第4話 戦士の動画

 糸岡市横野町交番。午後三時の引き継ぎ時間。

「田所、今日は夜勤か」

 先輩の巡査が勤務表を確認しながら声をかけた。

「はい。今夜もよろしくお願いします」

 田所武は制服を正し、敬礼した。

 交番勤務三年目。地域の安全を守る仕事は重要だと頭では理解している。でも、心のどこかで物足りなさを感じていた。

 道案内、自転車の防犯登録、迷子の保護、酔っぱらいの説得。大切な仕事だ。でも、刑事になりたいと警察官を志した田所にとって、交番勤務は通過点に過ぎなかった。

「田所は真面目だからな。そのうち刑事課から声がかかるさ」

「そうだといいんですけど」

 先輩は笑って、交番を出ていった。

 夕方。小学生が交番に駆け込んできた。

「おまわりさん、猫がいなくなったの!」

「落ち着いて。いつからいなくなった?」

「今朝から。ミケちゃん、絶対帰ってくるのに」

 田所は子供を落ち着かせ、猫の特徴を聞き取った。近隣の捜索願いリストに加えて、パトロール中に注意することを約束する。

「ミケちゃん、きっと見つかるよ」

「ほんと?」

「おまわりさんが約束する」

 子供の笑顔を見送りながら、田所は小さく息をついた。

 こういう仕事も悪くない。でも――


 午後十時。夜のパトロールが始まった。

 田所は懐中電灯を持ち、担当区域を歩き回る。商店街、住宅地、公園。いつものルート。

 公園のベンチで若いカップルがいちゃついている。注意するほどではない。自動販売機の前で高校生が溜まっている。こちらも問題なし。

 平和な夜だ。

 でも、田所の中で何かが引っかかっていた。

 先週も同じ時間に同じ場所をパトロールした時、奇妙な影を見た。木から木へ、異常な速さで移動する影。追いかけたが、見失った。

 あれは何だったのか。

 午前一時。住宅街の外れにある大きな公園を巡回していた時、それは起きた。

 遊具の影から、何かが動いた。

 田所は反射的に懐中電灯を向けた。

「そこにいるのは誰だ」

 返事はない。でも、確かに何かがいる。

 ゆっくりと近づくと、影が飛び上がった。

 人間ではあり得ない跳躍力。三メートルはある高さまで跳び、大型遊具の上に着地する。

 田所の心臓が高鳴った。

 これは――

 影は月明かりに照らされ、その姿が明らかになった。

 人型だが、手足が異様に長い。顔は人間のようでいて、口が耳まで裂けている。目は真っ赤に光っていた。

「魔物……」

 田所は思わずつぶやいた。

 十五年前、異世界で戦った魔物たち。その姿が、脳裏に蘇る。

 魔物は田所を見下ろし、獣のような声で唸った。

「人間……見ラレタカ……」

 次の瞬間、魔物が襲いかかってきた。

 田所は横に転がって避ける。訓練された動きだが、それだけではない。昔の、戦士としての本能が目覚めていた。

「くそっ」

 警棒を抜き、構える。

 魔物の爪が空を切る。田所は警棒で受け止め、そのまま反撃。腹部に一撃を叩き込む。

 魔物は怯んだが、すぐに体勢を立て直した。

「強イナ……人間……」

「黙れ!」

 田所は間合いを詰め、連続で警棒を振るう。

 十五年のブランクがある。体も、高校時代ほど動かないかもしれない。でも、警察官としての日頃の鍛錬と体に染み込んだ戦いの記憶は田所の戦闘速度を上げていく。

 一瞬、人影が見えた気がして、半歩下がるのが足りず、魔物の爪が田所の腕を掠めた。制服が裂け、血が滲む。

「ぐっ」

 痛みを堪えて、田所は魔物の懐に飛び込んだ。

 そして、全力で――

 その時、背後から声がした。

「ぎゃあああああ!」

 振り返ると、深夜のジョギング中らしい男性が、恐怖に顔を歪めていた。

 魔物の注意が、その男性に向いた。

「マズイ!」

 魔物は新たな獲物を見つけ、男性に襲いかかろうとする。

 田所は考えるより先に動いていた。

 全力疾走。魔物の背後に回り込み、警棒を首に引っかけて締め上げる。

「逃げろ! 早く!」

 男性は尻餅をついたまま、スマホを構えていた。撮影している。

 最悪だ。でも今は、この魔物を倒すことが先決。

 田所は十五年前の力を呼び起こした。

 戦士としての闘気。かつて魔王軍と戦った時の、あの感覚。

 体が熱くなる。筋力が増す。

「おおおおおっ!」

 咆哮と共に、田所は魔物を地面に叩きつけた。

 そのまま警棒で、魔物の急所――首の後ろにある魔力の核を狙う。

 一撃。

 魔物は悲鳴を上げ倒れた。

 田所は荒い息をつきながら、その場に膝をついた。

 勝った。でも――

 次の瞬間、得体の知れない何者かが現れ、魔物を奪うとそのまま去っていった。一瞬の出来事だった。


「す、すごい……」

 男性がスマホを握りしめたまま、呆然としている。

「あの、今の……」

「見なかったことにしてください」

 田所は必死に頼んだ。

「いや、でも、これ……もう撮っちゃったし」

「消してください。お願いします」

「だって、これすごいじゃないですか。怪物と戦う警察官! 絶対バズりますよ!」

 田所の顔が青ざめた。

 男性はすでにスマホを操作している。

「ちょっと待って――」

「もう送信しちゃいました。友達のグループLINEに」

 終わった。

 田所はその場に座り込んだ。


 午前二時。田所は交番に戻り、報告書を書いていた。

 でも、何を書けばいいのか。

「不審者を発見し、威嚇したところ抵抗して仲間とともに逃走」

 嘘ではないが、真実でもない。

 携帯が震えた。SNSの通知。

 恐る恐る開くと、すでに動画が拡散され始めていた。

「深夜の激闘!スーパーポリスマン、謎の怪人を撃退!」

 暗い映像で、はっきりとは映っていないが、田所が何かと格闘している様子が記録されていた。

 コメント欄には、

「これCGでしょ」

「いや、マジっぽくね?」

「警察官つえええ」

「あの怪物何? 着ぐるみ?」

 様々な憶測が飛び交っている。

 田所は頭を抱えた。

 どうする。このままでは――

 携帯が鳴った。圭一からだ。

「もしもし」

「田所、大丈夫か。動画見た」

「圭一……やっちまった」

「とりあえず落ち着け。明日、みんなで集まろう」

「でも、これ、もう止められないぞ」

「有沢に相談する。あいつなら何か方法を知ってるかもしれない」

 圭一の声が、少しだけ田所を落ち着かせた。

「すまん。俺、調子に乗った」

「謝るな。お前は市民を守っただけだ」

「でも――」

「それに、もう始まってるんだ。俺たちが動かないといけない時が」

 圭一の言葉に、田所は頷いた。

「わかった。明日、話そう」

 電話を切って、田所は窓の外を見た。

 明け方の空が、少しずつ明るくなってきている。

 この街に、魔物が現れている。十五年前のように。

 そして自分は、その正体を動画に撮られてしまった。

 勤務が終わり、田所は自宅に帰った。

 シャワーを浴びながら、腕の傷を確認する。浅い切り傷だが、確かに魔物につけられた傷だ。

 ベッドに横になっても、眠れなかった。

 スマホを開くと、動画の再生回数は五千を超えていた。

 コメントも増えている。

「これ糸岡市じゃね?」

「あの警察官、誰か特定できない?」

「フェイクニュースだろ」

「いや、地元民だけど確かにあの公園だ」

 田所は溜息をついた。

 午後、田所は圭一に呼び出され、秀丸スーパーの休憩室に集まった。

 すでに有沢と水戸が来ていた。このみは学校があるため、後から合流する予定だ。

「田所、怪我は?」

 水戸が自作のポーションを片手に、心配そうに傷を確認する。

「大したことない。それより――」

「動画のことだな」

 有沢がノートパソコンを開いた。

「見たよ。これはまずい」

「削除できないか?」

「難しい。すでに複数のSNSに転載されてる。でも、会社のIT部門に頼んで、なるべく拡散を抑えるよう手を打つ」

「助かる」

「それより、田所。あれは本物の魔物だったのか?」

 圭一の質問に、田所は頷いた。

「ああ。間違いない。十五年前に戦った、中級の魔物と同じタイプだ」

「つまり、俺の店での転移魔法陣といい、水戸の病院の患者といい――」

「全部つながってるな」

 有沢が険しい表情で言った。

「魔物が地球に侵入している。それも、ここ糸岡市に」

「なんでこの街なんだ?」

 田所が問う。

「わからない。でも、十五年前に俺たちが異世界に行った場所が海松岳だった。あの山がある街だからかもしれない」

 圭一の言葉に、全員が黙り込んだ。

「じゃあ、俺たちはどうする?」

「動画は有沢に任せる。田所は当面、目立たないようにしてくれ」

「了解」

「そして、今度魔物が現れたら――」

 圭一は仲間たちを見回した。

「五人で対処しよう。もう、一人で戦う段階じゃない」

 全員が頷いた。


 その夜、田所は交番でいつも通り勤務していた。

 でも、警棒を握る手に、以前とは違う重みがあった。

 この街を守る。警察官として。そして、元戦士として。

 窓の外、夜の糸岡市は静かだった。

 でも、どこかに潜んでいる。魔物が。

 田所は立ち上がり、パトロールに出た。

 今度は、仲間がいる。一人じゃない。

 交番の戦士は、再び戦場に立つ準備を整えていた。

 その頃、ネット上では動画の議論が続いていた。

 本物か、フェイクか。

 でも、糸岡市の住民の一部は、薄々気づき始めていた。

 この街で、何かが起きている。

 そして、それを守ろうとしている人たちがいる。

 夜は深く、戦いの予感は濃くなっていく。

 元勇者たちの再集結は、もはや避けられない運命となっていた。

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