第16話 ゴブリンガール捕まる
「よう、こいつが例の糞ゴーレムかよ………。まさか、てめえの方からのこのこ姿を見せるなんてな。探しに行く手間が省けたってもんだぜ」
ゴブリンガールはまじまじとゴーレムを観察した。身体の大部分が緑色の苔にすっかり覆われており、古いゴーレムのように見えた。本当にとても古い感じがする。今まで森の一部として深い眠りについていた太古のゴーレムが、何らかの事情により急に活動を再開したみたいな———そんな、大いなる時間の跳躍がゴーレムからは感じられた。
ゴーレムは巨体をかがめると地面に掌を着いた。掌から眩い光が発せられたかと思うとその瞬間、ゴブリンガールの足元から勢いよく木のツタが現れる。木のツタは信じられないような速度で伸びたかと思うと、そのまま彼女の足に絡みつこうとした。
「———ッ!」
ゴブリンガールはとっさに飛び跳ねると、木のツタから一気に距離を取る。しかし地面に着地したとたん、再び足元から木のツタが生えてきた。バランスを崩しそうになりながらも、ゴブリンガールは再び足元に力を入れて飛び跳ね、僅かの差で事なきを得る。
ゴブリンガールが再び地面に着地すると、ゴーレムはゆっくりと身体を起こした。
「お、おいてめえ糞ゴーレム!いきなり攻撃してくる馬鹿がいるか!ぼんくら!てめえ、ぶっ殺されてえのか!糞が!」
ゴブリンガールは口汚く一号を罵った。一号はそれも意に介さず、またゆっくりと歩きはじめる。
「よう、てめえ狩人!何なんだこの糞ゴーレムは!」
「何って、ゴーレムはゴーレムでしょう」
「この馬鹿!そんな当たり前のこと聞くわけねえだろ!」
迫りくるゴーレムを前に、ゴブリンガールは腹をくくる。一段姿勢を低くして構えると、スキル〈アイアンクロー〉を発動する。緑色の爪は鈍い光沢のある鉄の爪へと変質し、さらに二、三センチばかり長さが伸びる。
ゴブリンガールは大地を踏みしめ、ゴーレムに向かって勢いよく突撃した。無防備な足元に狙いを定めると「おらあッ!」と渾身の力を込めて爪を振るう。スキルで強化された鉄の爪はゴーレムの体表から苔をはぎ取り、岩石のボディに少しだけ傷をつけた。
「糞がッ! ………アホほど硬えじゃねえか!」
手ごたえは感じられない。案の定、ゴーレムにダメージはほとんど入っていなかった。威勢こそいいものの、思いのほか強力なゴーレムを前にゴブリンガールはひどく困惑していた。
*
硬い岩石の身体を持つゴーレムに斬撃や刺突系の攻撃は基本的に通用しない。打撃などの物理攻撃、あるいは爆発などの魔法攻撃が最も有効とされている。
スキル〈アイアンクロー〉はゴブリンガールの十八番だったが、ゴーレムの硬い岩石の身体を切り裂くほどの威力はなかったようだ。むしろ鉄の爪を通して、ゴブリンガールはゴーレムの頑丈さを感じていた。仮に木の棍棒で攻撃したところで、このゴーレムを打ち負かすことはできないだろう。
このゴーレムは何だ?
何処から来た?
いつから存在している?
誰が錬成した?
何のために?
ゴブリンガールの頭の中を様々な考えが駆け巡る。薄い色のついた煙のように、一つのことを掴んで考えようとしても、いつの間にか他の疑問と混ざり合ってしまい思考が乱される。考えがまとまらない。
「………糞がッ!」
ゴブリンガールは勢いよく頭を振った。今、余計なことを考えている暇はない。何とかして目の前のゴーレムを処理しなければ、場合によってはコロニーごと潰されてしまうかもしれない。
*
ゴブリンガールはとっさにイーニャの元に駆け寄った。後ろから回り込み、人質にするつもりだった。しかしその動きを察したのか、一号は再び身体を前かがみにすると地面に掌をつき、樹木魔法を繰り出した。先ほどより多くのツタがゴブリンガール目掛けて勢いよく伸びていく。避けても避けても、無数のツタがとめどなくゴブリンガールに迫る。
「糞がッ!ふざけやがって!」
一本のツタを避けると二本のツタが、二本のツタを避けると四本のツタがゴブリンガールを襲った。やがてツタは鳥かごのように互いに絡み合いゴブリンガールを完全に包囲してしまうと、少しずつその範囲を狭めていった。
「う、うおおおッ⁉な、何だコレえええッ⁉」
牢獄に囚われた囚人が鉄格子を手で掴むように、ゴブリンガールは小さな手でツタを掴むと全力で引っ張った。しかし、ツタはビクともしなかった。
「糞がッ!まさかこのおれ様が鈍いゴーレムごときに捕まるなんてよう!———糞ッ!」
***
ゴブリンガールがすっかり無力化されたことを知ると、広場に集められていた村人は恐る恐るゴブリンガールが入っているツタの牢獄の周りに集まってきた。若い男が僅かな隙間から牢獄の中を覗こうとすると、牙をむき出しにしたゴブリンガールが威嚇するように唸り声を上げた。
「ひいいッ!」
男は尻餅をついた。腰が抜けてしまったのか、男は情けない姿のまま逃げ出した。
「皆、危険だから離れて!」とイーニャは言った。
「イーニャ」と一人の老人がゆっくりとした足取りで彼女の前に歩み出る。立派な白髭をたくわえた小柄な老人だ。老人はしばらくの間ツタの牢獄を見つめていた。それからイーニャに視線を移し、最後に苔の生えたゴーレムを長い時間観察した。
老人は再びイーニャの方を向いた。
「村長」
「イーニャ、儂には何が起きているのかさっぱり分からんよ」と老人は言った。
「あの、実は———」
イーニャは時間をかけて自分が見聞きしたことを話した。ゴーレムのこと、近藤晴彦という名の森の賢者のこと、一緒に暮らしているユキという猫人族の少女のことも話した。村長はゆっくりと白髭を撫でながらイーニャの話を聞いていた。
「ふうむ」と話を聞き終えた村長はおもむろに口を開く。
「儂は長いことルココ村に住んでおるが、そのような賢者様が森に住んでおられたとは知らなんだ」
「賢者様はこの村と交流を持ちたいとも仰っていました」
「大いに結構。賢者様が必要とされるものがあれば、何でも相談しなさい」
「村長、ありがとうございます!」
嬉しさのあまり、イーニャは村長の手を握ると力強く上下に振った。
「……なあ村長、このゴブリンどうするんだ?」
神経質にツタの牢獄を気にしながら、村の男たちが集まってきた。一度家に帰ったのか、各々の手には鉄製の農具や斧が握られている。
彼らは明らかに怯えていた。鉄製の武器を持つ手は小刻みに震え、顔には恐怖の色が浮かんでいる。立派な茶色の髭を生やしている木こりの大男でさえ、自分の半分に満たない大きさのゴブリンを相手に恐怖を感じずにはいられないのだ。
ルココ村にゴブリンが現れたのは、かなり久しぶりのことだった。
「よう、てめえ糞人間ども!おれ様を殺そうってんなら、そんときゃ覚悟しろよ!他のゴブリンどもが死に物狂いでこの村を襲うぜ!」
「そ、そんなのただの脅しだ!殺っちまえば分からねえだろ!」
「魔物の言うことなんて信じるかよ!」
「生かして帰したらそれこそ報復されるぞ!」
「殺るなら今だ!」
「ああ、殺っちまえ!」
「殺せー!」
村の男たちは声を大にして叫んでいる。自分たちが感じている恐怖を必死になって誤魔化すように。
「待って、このゴブリンは変異個体よ!下手に刺激したらどうなるか本当に分からないわ!」とイーニャは言った。普通のゴブリンであればともかく、変異個体が現れたとなるともはや自分たちの手に負える範囲ではない。最低でもアイアンプレート以上の冒険者に任せるべき案件だ。
「……けど、このまま放ってもおけないだろ」と村の男が言った。
「ええ、だから今から冒険者ギルドに報告を———」
「イーニャ」と村長はおもむろに口を開いた。イーニャも、村の男たちも、皆が小柄な老人に一斉に視線を向ける。
「賢者様のところに行って、このゴブリンをどうするべきか判断を仰ぎなさい」
「賢者様に?」
確かに森の賢者様であれば謎の多い変異個体についても何か知っているかもしれない。適当な冒険者に任せるより———もしかすると最上位の冒険者に任せるより、森の賢者様に任せた方がより良い結果になるのではないか。自然とそう思えるほど、近藤晴彦という人間には不思議な安心感があった。
「賢者様って何のことだ?」と村の男たちが首を傾げる。
「後で話す。ゴブリンのことももういい、お前たちは早く仕事に戻りなさい」
「で、でもよ、村長———」
「後で話すと言っておろうが!さっさと仕事に戻らんかこの大馬鹿者ども!」
老人は見た目からは想像もつかないほど迫力のある声で凄んだ。男たちは飛び上がり、大急ぎでそれぞれの仕事場へと戻っていった。老人はイーニャには甘かったものの、村の男たちからは鬼村長として恐れられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます