第五章:転換 3
石造りの独房。鉄格子の扉。明かりは壁面に小さく空いた穴から零れる程度。
蹴とばせば壊れそうな木製のベッド、椅子。鼻が曲がるほどの腐臭が漂い、湿気がひどく気持ち悪い。
そんな中にあって、ヴォルトは不快感を覚えることなく、椅子に座ったまま天井を眺めていた。
呆けたまま、心は虚無に沈んでいた。だというのに、思考はたえず言葉を紡いでいく。
生きていることがつらかった。生き地獄だった。己を殺さねば生きていけなかった。
少なくともヴォルトにとって、この聖都は決して生きやすい場所ではなかった。平坦な道はなかった。いつも困難ばかりが降りかかり、どうしようもないのだと、頭を垂れて進むしかなかった。
諦めが救った。諦めだけが、自身を慰める方法だった。
だからレセナに縋った。諦念の中で見つけた希望は、最後の家族を支えることだった。間違いだと分かってはいた。生きる意味を他者に委ねたとき、きっと取り返しがつかなくなると心のどこかでは理解していた。
それがご覧の有様だ。
委ねた先が消えたとき、歩いてきた道は崩れ落ち、意味が消える。その先は何もない。何もないのだ。
どん詰まりの暗闇。立っているのか、座っているのか、歩いているのかすらわからない。
終わらない思考は、ときに苦痛だ。現実で囚われているというのに、頭すら思考の牢獄に狂わされている。
ヴォルトは見上げていた天井から首を落とす。なにかと視線があった気がした。
暗闇に慣れた目は、輪郭を正確にとらえる。
ショートカットの女性。闇に同化する服をまとい、口元をマフラーで隠している。
「釈放だよ。あんたを連れ戻しに来た」
唐突な言葉が理解できなかった。
「……なんだって?」
「選びな。ここで朽ちて死ぬか。私と共に来るか。好きなんだろう? こういう二択」
「釈放……? そんな馬鹿な」
「いいから選びなって。あんたの頭で理解できる状況じゃないんだ。さあ、死ぬか、来るか」
頭が追い付かない。こんな状況で選択を迫られて、なにを選べというのか。
呆けたままでいると、女が長く息を吐いた。やがて、鉄格子に手を伸ばし、鍵を開けた。音もなく女がヴォルトに近づき、腕を掴んだ。
「面倒かけるんじゃないよ。あんたに選択肢はない」
「言ってること滅茶苦茶じゃねえか」
女に腕を引っ張られ、ヴォルトは牢を出る。女は手を放すと、そのまま堂々と廊下を進んでいく。
「待て、本当に分からない。これは脱獄か?」
女が首だけでふり向く。
「あんた、馬鹿なんだからこれ以上考えるな。それから、しばらく黙ってついてきな」
鋭利な言葉が妙に胸に刺さる。もうどうにでもなれと、思考を放棄して女の後を歩く。女は迷うことなく進み、あろうことか看守に声まで掛ける始末だ。
「じゃ、こいつ預かるから。あとよろしく」
はっ、と敬礼を返した看守の態度に疑問しか浮かばないが、女がさっさと歩き出したため、ついていかざるを得なかった。
刑務所を出ると、朝日が昇るところだった。
そこで、ようやく女の姿が明瞭に映る。
くすんだ緑色の髪、ナイフのような切れ目、黒一色の衣装。
「クレセントだ」
「あ?」
「名前だよ。私だけ一方的にあんたのことを知っているのは公平じゃないだろ?」
「俺はヴォルト・ハーデルだ」
「知ってる。あんたのことは一から十までね」
知らぬ誰かに情報を握られている。それももう、どうでもよかった。考えてしまえば、より深い泥沼にはまってしまうと知ってしまったから。
クレセントが進む。ヴォルトはただ彼女の背中を追いかけた。やがて、高級住宅街に入った。
白亜の邸宅の前が立ち止まる。門には本を象った紋章。十二氏族がひとつ、リディル家の邸宅だった。
クレセントが無言で門を開く。警備の者が彼女に一礼する。邸宅に入る。中は意外にも質素だった。必要な家具しか置かれてはいない。ただ、広かった。
入口の両脇から伸びた階段。吹き抜けの二階。その中央に、ひとりの女性が立っていた。黒のベレー帽に黒のポンチョ。首につけた鈴がりん、と鳴った。
女性が階段を降り、ヴォルトの前に立つと深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。ヴォルト・ハーデル様。そちらの者の案内はいかがでしたでしょう? 失礼が無かったら良いのですが」
「いや、あんたは……?」
頭をあげた女性が微笑む。
「ああ、失礼しました。私はエクレールと申します。リディル家当主の秘書ではありますが、女中筆頭でもあります」
「本当は当主代理だろう?」
くつくつと笑ったクレセントを、エクレールが睨んだ。
相手にすることを嫌ったのか、エクレールは視線をヴォルトに戻して続けた。
「本来であれば当主自らが挨拶するのが筋ではありますが、当主は現在多忙の身。私ごときで恐縮ですが、案内させて頂きたく存じます」
「リディル家の当主が俺に何の用だ?」
ヴォルトはリディル家――十二氏族と呼ばれる高位貴族と接点はない。だから、いま自分がこうしてリディル家の敷地内に立っていることが理解できない。
そそとした佇まいでエクレールが答える。
「あなたの物語が当主好みでございましたので」
眉が上がった。
「物語?」
「ええ、我が当主は物語を愛します。人の人生を愛します。あなたの人生が、当主の好みだったのです」
頭を鈍器で叩かれたような衝撃が走った。
「つまりは、なんだ……俺の人生は見ていて楽しいってか?」
「ええ、とどのつまりはそういうことでございます」
「……あんな有様が、楽しいってのか?」
心の底で何かが生まれるのを感じる。身体の芯が熱を帯びる。
ヴォルトの反応に気づいたか、エクレールが再び腰を折った。
「ああ、失礼しました。我が当主は頭がおかしいのです。あなたのご怒りはごもっとも。しかし、我が当主が動かなければあなたの命が無かったこともまた事実。いまはどうか、その事実で怒りを収めてください」
拳を握って、ヴォルトは息を吐いた。
相手は十二氏族。つまりはこの国における特権階級者。助けてもらった手前、感情で敵対する必要もない。
「重ね重ねの無礼、誠に申し訳ありません」
三度目のエクレールの礼。ヴォルトの隣に立つクレセントが笑った。
「あんたさ、素面でよくそこまで嫌味を言えるね。さすが、当主代理ってところかい?」
顔を上げたエクレールがぶすっとした表情をするが、すぐに柔らかな笑みに戻す。
「とりあえず、こいつは私が借りるよ」クレセントが告げる。「どうせご当主様が来るまで時間あるんだろ?」
「あなたが客人のもてなしをすると?」
「無自覚にご当主様の趣味を口走って反感を買うような奴よりは、マシな対応はとれるさ」
自覚がなかったのか、うっと言葉を詰まらせたエクレールが、再び礼をした。
「では、私はこれにて。なにかあればお呼び下さい」
エクレールが去る。その様を見たクレセントが肩をすくめた。
「悪いね。あれでもちゃんとした人でね。ただ少しばかりご当主様を崇拝し過ぎてるだけさ」
「別にいい。助けられた身だからな」
「そうかい? なら甘えておこうか」
来な、とクレセントに先導されながら邸宅内を進む。二階の東側最奥部に部屋に連れられた。
「ここがしばらくの間、あんたの部屋だ。好きにしな」
置かれた椅子に座ったクレセントが、もう一脚の椅子に顎を向ける。仕方なくヴォルトも椅子に腰を下ろした。
クレセントが足を組み、前かがみになる。肘を太ももに置いて頬杖をついた。
「あんた、よくさっき怒んなかったね。私なら輪切りにしてた自信があるよ」
「さっきも言ったとおりだ。助けられた身だからな。多少の物言いに反論しても仕方ないだろ」
「そうやって自分を殺してきたのかい? いままでずっと」
クレセントの言葉が癇に障った。
「だから、なんだ?」
クレセントが半月の笑みを作る。
「無能者、無能力者、非施術士、欠陥人間、言われたのはそんなとこかい?」
さっ、と脳裏にかつての悪罵が思い出される。王立騎士団に入り、実力を知らしめるまで投げられ続けた、言葉の暴力。
「……だから、どうした」
「最愛の妹。ああ、血の繋がりも実際の家族関係もない、ただの近所の妹分だったか。その妹分は施術の天才。さぞ遠い存在だっただろうね」
心臓が脈打つ。
「なにが、言いたい?」
「楽しいかい? そんな妹分に縋って生きて」
喉が震える。頭が沸騰しそうだった。
「あんた、いまの自分の面みてみるかい? 自分が最高に不幸って顔してるよ。ホント、気に食わない」
視界が赤に染まる。
「お前に、なにが分かる」
はは、とクレセントが嘲笑った。
「分からないさ。自己憐憫に浸って物語の主人公気取りかい? 運命が指揮棒をふるそのままに、あんたは動くのか。それじゃあ妹は死んでも死にきれないね」
ふいに、音が消えた。まっさらな静寂。
自分の口から迸る咆哮がすべてを遮っていた。
勝手に手が伸びる。クレセントのマフラーを掴んだ。
「お前に、なにが分かる! 俺の何が分かる!」
暗い双眸がヴォルトを見つめる。あらゆる闇を覗いてきたと言わんばかりに、凍てついた眼差し。それが、ヴォルトは気に食わなかった。
「どいつもこいつも無能無能無能無能無能! 施術がそんなに偉いかクソ野郎どもが! 施術使えねぇだけで人のこと扱き下ろしやがって、手前らのどこが高尚なんだよ屑共め!」
一度堰を切ってしまえば、あとは感情の奔流が荒れ狂う。
すべて消えてしまえ、俺を罵る奴は砕けて消えろとばかりに咆哮する。
「ああそうだ。施術士なんぞ胸糞ワリィ犬畜生だ。どいつもこいつも人様ァ見下し馬鹿にしやがって最悪だ。なのにその存在に胸焦がれ追い求めずにはいられない。俺は欲しくてもその力を手にいれられなかった!」
吐いて叫んで、ヴォルトは内に秘めたどろどろと渦巻く感情が何であるか、ようやく悟った。気づかなかった、分からないふりをしていた。すべて自分が悪いのだと、生まれてきたことが間違いだったのだと嘆き、自壊を望むほど落ちて墜ちて堕ちて、ようやく悟った。
これは怒りだ。憤怒だ。
煮えたぎる釜すら生温い、もはや地獄の業火に匹敵せんと燃え盛る怒りの炎。それこそがヴォルト・ハーデルの感情の根源だ。
「なんで、レナばっか持ってるんだ。あいつばかり、俺が欲しいものを持ってる! だけど俺が奪った! 殺した! そんなの、もうどうしようもないだろ!」
足の力が抜けた。膝が落ちて、すすり泣いた。
「生き方なんて分かんねえよ……。だれもそんなこと教えちゃくれなかった。レナを守るだけで精一杯だったんだよ。俺のことは棚にあげなきゃ、あいつを育てる余裕なんざなかったんだ」
まいったね、とクレセントが呟く。
「悪かった。あんたは、その、結構不幸だ。世界中探してもあんた以上は、そうはいないだろうね」
「レナが百点を取ってくるんだ……」
「ええ? ああ、うん」
「施術の授業のテストで、毎回満点を取ってきて、俺に自慢するんだ……」
「そりゃ……きついね」
「金はあったよ。両親の遺産がさ。でも、十一のガキが六歳のガキをどう育てりゃいいんだよ」
「あー、今度はそっちの話かい? そりゃ、私でも呆けるだろうね」
「聖堂学園は金かかるんだよ。このまま食いつぶせばいずれ底をつく。働かなきゃならなかったんだ。この首都で」
「施術士じゃないあんただと、一択だったろうね」
「剣しか取り得がねえんだよ。伝手で騎士団に入って、毎日訓練して、寝て、訓練して、寝て……訓練の時くらいしか安らげなかったんだよ」
「考えるのがつらかったのかい?」
「罪悪感がうしろについて回るんだよ。俺が両親を殺した。俺がレセナの両親を殺した。四人も殺した。対極剣を暴走させて、四人も殺しちまった。なのに、レナは俺を責めない。いっそ罵倒してくれたらいいのに、誰も俺を罰してくれないんだ」
「はは、さすがに記録だけじゃ、分からないもんだね……」
「俺は、どうすりゃ良かった……!」
運命は、かつて問うた問題を何度も問いなおす。逃避は許されない。答えるまで、何度でも問いなおす。そうして得た答えを、近い未来でまた問うてくるのだ。
「なあ、俺はどうすりゃ良かったんだ?」
眉を下げたクレセントがヴォルトを見下ろす。彼女の表情には困惑が浮かんでいた。
「あんたは後悔してるのかい? いままでの人生を」
「分かんねえよ。ずっと考えてきた。でもどうしたってどん詰まりに行きつくんだ。俺じゃ解決策が浮かばないんだよ」
そう、と小さく言ったクレセントが、天井を仰いだ。
「なら聞いてきな。あんたの人生の結果が、もうすぐ来る」
頁が舞った。
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