恋文

木通口

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 私が恋した人は、目が澄んでいて、優しくて気配りもできて、全てを受け入れてくれて、包み込んでくれて、引き込まれる自分の世界があって、欲しい言葉をかけてくれて、夢に一生懸命で、尊敬できるとてもかっこいい人だった。




 夏と呼ぶには少し涼しい七月の夜。


 北口を抜けた向かいのビルの二階に構えるファミレス。昼の賑わいが噓かのように静まり返っていた。この静かさが私の肌に合う。


 そして彼は現れた。


 半袖短パンにサンダル、整ってない髪の毛にメガネ、大きなリュックを背負い来店した彼。だらしない見た目とは裏腹になにか不思議なオーラのようなものをまとうその姿を自然と目で追っていた。


 それから三日間、彼は同じ時間に来て、同じ席に座り、同じものを注文して、同じ時間に帰って行った。


「玲ちゃんどうしたの?」


「わっ!え、え?」


 夜勤で一緒になることが多い社員の田崎さん。おじさんなのに嫌な感じがしない。基本夜勤は二人でシフトに入っているが、田崎さんには不快感がなく、逆に学校で起きたこととか恋愛などでいろんな話を聞いてもらったりと接しやすく心を開いている。私がその客をのぞき見しているところを、皿を洗う手を止めないまま不意に声を掛けてきた。


「いやずっとお客さんの方見てさ。友達でも来てるの?」


「いや友達じゃなくて、あの人、ドリンクバーの前の席に座ってる人、今日で三日連続ですよ。しかも全部12時なったら来て、いつもチョコアイス食べるんですよ」


「よく見てるね」


 よく見てるというか嫌でも気になる。急に現れた客が毎日同じ時間に来店して、毎回奥の方にあるドリンクバー目の前の席に着き、同じものを注文し、ノートとパソコンを広げて、同じ時間に帰っていく。気にしないほうが難しい話だ。何者なんだろう。何歳で、普段何をしていて、なんで毎日来るんだろう。嫌でも気になるではない、ちゃんと気になっている知りたがっている。そういう自分がまた不思議だった。


 気が付くと別の客が二人来店し案内されるのを待っていた。慌てながら2人のもとに行き奥の席に案内する。


 横目でその気になる客をチラチラ見る。真っ白のノート広げ、ボールペンを片手に、目を閉じたまま天井を仰いでいた。時が止まっているかのように動かないし、私もなぜかそれに見入ってしまっている。その隣の席で仲睦まじく話している二人組の声は耳に届かない。別の時の流れに迷い込んでしまった。


「玲ちゃん」


「あわっ!」


 低く太い声に元の時の流れに戻された。また不意を衝かれて今度は大きい声が出てしまった。二人組は一瞬こちらに視線を向けたが、当の客はまだ目を閉じたまま微動だにしない。


「玲ちゃん、これアイス出しといてね」


「あ、はい、ありがとうございます」


 今までそんなに意識してなったが、意識してしまうと商品を届けるのにも少し緊張してしまう。いつも通りを装って。


「これチョコアイスです。伝票もおいておきます。ごゆっくりどうぞ」


 そそくさとその場から逃げようとした時、彼はゆっくり目を開けた。彼の時もこちら側に戻ってきた。ありがとうございます、と微笑むその澄んだ目に謎の吸引力があった。その目から慌ててそらし、逃れるように力いっぱいに抜け出して田崎さんのいるところまで戻った。振り返るとアイスを食べながらボールペンでノートになにか書いていた。


「今までで、あの人来たことありますか?」


 私が知らないだけで、もともとの常連客だったりする可能性もある。大学生になってからここでバイトを始めてもう三年目。それ以前のお客さん、もしくは昼によくくるお客さん、はたまた本当に新規のお客さん。


「いや~見たことないなぁ。俺も長いけどあの子もまだ若そうだしね。玲ちゃんと同じくらいじゃない?」


「大学生ですかね。じゃあ課題とかやってるみたいな?え、でもこんな時間に?ここらへんに住んでるんですかね」


「どうだろうねぇ。聞いてくれば?」


「え、何でですか?」


「気になるなら直接聞いてくればいいじゃん。玲ちゃん人見知りしないでしょ。こういうのは早い方が良いよ」


 少しニヤニヤしているおじさんの顔が少しイラっとした。ちょっとだけ生えているあごひげを人差し指と親指で撫でているのも余計に。田崎さんは男女の間の話をすぐ恋愛に結びつけようとする。田崎さんがなのか、世のおじさんがそうなのかわからないけど、一回りも二回りも年下の学生のそういう話に興味を示すのは理解しがたい。ただ恋愛リアリティショーがあれだけ話題になるのはそういうことかもしれない。


「いやそこまでじゃないですよ。ちょっとだけ気になっただけですから」


「ふ~ん。まぁでも話しかけてもいいんじゃない。もうほぼ常連さんなんだし」


 さっきまでニヤニヤしていた顔が落ち着き、ちょっとタバコ吸ってくる、と言い残して喫煙ルームに歩いて行った。いつもより歩くスピードが少しだけゆっくりな気がした。田崎さんはたぶん踏み込んでいいラインというものがわかっている。ここまではいい、こっからはダメみたいな。だから嫌悪感がないのかもしれない。


 確かに常連客と店員がコミュニケーションを取るのは不自然ではない。客と店員という距離感は変わらない、ただ交流が増えるだけ。別にこれと言った他の理由はない。話しかけよう。でもこんな時、何て話しかければいいんだろう。


 二人組は来店してから一時間ですぐ帰っていき、彼は閉店時間である四時の三十分前に帰り支度を始めた。結局チョコアイスを届けたとき以外、なにも言葉を交わせてない。他の注文が入った時にと決めていたのに、彼が注文のタブレットを触ることはなかった。


「なんでいつも三十分に帰るんだろうね、閉店までいればいいのに」


 いつも客に対して早く帰らないかなとしか言わない田崎さんが、そういうことを言ったので結構驚いた。どうしたんだろうと振り返ると、ニコニコしながらこちらをみていた。数時間前に吸いに行ったタバコの香りが少しだけ鼻をかすめ、ピンポーンというレジから鳴る店員を呼ぶベルが聞こえた。


「お会計お願いします」


 伝票と三百円がすでに置かれていた。ここだ。ここしかない。


「もう帰るんですか?」


 不意を突いたはずなのに全然動じてなかった。でもそうなるだろうと思っていた。返答を待たずたたみかける。


「うち四時までやってるんで全然もっとゆっくりしてっていいですよ。全然迷惑とかじゃないんで」


 迷惑ではある。普通に早く帰ってほしい。片付けとか掃除とかあるから。でも不思議とこの客にはそんな感情は抱かなかった。夜中の時間にわざわざファミレスにまで来て、課題かなにかを顔をしかめながらやっているのをずっと見てると嫌な感情は全く出てこなかった。


「本当ですか。良かった。でも今日はもう終わりにしたので、明日から甘えさせていただきます」


 やっぱり。真顔と笑顔のギャップがある。その多くの時間は暗そうな雰囲気なのに、いざ言葉を交わすと明るい雰囲気になる。別の人間が喋っているのかと思うくらいの違い。一人でいる時と、誰かと交流している時で人格を入れ替えているのだろうか。そしてそれらの切り替わるタイミングで一拍くらい間があるのがよりそう思わせた。


「明日シフト入ってないんです」


 なんで自分でもこれを言ったのかはわからない。別に私がいようがいまいがこの人には関係ないのに、明日来ると言われたことへの条件反射として口が動いていた。でもいつもシフトに入りたくないとばかり思うのに、この時だけシフトを入れなかったことをちょっとだけ後悔した。


「次はいつシフト入ってるんですか?」


「え、あ、あの、明後日です」


「じゃあ明後日も来ます。ごちそうさまでした」


 そういってレシートを受け取り、振り返ることなく、夜が明け始め少し明るくなった街へ歩いて行った。ざわついているような心に違和感を抱えながらも、片付け作業に戻ろうと体の向きを変えたとき、奥の方で田崎さんがニヤニヤしているのが目が悪い私でもはっきり分かった。




ー続くー


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