雨の妖精レインと虹の約束

夏の森は、いつもなら青空の下で木々がきらめき、川のせせらぎが心地よく響く季節です。

 ベルとアイの村も、いつもこの時期はにぎやかでした。


 けれど――今年の夏は、なにかが違いました。


 青空は続いているのに、空気はカラカラ。

 田んぼの水は干上がり、畑の作物もしおれています。

 森の葉っぱさえも、ぐったりと力なく垂れ下がっていました。


「ベル兄ちゃん……お水がもうないって、先生が言ってたよ」

「うん……村の人たちも、井戸の水が減ってきてるって」


 二人は顔を見合わせました。

 夏だというのに、一滴の雨も降らない――そんな日が何日も続いていたのです。


 夜になっても暑さはやわらぎません。

 星空の下、ベルとアイは家の裏の丘に座り込みました。

「なんで、こんなに雨が降らないんだろう……」

「この前、マーサとレインが仲良くなって、虹もかかったのに」


 ――そう、あの日。

 太陽の妖精マーサと雨の妖精レインは、ベルとアイの前で仲直りし、空に大きな虹をかけました。

 それからしばらく、森はちょうどよいバランスで雨と晴れをくり返していたのです。


 なのに、今は……。


「……もしかして、レインに何かあったのかな」

 ベルは、ふと胸の奥がざわつくのを感じました。


 その夜。

 二人が首にかけた“虹のしるし”――マーサとレインからもらったペンダントが、かすかに光りました。


「ベル兄ちゃん、見て! 光ってる!」


 光の中から、小さな声が聞こえました。

『……たすけて……』


 それは、まちがいなくレインの声でした。


「レイン! どこにいるの!?」

 ベルが叫ぶと、声は震えるように答えました。

『……わたし……牢屋に……』


 アイは目を丸くしました。

「牢屋!? レインがつかまってるの!?」


 翌朝、二人は迷うことなく森の奥へと向かいました。

 妖精たちの村へ行くためです。


 白い霧の中を抜けると、妖精の村が姿を現しました。

 けれど、いつも明るい村の雰囲気はどこか暗く、重たい空気に包まれていました。


 広場に集まった妖精たちは、みなうつむいています。

「どうしたの?」

 アイがたずねると、ひとりの妖精が小さく答えました。


「レインが……大長老の逆鱗に触れてしまったんだ」


 大長老の館にたどり着いた二人は、重たい扉を押し開けました。

 大きな氷の玉座の上に、大長老が座っています。

その顔は厳しく、いつものようなやさしさはありません。


「人間の子らよ。なぜここへ来た」


「レインが捕まったって聞いたよ!」

 ベルは勇気を振りしぼって言いました。

「どうしてそんなことするの!?」


 大長老は長い白い髭をゆらしながら、低い声で言いました。

「レインは……我々妖精の掟を破った。

 本来、雨は大長老の許しがなければ降らせてはならん。

 だがあの子は、人間の世界に勝手に雨を降らせたのじゃ」


「そんなの……!」

 アイが叫びました。

「だってあのときは、植物がしおれてたの! レインは助けようとしただけなのに!」


 大長老の表情が一瞬だけ揺らぎましたが、すぐに厳しさが戻りました。

「掟は掟じゃ。たとえ善意であっても、破れば秩序が乱れる。

 だから牢に入ってもらっておる」


 ベルはこぶしを握りしめました。

「でもそのせいで、今、人間の世界は大変なことになってるんだ! 雨が降らなくて、畑も田んぼも干上がってる!」


「……」


「妖精の力は、みんなで支えあうためのものでしょ! ひとりを閉じこめて、世界が困ってるなんておかしいよ!」


 しばらく沈黙が続いたあと、大長老は深いため息をつきました。

「……たしかに、おぬしの言葉にも理がある」


「だったらレインを出してあげて!」

 アイが身を乗り出しました。


「しかし、掟をただ破っただけで許すことはできん。

 妖精たちの心を納得させねば、雨の力はもとに戻らぬ」


 ベルは強い目で大長老を見上げました。

「じゃあ、ぼくらにそのチャンスをください! みんなに、レインが悪くないって伝える!」


 その日の夕方。

 村の広場に、妖精たちが集まりました。

 ベルとアイは、小さな台の上に立ち、みんなに呼びかけます。


「レインは、森の植物や動物を守るために雨を降らせたんです!」

「誰も困らせようとなんてしてなかった!」


 妖精たちはざわめきました。

「でも掟を破ったんでしょ……」

「勝手な行動は、危険なことになる……」


 そのとき、空からふわりと光の粒が降ってきました。

マーサ――夏の妖精です。


「ぼくが証人だよ」

 マーサは大きな声で言いました。

「あのとき、レインは森を守るために雨を降らせたんだ。

 ぼくの太陽で葉っぱがしおれたとき、レインがいなかったら、森は枯れてた」


 妖精たちは静まり返りました。

やがて一人、また一人と、レインのことを思い出したようにうなずき始めました。


「レインって、いつもみんなのことを考えてるよね」

「雨があるから、わたしたちの森は生きてる」

「掟よりも、大切なものがあるんじゃないかな……」


 その声は、広場いっぱいに広がっていきました。


 大長老は静かに立ち上がり、目を閉じました。

「……よかろう」

 ゆっくりと目を開けたその顔には、先ほどまでの厳しさではなく、深い思慮がにじんでいました。


「レインを解放する。

 掟は守らねばならん。じゃが、掟もまた時に、人の心とともに育つものだ」


 妖精たちが歓声を上げました。

ベルとアイは顔を見合わせ、ぱっと笑顔になりました


 レインが閉じ込められていた牢は、氷の宮殿の地下にありました。

 ベルとアイが駆けつけると、レインは壁にもたれて小さくうずくまっていました。


「レイン!」

「ベル……アイ……」


「出られるよ!」

 アイが鍵を回し、扉を押し開けました。


 レインは目をまるくして、やがて小さな声で言いました。

「……わたし、もうみんなに嫌われたと思ってた」


「ちがうよ! みんな、君のこと大好きだったんだ!」

 ベルが力強く言いました。

「ぼくらもずっと、信じてたよ!」


 レインの目から、雨粒のような涙がぽろりとこぼれました。


 その夜。

 レインが空へ舞い上がり、両手を広げました。


 ぽつり、ぽつり――そしてざあっと、久しぶりの雨が森と村に降り注ぎます。

 乾いた大地が水を吸い、葉っぱがいっせいに光を放ちました。


「雨だ……!」

 村の人々も外に飛び出し、顔を空に向けました。

「雨が降った!」


 マーサが空の上からレインに寄り添い、ふたりの力が合わさると、夜空に大きな虹がかかりました。


 大長老は静かに空を見上げ、うなずきました。

「掟も、心によって育つ……か。

 レイン、よく戻ってきた」


 レインは大長老の前に舞い降り、深々と頭を下げました。

「ごめんなさい。でも……ありがとう」


 大長老はにっこりと笑いました。

「これからも、おぬしの雨で、世界を潤しておくれ」


 森には緑が戻り、川の水もふたたび流れはじめました。

 ベルとアイは丘の上に座り、降ったばかりの雨の匂いを胸いっぱいに吸い込みます。


「やっぱり、レインの雨って気持ちいいね」

「うん。……このにおい、ぼく好きだな」


 空にはまだ、虹が輝いていました。


 レインが空から二人を見つめ、手を振ります。

マーサもその隣で、まぶしい太陽の光をまとって笑っていました。


 妖精たちと人間。

 太陽と雨。

 掟と心。


 それらがひとつになったとき――

 世界は、またやさしく、豊かに息をしはじめたのです。


ーーーおしまいーーー


登場人物


ベル(10歳):勇気ある兄。強い正義感を持つ。


アイ(7歳):やさしくまっすぐな心の妹。


大長老:妖精の村の長。掟を守る立場だが、心の声も理解する。


レイン:雨の妖精。静かでやさしい性格。世界を潤す大切な存在。


マーサ:夏の妖精。太陽の象徴。

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