第3話 料理研究会とクラヴ・マガ

「あー、おいしかった。メネメン? だっけ? 本当においしかった! ごちそうさまでした!」


 “おいしかった”を二回も言いながら、心春ちゃんは慣れた手つきで食器を片付け、洗い始めた。


「お粗末様です。気に入ってくれてよかったよ。――メニューボード、書き直さないとね」


「そうだね。お値段も決めなくちゃ。――あ、そうだマスター!」


 心春ちゃんが顔を上げ、タオルで手を拭いながら続けるピンクブラウンのボブヘアーが揺れる


「私の所属してる料理研究会、今度テレビの取材が入るんだよ!」


「へぇ、すごいじゃない。心春ちゃん、ついに芸能界デビューか?」


「ふふふ、“ついに”って何よ。芸能界は目指してないから。それに取材はあたしじゃなくて先輩たちね。もしかしたら、ちょい役で画面の端に映るかもだけど」


 心春ちゃんの話によると、7月に東京で全国規模の大学生料理コンテストがあるらしい。 その参加チームのひとつとして、彼女の所属する料理研究会――"Stella Kitchenステラ・キッチン"の練習風景を、テレビ局が事前に撮影しに来るという。


「なんだ、それならうちのキッチンを貸してあげるよ。 心春ちゃんも練習したらいい」


「いや、いいよ。なんてったって、うちのサークル、競争率が半端ないの。厨房に立てる人なんて、一握りなんだから」


 俺は初めて知ったが、この"Stella Kitchenステラ・キッチン"は日本でも屈指の料理研究会らしい。有名レストランのオーナーを多数輩出しており、メンバー数も100人を超えるというゴードン・ラ〇ゼイもびっくりの料理人集団だ


「それは……なんというか、もうサークル活動の域を超えてるね」


 思わず苦笑する。そもそもキッチンに立てないのに、料理研究会に入るなんて、意味があるのだろうかおかしすぎるだろ言葉に詰まった俺は心春ちゃんを主役にするにはふと悪戯心を起こす迷案を思い付く


「じゃあ、こういうパフォーマンスで目立つのはどうかな?」


 俺は包丁とニンジンを手に取ると、軽く空中へ放り投げた。反射的に包丁を走らせる。角度、力加減、タイミング――ひとつでも狂えば、ニンジンはあらぬ方向に飛んでいく。切る位置に合わせて、右手から左手へ包丁を持ち替える。フィニッシュに包丁を宙へ放り、空いた手でまな板を構える。ニンジンが地面に落ちる寸前にキャッチ。続いて落ちてきた包丁は、腰に差していた鞘へスッと収めた。


 まな板の上には――かわいいうさぎの形に削られたニンジンが、ちょこんと座っている。


「わー、すごい! すごい!」


 心春ちゃんが手を叩く彼女が喜んで、悪い気はしない


「ふー……」


 俺は額の汗をぬぐった。護身術――クラヴ・マガのコンビネーション練習の応用。 以前はもっと精巧にできたが、さすがにしばらく現役を退くと、腕も落ちてしまうようだ。


 ――何の“現役”だったかって? ……あまり褒められた話じゃないが、俺は長いこと傭兵をやっていた。旧ユーゴスラビア、イラク、アブガニスタン、リベリア、スーダン、ソマリア――。1年生き延びられれば上等とされる世界に俺は人殺しの才能があったらしい10年以上も身を置いていたそれともただ運がよかっただけか。気づけば、金はうなるほど貯まっていた。今こうして悠々自適な暮らしができているのも、そのおかげだ。


 ……もし、あのとき史郎師匠のコーヒーと出会っていなければ。きっと俺は、まだどこかの戦場で死に場所を探していたのかもしれない。史郎師匠には、心の底から感謝している。


「どうだろう。この技、学んでみないかい? これなら心春ちゃんも目立てると思うんだけど」


 まだ拍手を続けている心春ちゃんの目を見つめる。だが返ってきた答えは、俺の期待とは少し違った。


「ごめんなさい。多分マスターのその技……私には無理だと思う。っていうか、キッチンで包丁振り回したら危ないって、部長に怒られちゃうかも」


 心春ちゃんは申し訳なさそうに笑った。確かにその通りだ。キッチンはそもそも俺は料理をする場所であってニンジンをウサギの形に削ってパフォーマンスを披露する舞台ではないいったい何がしたかったというのだ。……俺は危うく、料理人の本質を見失うところだった。


「……そうだよね。余計なことを言ってしまった。今の、忘れてください」


「忘れるなんて、そんな。むしろ、もっと見たかったくらい。マスターって、大道芸でもやってたの?」


「ふふふ。内緒です」


 ――まさか、戦場で銃とナイフを振り回していたなんて、言えるわけがない。

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