第14話 ハラマキとマフラー
イーニャを見送った後、近藤は家に戻って荷物の整理を始めた。パンの対価として支払えるお金がない以上、当面は物々交換をしてもらう必要がある。場合によっては街の質屋にでも行ってお金に変えてもらってもいい。とにかく、近藤は取引に使えそうなものを把握しておきたかった。
両親が残した衣類は交換の第一候補だった。誰も使わないままクローゼットに眠らせてしまうより、新しい主人に着られた方が服も喜ぶだろう。近藤は箪笥やクローゼットを開けては使わない衣類をまとめていた。
「ご主人様、何をしているんですか?」とユキがやって来た。
「使わない服をまとめてるんだ」と近藤は答えた。ユキは物珍しそうに床に並べられた洋服の山を眺めながら、踏んでしまわないように気を付けて足を動かした。洋服の上に置かれている小さな白い防虫剤を手に取り、鼻に近づける。少し独特なニオイがしたのか、ユキは眉を顰めると防虫剤を元の場所に戻した。
「ユキにお手伝いできることはありますか?」とユキは言った。近藤は手を止めてクローゼットから出てくると、衣類の山を見回した。本当はユキに手伝ってもらうことはほとんどなかったが、せっかくなので仕事を任せることにした。
「それじゃあ、残しておきたいものがあったらまとめておいてもらおうかな」
「何を残せばいいんですか?」
「残したいものを残せばいいよ。ユキが好きに選んでくれて構わないから」
*
近藤はユキの選定を待つ間、家の中を掃除することにした。廊下、リビング、台所、風呂、トイレ。本当は自分の部屋も掃除しておきたかったが、トイレの換気扇の掃除を終えた時点で近藤はすっかり疲れ切ってしまった。ソファに寝転がって目を閉じていると、軽快なユキの足音が聞こえてきた。
「ご主人様、お仕事終わりましたよ!」と嬉しそうに言いながら、ユキは近藤の上に飛び乗った。かつて猫だった頃のように。近藤は驚いたものの、とっさに腹に力を入れて何とかユキを受け止めた。
ユキは近藤の胸元に顔を擦りつけながら、上機嫌に尻尾を伸ばしていた。「重くなったな」と近藤はユキの頭を撫でた。ユキは顔を上げると、不服そうにほっぺたを膨らませる。
「ユキは重くありませんよ。んにゃ」
「……そうだな。ユキは重くないな」近藤はユキの頭に手を伸ばした。撫でるとユキは心地よさそうに目を細めながら再び近藤の胸に顔を埋めた。
*
部屋に戻ると大きな衣類の山が二つ目に入った。ユキは指を指しながら説明する。
「こっちの山は大事にとっておきたいです。そっちの山はなくなっても大丈夫です」
ユキが大事にしたいといった衣類は、おおよそ全体の三分の一はあっただろうか。近藤がしゃがみ込んでよく確認すると、明らかにいらなそうなものまで入っていた。
近藤は父親が愛用していた茶色のハラマキを拾い上げるとユキに見せながら「親父のハラマキなんてとっておくのか?」と不思議そうに言った。
「オヤジさんがユキの頭を撫でたり、美味しいおやつをくれる時、いつもハマラキを付けていました。だからこれを見ると、オヤジさんの優しい顔が思い浮かぶんです」
近藤が会社に行っている間、ユキは近藤の母からお昼ご飯を貰い、三時になると縁側に行って近藤の父からおやつを貰っていた。ユキは「にゃあ」と鳴いておやつのお礼を言うと膝から降り、身体をグーっと気持ちよさそうに伸ばす。それがユキの日課だった。
近藤は「そうか」と呟くと、しばらく父のハラマキを眺めてから元に戻した。
その隣に古びた深緑色のマフラーが置かれていた。これもおそらくは父のものだろう。そう思って手に取ったものの、ハラマキとは違い父はほとんどこのマフラーを使っていなかったはずだ。少なくとも近藤には思い出せなかった。マフラーを両手で伸ばし、しげしげと眺めながら「これもとっておくのか?」と近藤は言った。
「ユキがまだ小さかった頃、オフクロさんが編み物をしていたんです。ユキは毛糸玉を手で転がりして邪魔をしちゃったりしてましたけど、オフクロさんは怒ったりせず、優しくユキの頭を撫でてくれました。
『ユキちゃんは元気がいいわね、元気に育つのよ』って。
その時の毛糸玉は少しずつ形を変えて、オヤジさんのマフラーになったんです。長い間見てなかったので、ユキも最初は分かりませんでした」
そう言うと、ユキは恥ずかしそうに笑みを浮かべた。近藤は何とも言えない気持になった。
ゆっくりと色々なことを考えてから、近藤は言った。
「ユキが死んでしまった時、親父もお袋もひどく悲しんでた。ユキにこんなに愛されていたって知ったら、二人とも喜ぶだろうな」
そう言うと、ユキは近藤を見上げながら嬉しそうに笑った。
「ユキはオヤジさんとオフクロさんが大好きです。けど、ユキはご主人様のことが一番好きです。世界で一番」
「そうか。じゃあ、俺は世界で一番の幸せ者だな」
近藤はそう言うとユキの頭を撫でた。ユキが選んでくれた衣類はもう一度大切に保管し直すことにした。
***
イーニャは歩きながら時々後ろを振り返っては一号の様子を窺っていた。昨日はひどく恐ろしい存在に感じられたゴーレムも、よく見ると案外可愛らしいところがある。試しにイーニャが足を止めると一号も足を止め、イーニャが道を外れると一号もそれに続いた。
「ふうむ」とイーニャは言った。イーニャは昔から好奇心が人一倍旺盛だった。イーニャはふと、自分が木を登ったら一号はどうするのだろうと思った。木はゴーレムの重さには耐えることができない。考えるまでもなく明らかだ。だが問題はゴーレムがそれに気づくことができるかどうか―――つまり、一号の知能がどの程度かということだ。
冒険者用ガイドブックには、ゴーレムについて次のように説明されていた。
ゴーレムは創造主の命令に絶対服従する。そのため命令如何によっては人類に対して敵対することもあるが、基本的には遺跡や宮殿を始めとした人工物の守護のために錬成されるため、無暗に守護領域を侵犯しない限り特段の危険性は無い。ただし守護領域を有しない———自然災害をはじめとした何らかの理由により、本来守るべき対象を失ってしまった———野生化したゴーレムは安全のため速やかな排除を推奨する。
以下、ゴーレムの戦闘特性や弱点、特に注意すべき項目が並べられていた。その中にはゴーレムの知能に関する記述もあったが、土くれに知能を与えることはほとんど不可能とされていた。単純かつ単一の命令には従うものの、自分の頭で考えて臨機応変に行動することはできないとされている。
イーニャはガイドブックに書かれていたことを想い出しながら、するすると木に登った。おそらく今は〈イーニャを護衛しろ〉という命令を下されているはずだ。果たして、一号はどう動くのだろう?
イーニャは好奇心に目を輝かせながら、するすると木を登っていく。狩人にとって木に登るというのは、パン屋がパン生地をこねるのと同じくらい手慣れたものだった。手と足を器用に使って太い幹を登り、枝分かれした場所に手をかけるとそのままの勢いで身体を上げる。
振り向いて一号の様子を見ようとしたその時、一号に背中から摘ままれた。母猫が子猫をひょいと咥えあげるように、イーニャは一号に摘ままれたままどうすることもできなかった。
「ちょっと、ねえ、離して!」とイーニャは大きな声で言った。身体をバタつかせながら。
一号はイーニャを太い枝の上に乗せると、そっと静かに手を離した。そして「ヴー」と小さな声で言った。イーニャには一号が何をしているのか、さっぱり分からなかった。しばらく考えてから、ようやく一つの仮説を思いつく。
「……もしかして、私を木に登らせてくれたの?」とイーニャは言った。
「ヴー!」と一号は嬉しそうに言った。
「………もしかしてあなた、私の言葉が分かるの?」
「ヴー」と一号は小さく二度頷いた。
イーニャは信じられないといった様子で一号を見た。彼女は一号が本当に自分の言葉を理解しているのか確かめようと思った。
「ここから下ろして」とイーニャは言った。すると一号は彼女に手を伸ばし、木の上からそっと優しく下ろしてあげた。一号は間違いなく言葉を理解している。そう確信したイーニャは言葉を失ったまま、長い間一号を見上げていた。
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