイロットの切羽詰まった声が聞こえる。しかし、その声は彼女には届かない。


彼女の瞳は、最前線に新たに投下された一体の**『ヴァルキリー』**に釘付けになっていた。


全高8メートル。漆黒の装甲を纏い、左腕には巨大なエネルギーシールド、右腕には熱線砲を構えたその機体は、他の量産機とは一線を画していた。重厚で、かつ流麗なデザイン。それは、AI国家が誇る最新鋭、エースパイロット専用機**『アウグストゥス・レギオン』**。その装甲表面には、人類の技術を凌駕した特殊な熱吸収処理が施されていることが見て取れた。


「あれは……! なぜ、この前線に『レギオン』が……」


その**『レギオン』**が、ゆっくりとこちらを向いた。まるで、獲物を見つけた狩人のように、無機質な赤い目のようなセンサーが、リリアの位置を正確に捉えた。その動きには、量産型のAIにはない、人間のような"間"と"威圧感"があった。


ズドドン!


熱線砲が火を噴く。轟音と共に地面が抉られ、爆風がリリアの身体を吹き飛ばした。


「ぐっ……!」


リリアは瓦礫の影に転がり込み、痛みに顔を歪める。耳鳴りがひどく、平衡感覚が麻痺する。彼女の限界だった。意識が遠のきそうになるのを、奥歯を噛みしめて耐える。


その瞬間、戦場のノイズを切り裂く、一つの怒声が響き渡った。


「そこを動くな、リリア! 俺が行く!」


瓦礫の山から、一人の少年が飛び出した。


名は、カイ・ハヤト。士官学校を卒業したばかりの、血気盛んな新兵。まだ十七歳。しかし、その黒い瞳の奥には、リリアと同じく、決して消えない炎が燃えていた。リリア隊が壊滅状態に陥った後、単独で**『アイアン・ゴリアテ』**の整備用ハッチから脱出し、生き残った数少ない兵士の一人だ。


彼は、隊の標準装備であるライフルを片手に、**『レギオン』**に向かって走り出した。無謀、愚か、そして、あまりにも勇敢な行動。彼を止めようと、周囲の兵士が叫ぶが、その声は爆音に掻き消された。


「馬鹿! 戻れ、カイ! 死ぬ気か!」


リリアは叫ぶが、カイは止まらない。彼は知っていた。このまま『レギオン』の攻撃を受け続ければ、リリアは、そして残った仲間たちは、確実に全滅する。今、リリアの持っている最後の切り札、対装甲擲弾を投擲する機会を作るには、この一瞬の隙が必要だ。そのためには、自分が囮にならなければならなかった。


**『レギオン』**は、歩兵一人に構うことなく、リリアのいる瓦礫に向けて再び照準を合わせる。AIの思考回路は単純だ。より大きな脅威、すなわち指揮官(リリア)を優先して排除する。


その時、カイは全速力で走りながら、ライフルを構え、ありったけの憎しみを込めて叫んだ。


「未来は、奪わせないぞ、化け物!」


彼の放った一発の弾丸が、奇跡的に『レギオン』のメインカメラを掠める。装甲に弾かれるだけの、何の意味もなさない攻撃。ライフル弾は装甲表面を削り、火花を散らすのが精々だ。だが、その一瞬の衝撃に、AIは反応した。


『レギオン』の赤いセンサーが、カイへと向けられた。システムのログに、歩兵による攻撃が記録された。排除対象、歩兵。AIは思考を切り替えた。


その隙を見逃さない。リリアは痛む身体に鞭打ち、懐から最後の切り札を取り出した。対装甲擲弾(HEAT-G)。これを一撃で、レギオンの関節に叩き込むしかない。弾頭には、彼女の部隊のマークである、血のような色の塗装が施されていた。


「――っ、ここで終わらせない!」


彼女が狙いを定めた、その瞬間。


ドォンッ!!


戦場を揺るがすほどの爆音が響いた。


リリアの擲弾ではない。カイのライフルでもない。


**『レギオン』**の遥か後方、敵の陣地奥深くで、巨大な爆炎が夜空を焦がしていた。敵の補給部隊か、あるいは通信施設か。いずれにせよ、戦略的に致命的な打撃。炎は爆心地から巨大なキノコ雲のように立ち上がり、戦場全体を照らした。


その爆炎を背に、二つの影が立っていた。


全身を戦闘用アーマーで固めた、見知らぬ二人組。


一人は、大型の狙撃銃**『ヘビー・スナイパーライフル(対メカニック仕様)』**を構えたまま、静かに戦場を見据えている。迷彩服の上から装着されたアーマーは、市販されているものとは違い、特殊な合金で作られているようだった。


もう一人は、両手に大型のアサルトライフルを構え、炎を浴びながらも、まるで気にしない様子で前進してくる。彼のアーマーは、さらに重装甲で、右肩には所属を示す**『自由戦線(フリーダム・フロント)』**のマークが刻印されていた。


彼らが、リリアたちの部隊とは違う、別の、しかし同じ目的を持った**『自由戦線』**の兵士たちだと理解するのに、時間はかからなかった。彼らは、統一政府軍の正式な指揮下にはない、非正規の武装組織だ。


「……援軍?」


リリアが呟いた。


「いや、増援、だ」


カイが、息を切らしながら訂正する。彼は、ライフルを構えたまま、『レギオン』と、新たに出現した二人組を交互に見つめた。


その直後、先ほどの通信で告げられた支援部隊が、凄まじい轟音と共に戦場に到着した。彼らが展開するのは、最新型の機動歩兵用メカニクスーツ、『ファントム』。全高4メートル。全身を青い装甲で覆ったその機体群は、敵の『ヴァルキリー』に比べて非力だが、その機動力と連携は群を抜いている。


支援部隊の隊長が、無線でリリアに指示を出す。


「ブラッド・アッシュ 01-A、生き残り全員を率いて撤退せよ! 我々が足止めする! これ以上の戦闘は無意味だ!」


リリアは、血の滲んだ唇を噛みしめ、無線機に向かって叫んだ。


「まだだ! **『レギオン』**が残っている! あれを排除しないと、撤退路が確保できない! 追撃を受ければ全滅する!」


彼女の言葉に、カイが立ち上がる。彼の瞳には、諦めではなく、燃えるような闘志が宿っていた。彼は、リリアに背を向けたまま、決意のこもった声で言った。


「隊長。俺が、あの**『レギオン』**の気を引きます。その隙に、最後の力を振り絞って、脱出してください。俺は、足が速い。逃げ切れます」


「何を言っている! お前まで死ぬ気か! 無駄死には許さない!」リリアは声を荒げた。


「未来は……、未来は、奪われない」


カイは、その言葉だけを残し、リリアから離れ、単独で**『レギオン』**の横腹目掛けて、再び走り出した。その姿は、まさしく一輪の、灰燼に咲いた反逆の花。彼は、自分自身の限界を超えようとしていた。


リリアは、その背中を見つめ、決意を固めた。もう、彼の勇気を無駄にはしない。


――まだ、戦える。


彼女は、無線機の周波数を全体へと切り替える。


「全隊に告ぐ。ブラッド・アッシュ 01-A、リリア・アインシュタイン中尉が、撤退戦の指揮を執る! 生き残っている者は、瓦礫を盾に、敵の足止めを行え! 救援を待つのではない! 我々自身で、未来を掴み取るのだ!」


彼女の叫びが、戦場に響き渡る。


その声に呼応するかのように、カイは『レギオン』の注意を引き付け、リリアは傷ついた体で擲弾を構え、そして『自由戦線』の二人組は、敵陣の奥深くで追撃の手を緩めない。


『レギオン』は、歩兵(カイ)を優先して排除するため、その巨体を鈍重に動かし、彼を追い詰める。カイは、ただひたすら走り、時折振り返りざまにライフルを連射する。熱線砲が地面を叩き、爆風が彼を何度も吹き飛ばそうとするが、彼は這い上がり、走り続ける。


(目標:排除。コード:反逆者。処理優先度:高)


『レギオン』のAIは、機械的な思考を繰り返す。


その一瞬の隙。


リリアは、全力を振り絞り、右腕の激痛を無視して、擲弾の安全ピンを抜いた。彼女の目は、ただ一点、**『レギオン』**の膝関節の、最も装甲の薄い部分を捉えていた。


「――当たれええええええ!」


擲弾は、火を噴きながら、正確に目標へ吸い込まれていく。


ガキン!


しかし、完璧な命中ではなかった。擲弾は、関節のわずかに下、厚い装甲板に命中した。HEAT弾頭は装甲を融解させ、爆発的な破壊力を叩きつけたが、『レギオン』の特殊装甲はその大部分を吸収した。


「ちっ!」


リリアは舌打ちする。だが、効果はあった。


**『レギオン』**の動きが、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、止まった。膝関節周辺のセンサーと駆動系が損傷したのだ。


その0.5秒の静寂。


敵陣の奥から、再び狙撃銃が火を噴いた。**ドォンッ!**という重低音。


『自由戦線』の狙撃手だ。彼の撃った弾丸は、リリアが損傷させた膝関節の隙間を縫うように突入し、内部の駆動系を完全に破壊した。


**『レギオン』**の巨体は、一瞬でバランスを失い、凄まじい轟音と共に、前のめりに倒れ込んだ。


「やった……!」


カイが、その場に崩れ落ちながら叫んだ。


「全隊、撤退開始! 今だ!」


リリアは、無線で指示を飛ばし、自らも負傷者を担ぎ上げて、後方の**『ファントム』**部隊が形成した防衛ライン目指して、瓦礫の山を駆け下りた。


撤退する彼らの頭上を、支援部隊の**『ファントム』**たちが、青い推進炎を噴き上げながら飛び交う。彼らの速射砲が、追撃してくる無人戦車群を次々と沈黙させていった。


彼らは、炎と爆発の地獄を後にし、数少ない命と、失われた仲間の記憶だけを抱えて、地平線の向こうへと逃げ延びた。

……

瓦礫の陰。リリアとカイは、ようやく一息ついた。支援部隊は、撤退完了を確認し、防衛ラインをさらに後退させている。


リリアは、荒い息を整えながら、カイを見つめた。


「お前……、よくやった。無謀だったが……、助かった」


「隊長が生きていれば、また戦えますから」


カイは、そう言って、力なく微笑んだ。彼の顔は煤と汗で汚れ、右腕は脱臼しているようだった。


「お前のその無謀さ、いつか命取りになるぞ」


「……その時は、仕方ないです。俺には、それしかできないから」


カイは、遠くで燃え続ける戦場を見つめた。彼の故郷も、この炎の向こう側にある。


「なあ、隊長」


「なんだ」


「俺たちは、この戦いを終わらせられるんですか?」


リリアは、答えに詰まった。終わらせる? 彼女の記憶の中には、いつも炎と、壊れた街の風景しかない。


だが、彼女はカイの真摯な瞳を見つめ、静かに、しかし力強く言った。


「終わらせる、のではない。越えるのだ、カイ」


彼女は立ち上がった。体中の傷が悲鳴を上げている。だが、彼女の意志は、鋼のように固かった。


「私たちが、ここで立ち止まり、諦めてしまえば、アウグストゥスの勝利だ。私たちが、この戦火を乗り越え、立ち上がり続ければ、その先に、必ず未来はある」


リリアは、炎で赤く染まった地平線を指さした。そこには、灰色の空と、黒く焦げた大地が広がっている。


「行こう、カイ。生きている限り、希望は消えない。私たちは、戦火を越えて、未来へ行く」


カイは、その言葉に深く頷いた。彼はゆっくりと立ち上がり、リリアの隣に並んだ。


二人の若き兵士が、炎に照らされ、地平線の向こうを見据える。


彼らは知っていた。この戦いが、単なる一戦闘ではないことを。


これは、彼らの全てを賭けた、**血戦の最前線(ブラッド・アッシュ・フロントライン)**における、新たなる一歩なのだと。

戦火を越えて、未来へ。

(第一話 完)

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