13

ラブホテル 客室



「落ち着いた?」


 ベッドに腰掛ける杏花。その小さな手に、有羽が水の入ったグラスを手渡す。


「……ありがと」


 グラスを受け取った手のひらは、まだ小さく震えていた。 


「ごめん、私の依頼なのに」

「気にしないさ。僕らは君の依頼で動いてるんだ。君が立ち止まるなら、僕らにも急ぐ理由はない」

「……それ、慰めてるつもり?」


 杏花はそう言って呆れたように笑う。


「私も人付き合いは得意な方じゃないけど、お兄さんも大概だね」

「……うるさいぞ」


 二人の会話を眺めながら、有羽とアンリがニヤニヤと笑みを浮かべる。杏花は年相応のそれだが、対するファイは見た目こそ十代半ばではあるが、中身はいい年をした大人である。一回り以上年下の少女に、自身と比べられて同情されるファイの様子が、たまらなく可笑しかったのだ。


「ともかくだ、次はどこへ向かえばいい?それを決めるのは君なんだ」

「目的地は最初から変わってない。お父さんに会いに行く」


 そう言った杏花の顔に迷いはない。


「その顔は、全部思い出したようじゃのう」


 部屋の隅で紅茶を飲んでいたオリアスがそう言った。


「うん、おかげさまで。ようやくあんたの出番だよ」

「ほう、待ちくたびれたわい」


 そう言うとオリアスはひょい、と背の高いスツールから飛び降りて、杏花の座るベッドの向かいに立つ。


「ふむ、いい顔じゃ」


 オリアスの正面、まっすぐに彼女の顔を見上げる杏花の顔を見て、オリアスは満足げな笑顔を浮かべる。


「嬢ちゃんの準備ができたなら、早速記憶の解読を始めるぞい」

「その必要はないよ」


 すっとベットの上から立ち上がる。オリアスとそう身長は変わらない、杏花の視線がオリアスと完全に交わる。


「もう、全部思い出したから」

「ほう、なら妾は何をすればいい?」

「あの人と合流する。それが、あいつが最初に立てた作戦だから」

「うむ、かしこまった」


 オリアスの瞳が赤みを帯びる。室内を満たすのは、暖かい風。


「居場所を特定する。そやつのことを強くイメージしてくれ」


 足元から巻き上がる風に、オリアスの髪が舞う。宙を舞う髪が彼女の視界を遮る。うすく広がる髪の奥で、杏花が意を結したように息を吸い込み目を閉じる。


「ほう、記憶のロックがなくなっておる。レガリアの坊もしっかり仕事はしておるわい」


 何かを探るように、杏花の顔の前で右手を動かす。暖かい風の中央で、しばらくそうした後で、オリアスがニッとその口角を上げる。


「こやつじゃな。アンリや、位置がわかれば飛べるかえ?」

「正確な緯度と経度がわかればね。ミリ単位で正確に飛べるよ」

「承った」


 飄々とした彼女らしからぬ真剣な顔つき。杏花は未だ知らない彼女の一面に一瞬気押されそうになる。


「見えたぞい、東経一三九度二六分二秒、北緯三五度四三分五三秒、標高八五メートル」

「りょ〜かい!」


 そう言ったアンリの手元には赤褐色の飲料パック。グビグビと音を立ててそれを飲み干して、アンリが床面に手を当てる。展開されるのは、部屋を覆う大きな魔法陣。


「念のため、あたしの近くに寄っておいて」


 アンリに言われて、その場に居た全員がアンリを囲む形で集合する。


「行くよ、jump」


 瞬間、青白い光が部屋の中に充満する。眩いほどの光にホワイトアウトした室内が再びその姿を現した時、部屋の中に居たはずの人間はもう誰も居なかった。



   ×     ×     ×



植物園 温室



「君が最初とはね」


 むわっと甘ったるい花の香りが充満する温室、日本とはまるでスケールが違うのだと感じられる巨大な草花に囲まれながら、白亜徹はそう言った。


「君は何かが起こってからでないと動かないタイプだと思っていたけれど」


 柔らかそうな銀髪を揺らしながらそう言う白亜の視線の先で、レガリアが不敵な笑みを浮かべる。


「今回もそのつもりだったんだけどね、事情が変わったんだよ」

「事情?」


 白亜が言い終わるのを待たずに、周囲を轟音が包み込む。


「君を守れと、ある人に頼まれたんだ」


 轟音に一瞬怯んだ白亜が目を開くと、白亜の肩を抱く形で隣に立っているレガリアが右手を宙へと向けている。その手のひらを中心に、彼らを包む形で半円状のシールドが展開されていた。轟音と共に砕けたガラスが、レガリアの張ったシールドを避ける形でハラハラと舞い落ちる。


「ゴンさんの時もこうしてくれれば探す手間が省けたんだけどね」


 シールドの先、温室の天井に、何か鋭いもので削り取られたような穴が空いていた。


「じゃあ、僕は敵さんのところに行ってくるよ。多分もう何も起こらないと思うけど、念の為」


 そう言ってレガリアが小さな紙切れを白亜に手渡す。ちぎられた分厚いメモ帳のような紙の中央に、赤黒いインクで魔法陣が描かれている。ファイの魔法陣だ。


「噂には聞いていたけど、本当に便利だね」

「ほう、知っていたのか。なら使い方も大丈夫だね」

「ああ、それもちゃんと聞いているよ」

「ファイに言っておかないとね、秘密を漏らす相手は選べって」


 白亜が視線を魔法陣から上げる。軽口を交わしながら、レガリアが修復の術式を起動していたらしい。先ほど破壊されたはずの天井が、いつの間にか元に戻っていた。


「じゃあね、死ぬなよ」

「お互い様だろう」


 jump、と一言呟いてレガリアはその場から姿を消す。と、同時に人の気配。


「ようやく本命のお出ましかな」


 そう呟いて振り返る白亜の視線の先、植物園の入り口に青白い光。ドームのように形成された半球状のそれの中には、複数人の人影。


「うわ、何ここ」

「蒸し暑……」


 光の中からはゲンナリとした声。じわじわと光量を落としていくドームの中で、女子数人に囲まれた真っ白な少年がぐるりと周囲を見回している。


「植物園……か……?」


 肌を這うジメジメとした熱気に顔を顰めながら辺りを見回しているうちに、自身の方を見ている白亜の存在に気がついた。


「君か?杏花を逃したのは」

「いかにも。そう言う君がゲートキーパーかな」

「だからその呼び方は……」


 不機嫌そうに目を細めて少年はそう言う。


「名前で、ファイと呼んでくれ」



   ×     ×     ×



??? 廊下



「やあ、初めまして」


 薄暗く長い廊下。コンクリート打ちっぱなしの寒々しく無機質なその場所に、レガリアの飄々とした中低音がグワングワンと反響する。うっすらと辺りを照らす照明の中、レガリアのターコイズブルーの瞳は正面の人影を真っ直ぐに見つめていた。


「うん、やっぱり」


 レガリアが目を細めて、ニィッと怪しげな笑みを浮かべる。その視線の先で、神経質そうな男が眉間に皺を寄せている。


「お前か?杏花にちょっかいをかけていたのは」


 見た目通りの神経質そうな声。男はそう言いながら、オールバックのグレイヘアを撫でつける。


「僕は何もしていないけど、まぁ、彼女の依頼を受けたのは僕の同居人だからね。あながち無関係というわけでもないだろう」


 要領を得ないレガリアの話し方に、男は苛立ちを露わにする。


「それで?直接彼女の依頼を受けたわけでもないお前が、一体何の用でここにきた?」

「ただの興味だよ。少し、人間の真似事がしたくなったのさ」

「馬鹿馬鹿しい。まるで時代錯誤の古悪魔だ」


 そう吐き捨てた男の言葉に、レガリアが感じたのは違和感。


「あれ?君、もしかして僕を知らないのかい?」


 レガリアに言われて、男は眉間のシワを一層深くする。


「知らなかったら何だと言うんだ」

「別に、どうもしないさ。……けど、そうだな」


 怪訝な顔を崩さない男に、レガリアは軽やかな笑みで笑いかける。


「少し嫌な言い方をすると、

「……何だと」


 絞り出す様にそう言いながら、男の足元に魔法陣が展開される。


「どいつもこいつも!人間も!悪魔も!すべからくクソばっかりだ!……俺はな、俺を認めない世界をぶっ壊す。そのためなら、人間も悪魔も、利用できるものは全て利用する」

「いいね、凄く人間らしい。僕は君のことも結構好きだよ」

「黙れ!!!!」


 男がそう叫ぶと同時に、男の足元の魔法陣から発せられた光が周囲を包みこむ。次の瞬間レガリアが立っていたのは、何もない、四方を壁で囲んだだけの、無機質な白い部屋だった。


「ほう、結界術に似ているが、構造は全く別物。僕は君への評価を改めなくてはならないかもしれない。……うん、面白い」


 レガリアは目の前にある壁の方へと歩き出す。音のない閉じた空間の中では、足音ですら大きく反響する。パタパタと革靴が床を蹴る音を聞きながら、真っ白な壁に手を当てる。摩擦のほとんどない、つるりとした触り心地だった。


「触覚が鈍い。ということは、物理的に飛ばされたわけじゃなさそうだ。……もっとも、それができるならこんな面倒な手を使わずに、普通に僕を追い返せばいいからね」


 そう言いながらレガリアは感覚の薄い指先で壁を撫でる。


「精神干渉の一種かな。部屋は幻惑、僕は夢の中、ってところだね。ご丁寧に、時間感覚を遅らせる術式まで組み込まれている。……なるほど、向こうでは一瞬でも、こっちでは何年もの時間が流れてるってことかな。普通の人間なら、精神に異常をきたしても不思議はないか」


 指先を壁に強く押し当てると、レガリアの瞳が赤く発光する。


「まあ、普通の人間なら、だけどね」


 レガリアがそう言って笑うと同時に、四方の壁がバラバラと崩れ落ちていく。崩れていく壁の向こう、レガリアの視線の先で、男がひどく狼狽した表情を見せている。


「こちらの僕に手を出せていないということは、現実時間では1秒にも満たない時間しか経っていない、ってところかな。惜しいね、その術式がなければ僕に決定的な隙が生まれて、君にも勝機があったかもしれないのに」


 再び行使された男の魔術は空中で黄金色の塊となり、レガリアに届く前に空中で霧散する。


「無駄だよ、一度解析した魔術を僕が再び受けることはない」

「クソが……クソが……!!!!」


 そう叫びながら当たらない魔術を撃ち続ける男の表情に浮かぶのは、怒り。それは眼前で余裕の表情を崩さないレガリアに対するそれか、あるいは、ままならないこの世界そのものに対するものか、そんなことはもはやレガリアにはどうでも良かった。


「そもそも、これの使い道は戦闘ではないはずだ。もしそうなら、時間感覚をずらす必要は何一つないからね」


 そう言ってレガリアはククッと笑い声を上げる。その周囲では、今も男の撃った魔術が弾けては消え続けている。


「この魔術が最も効力を発揮するのは、拷問や調教に類する行為。閉鎖空間と孤独は、人間から正常な判断力を奪うからね。君にとってはより短時間で、相手にとってはより強大な効果を与える。結界内外の時間のズレはおそらくそのために付加されたものだ」


 パチパチと花火のように魔力が弾ける光の中心で、レガリアは薄ら笑いを崩さないままスッと右手を上げ人差し指を立てる。その指先で、黄金色の輝きが渦を巻くように収束し、次第に球体を形作っていく。


「精神魔法というのは基本的に、物理的なそれに比べて、互いの魔力差が勝敗に影響を与えにくい。事実、白亜に放ったで僕に挑んできたなら、勝負は一瞬で決していただろうしね。僕を一目見て、物理では敵わないと判断したことだけは評価してあげよう」

「ペラペラと……時間稼ぎのつもりか?」

「時間稼ぎ?一体僕が何の時間を……、ああ、これのことかい?」


 ハッとしたような顔で、レガリアがその指先で今も肥大化を続ける魔力球に視線を向ける。


「そんなつもりはなかったんだ。ついお喋りが楽しくて大きくなりすぎただけさ」


 軽やかな表情で笑うレガリアの顔の真横で、当初はほんの小さな塊だった魔力球は、ボーリング球ほどの大きさへと変貌していた。


「さっきも言ったが、元来精神魔法の精度に魔力量の差による違いは発生しない。だけどね、それはあくまで精度のみ。物理攻撃と同様に、精神魔法にも出力というものは存在するのさ」


 レガリアが言い切ると同時に、周囲を黄金色の眩い光が包み込む。


「たとえば、こんな風にね」


 一瞬だった。レガリアがその言葉を言い切ったかもわからない。魔術が行使されてからほんのコンマ数秒の後、男がどさりと音を立ててコンクリートの床面に崩れ落ちる。


「僕が魔力を注ぎ込んだのは、時間感覚の部分。君と同じ魔術を使っても、使う魔力量が違えば対象の体感時間はこうも変わるのさ」


 レガリアにその表情を覗き込まれてなお、男の目は焦点を定めずにふわふわと虚空を舞っている。その口元からは、時折「う」だか「あ」だかわからない掠れた声が漏れている。レガリアは男の目の前でヒラヒラを手を振るが、一切の反応も返ってこない。


「ああ、思ったより脆かったね。あの中で何年くらい過ごしてきたのか聞きたかったのに」


 心底残念そうにそう言いながら、レガリアは男の顔をまじまじと覗き込む。ぽうっと、一瞬その瞳が赤みを帯びる。


「うん、君とはまた会うことになりそうだ。丁度いい、君を裁く権利は彼女にこそあるからね」


 にやりと口角を上げながらそう呟くと、放心状態の男を一人残してレガリアはその場を後にする。カツカツと革靴の底を鳴らすレガリアの顔を、スマートフォンのディスプレイが照らしている。その手元で、シュポッと短いメッセージの送信音。


「ああ、そういえば」


 指を組み伸びをしながら、ふと何かを思い出したように呟く。


「自分のために他人を助ける、だっけ?僕としたことが、目の前の彼に夢中になってつい当初の目的を失念していたよ。……けど、まあ」


 ちらり、と後ろを振り返る。男は依然虚空を眺めながら言葉にならない譫言を繰り返している。


「彼も彼でなかなか面白かったからね、今回の収穫としては十分だろう」


 ふっと小さく笑いながら再び歩き出す。無機質な長い廊下。寒々しいその一本道に、彼らの他に人の気配は一つも無かった。

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