2.謎の青年と謎のカラス

「なるほど。では、日本は負けたのですね……」

軍服を着た例の少年は、そう言うと肩を落としてしまった。見た感じは、高校二年生の美羽と同じか、少し下くらいだろうか。いずれにせよ、軍服の似合う年齢ではなかった。

「というか、本当なのか? 戦争に駆り出されたって」

雪成の言葉に、少年は背筋を伸ばした。

「はい。私は新節佳哉です。年齢は十五、所属は――」

「いや、それ以上はいい。長くなりそうだし」

そう言って雪成は首を振った。だが、そうなると、一つ明らかな事実がある。戦争を知る人物が、私達より年下の少年ということは、戦争を生き残った人物であるわけがない。まるで、戦中で時間が止まり、そのまま敗戦も飛び越えて数十年後に飛んできたかのような状態。つまり、彼は。

「佳哉君は、幽霊なの?」

そう言った美羽に、軍服の少年、佳哉君は頷いた。

「恐らくは。戦地に駆り出されたところまでは覚えているのですが、その先の記憶が曖昧で、気がついたらこの丘に戻ってきていました。自分でも信じられませんが」

自分が幽霊だと信じられない。その気持ちは、何となく分かる気がした。自分が死んで魂だけになったなんて、普通は信じられないだろう。だが、佳哉君だけ影が無かったり、指先が少し透けたりしていることが、彼の真実を物語っていた。

「ひとまず、皆さんのことは把握しました。まずはお声がけいただき、ありがとうございます」

佳哉君は、そう言うとドラマか何かで見るような敬礼をした。それを見て、透が首を振る。

「敬礼なんてやめて。君はもう『兵隊さん』じゃないの。ありのままでいて」

そう言われ、佳哉君が目を丸くした。確かに、私達は彼の上官でも何でもない。敬礼は勘弁して欲しかった。

「これは失礼しました。ですが、敬語は染み付いてしまって直せそうにないので、ご堪忍下さい」

「まぁいいか。それで……」

そこまで言うと、雪成は丘の上を見つめた。

「佳哉は『約束』があるって話だったな」

雪成の言葉に、佳哉君が頷いた。

「実は、戦争が終わって帰ってきたら、丘の上で会おうって言っていた人がいたんです。ですが、どういうわけか丘の周りから出ることが出来ず困っていたところ、皆さんに声をかけていただいた次第です」

「その『会う人』って……」

呟きかけた美羽を、佳哉君が見つめる。そしてこう言った。

「薬狩ツユです」

その名前に、雪成や透、美羽が顔を見合わせる。一方の私はというと、頭の中で色々なものが繋がっていた。

『丘に、行かないと……』

あの病棟で聞いた、おばあちゃんの言葉。あの時は意味が分からなかったが、あれは佳哉君との『約束』を果たすための言葉だったのだ。同時に、それが佳哉君の言葉の裏付けとなった。

「皆さん、ツユを知ってるんですか?」

その言葉に、四人で頷く。

「知ってるよ、ツユおばあちゃん」

美羽がそう言った瞬間、佳哉君が目を見開いた。

「ということは、ツユはまだ生きているんですね?」

生きている。それはその通りである。ツユおばあちゃんは、今もあの病棟にいる。だが。

「うん。でも……」

私は、今のツユおばあちゃんの状態を話した。末期がんが進み、残りの生命が少ないこと、認知症が進み、まともに会話することも難しいこと、そして、ほとんど何も覚えていないこと。今のツユおばあちゃんは、私達の知るおばあちゃんとは言い難い。そこまで話すと、佳哉君は俯いてしまった。

「そうでしたか……よく考えれば、僕とツユは幼馴染。それくらい老いて衰弱していても、何もおかしくはありません」

きっと、佳哉君はツユおばあちゃんに会いに行くつもりでいたのだろう。しかし、当のおばあちゃんが佳哉君のことを忘れている可能性があるのでは、躊躇ってしまうのも無理はない。もし、忘れられていたら。考えるだけで、怖くなる。

「それに、お前はこの丘から出られないんだろ? となると、会いに行くのは厳しいよな」

雪成が追い討ちをかけてしまう。普段なら叱っているところなのだが、雪成の言う通りなだけに、いたずらに否定することもできなかった。戦争を生き延びたら、会おうと約束していた、佳哉君とツユおばあちゃん。だが、約束も、ひいては佳哉君のこともおばあちゃんが忘れている可能性は高い。それに、そもそも佳哉君は丘から出られない。これでは、会いに行くのは厳しいと言うしかなかった。

諦めるしかないのか。そう思った、その時だった。

「何や嬢ちゃんら、揃いも揃ってしけた顔しおって」

ふと、どこからか声がした。聞き覚えの無い、しかも周りではあまり聞かない関西弁の声。私達の誰にも該当しない。ならば、誰なのか。辺りを見渡していた時、目の前にいきなり何かが着地した。見ると、それは。

「葬式でもやっとるみたいな空気出しおって。まだ諦めるには早いんとちゃうんか?」

カラスであった。毎日と言っていい程見かける、人の暮らしに溶け込んだ野鳥、カラス。それが、目の前に降りてきたのだ。だが、聞き慣れない声も同時に、降ってきたように聞こえた。つまり。

「え、カラスが喋った……?」

私の代わりに、透がそう言って口元を押さえた。カラスが人語を話した。そうとしか思えない状況であった。見ると、美羽や雪成は勿論、佳哉君も驚いている。一方のカラスはと言うと、そんなのお構い無しに口を開いた。

「誰がカラスやねん! ワシのことは『ボンミチ』って呼んでくれや。あ、カラスなのに『ワシ』ってどういうことやねーん、とかいうツッコミは要らんからな」

「何も言ってないだろ……」

雪成が呆れ気味に首を振る。喋る謎のカラス、ボンミチ。彼は一体、何者なのだろうか。すると、私の疑問を悟ったかのように先に口を開いた。

「お前誰やねんって顔しとるな。ワシは世に言う『あやかし』ってヤツや。妖怪っちゃ妖怪やねんけど、少しだけ神聖な部分もあるから、あやかしってことにしとるんや」

「あやかし……」

美羽がそう呟いて、ボンミチをまじまじと見つめる。それを見て、前のめり気味だった美羽をつい腕で庇ってしまった。

「何や嬢ちゃん、ワシが怪しいとでも言うんか?」

「喋るカラスを怪しまんでって言う方が無理」

「だからカラスちゃうって言うとるやろうが!」

勢いよく噛みつくと、ボンミチは疲れたように息を切らしてしまった。それから、私達を見上げる。

「そんなに信用できん言うなら、ワシが信じるに値するヤツやって証明したる。確か、そこの兄ちゃんが、この丘から出られずに困っとるって話やったな?」

「えぇ、まぁ……」

律儀にも佳哉君が頷く。すると、おもむろにボンミチが私達を見回した。

「兄ちゃんは霊体や。実体が無い。せやったら、何かに入れればええだけや。入れ物にちょちょいとワシが細工すれば何とかなるやろ。誰か、手頃な入れ物持っとらんか?」

そう言われ、鞄の中身を確認する。そんな手頃な入れ物なんか持っているわけがない。半ば諦めながら鞄を漁っていたのだが、奥底から何かが出てきた。

「これは……」

「海苔の缶、だな。あの時じゃないか? ほら、ドラマの撮影の差し入れで、海苔貰ったろ」

雪成に言われて、ようやく思い出した。確かに、海苔を貰い、おにぎりに巻いてみんなで美味しく食べたことを覚えている。その缶が、なぜ鞄の中に。気にはなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「おっ、ええ感じの持っとるやないか。どれ、ワシの前に出してみ」

そう言われ、ボンミチの前に海苔の缶を差し出す。すると、途端に彼の瞳が輝き出した。宝石のような美しい輝きに、私だけでなく、みんな見惚れていた。そして、その光はゆっくりと収まった。

「さて、これで準備はできたで。ほんなら、兄ちゃんに入れ物をかざしてみ」

言われるがまま、海苔の缶の入口を佳哉君に向けてみる。するとその瞬間、彼の姿が陽炎のように揺らいだ。と思ったら目の前から佳哉君がいなくなっていた。

「うそ、佳哉君がいなくなっちゃった!」

透が慌てて辺りを見渡す。すると、どこからか小さな声が聞こえた。

「みなさーん、私はここです」

よく耳を澄ますと、その声はなんと海苔の缶の中からしていた。まさか、これは。すると、ボンミチが頷いた。

「成功や」

成功。つまり、佳哉君は無事に缶の中に入れた、ということになる。とはいえ、こんな小さい缶に入って、佳哉君は平気なのだろうか。

「佳哉君、平気?」

「はい。少し海苔の匂いがしますが、悪くないです」

佳哉君の言葉に、私は苦笑いするしかなかった。海苔の匂いがしてしまう点は、我慢してもらうしかない。こんなことになるなら、しっかり缶を洗っておけばよかった。

だが、気になることがある。佳哉君を丘から連れ出す方法を提示し、缶の中に魂だけの彼を詰め込むなどという芸当をやってのけたあやかし、ボンミチ。彼は、一体何者なのだろうか。なぜそんな不思議な力を持っているのだろうか。

「何や、ワシに何か言いたいことでもあるんか?」

別に、と首を振る。気にはなるが、今はやらなければならないことがある。

「それで、これからどうしよう?」

透が首を傾げる。すると、缶の中から声が聞こえた。

「ツユとの思い出のものを持っていけば、記憶が戻るかもしれません。可能性は低いですが、無いよりはマシかと」

佳哉君の言葉に頷く。なるほど、確かに思い出のものを持っていけば、奥底に眠った記憶が蘇るかもしれない。

「あと、兄ちゃんの依り代も必要やな。缶に入れたのはあくまで応急処置や。いつまでも缶詰めってわけにはいかんで」

ボンミチが口を挟む。となると、やるべきことは二つある、ということになる。

「なら、決まりやね。思い出の品探しと依り代探し、みんなで頑張ろう」

私の言葉に、その場にいる全員が頷いた。何だか妙なことになってしまったが、ここまで介入したなら、やるしかない。

戦火に引き裂かれた少年と、嘗ての少女。数十年越しの約束を、叶えよう。

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