第7話「サンタクロース王妃」

「リリシラ様、朝ですよ」

 

 ルドウィックの声で目が覚める。

 昨日の疲れが、まだ取れない。

 あと、半日ぐらい寝ていたい。

 寝ぼけながらも、扉を開けた。


「リリシラ様……朝食ができましたよ」

「ルドウィック、疲れているの?」

「いえ、疲れなどいませんよ」

 

 ルドウィックは無理に笑ってみせた。


「私の勘違いね」

「今日は、お菓子パーティをされるんですよね?」

「ええ」


 今日は、丸一日、協働きょうどうの予定がない。だから昨日、お菓子パーティを開こうと、ルナセインと話していた。

 

 まさか、ルドウィックが知っているとは。

 いや……ルナセインが話したのだろう。

 お菓子パーティ——それぞれが作ったお菓子を並べ、食べあう遊び。

 私たちは、ただお菓子を食べるだけでなく、自分たちで作り、それを味わうのが好きだ。

 昨日、お菓子の国――ケートゥン王国で、色々なお菓子を見てきたことで、お菓子づくりの火が灯ってしまったからということでもある。

 

 朝食の後から、お菓子作りの始まりだ。

 

 朝食を済ませ、衣裳部屋へと向かおうとしたとき、ルドウィックに呼び止められた。


「リリシラ様、お話がございます」

「なんでしょうか?」

「サンタクロース会議の時に出た、あのたまあずさを覚えておりますか?」

「ええ、覚えています」

 

 『お母さんに会いたい』と書かれたたまあずさ

 

 死者の筆談を使って、実際のお母さんに聞いてみようみたいな話だった気がする。


「昨日、死者の筆談を行ったのですが……これを見てください」

 

 ルドウィックは二つ折りにした紙を私に渡した。

 その紙には、死者の筆談の会話の記録が書かれていた。

 いや、実際に使ったものだろう。

 

 最後の一文に目が留まった。


サンタクロースにすべて任せます。


「どうしましょう、リリシラ様」

「任せるって書いてあるし、サンタクロースが勝手に考えて渡せばいいんじゃない?」

「それはできません」


 ルドウィックは言い切った。


「それはどういうことですか?」

「サンタクロースが渡すものは、あくまで子どもが欲しいとたまあずさに書いてあるものです。

サンタクロースが勝手に考えたものではあってはいけません」

「でも、どうするの。任せるって書いてあるんだし……」

「それが問題なのです。サンタクロースにすべて任せるって何も渡さないと同じ、子どもはお母さんに会いたいと書いてくれたのに……」

「私に、死者の筆談をやらせてください」

「リリシラ様の手を煩わせるわけには……」

「これを対処できる人が、他にいらっしゃるのですか?」

「それは……」

「リリシラさん、やってください。お菓子パーティの件は延期にしましょう。こんなことがあっては、楽しめないです。どうでしょう?」

「ありがとう、ルナセインさん。ルドウィック、死者の筆談がある場所はどこかしら」

「ご案内いたします、リリシラ様」

 

 ルドウィックのあとをついていき、ある扉の前で足を止めた。

 死者の筆談っていうくらいだから、他の部屋とは違う扉かと思っていたが、そうではなかった。

 見た目は他の部屋と同じで、扉を開けてみないと見逃してしまいそうだ。


「リリシラ様、お願いします」

「ええ」

 

 扉を開けると、一人分の木の机と椅子が置かれている。

 机の上には、青銅の機械と二本の万年筆が乗っている。

 万年筆は、最近インクを入れたばかりなのか、あまり減っていない。

 青銅の機械が、死者と筆談を行うための装置なのだろう。

 機械のところに火が灯せそうなところを見つけた。

 そこに火を灯せば、機械が動き出すようだ。

 そして、一筋の光が机の真ん中に差していた。

 

 死者の筆談には準備がいる。

 まず、青銅の機械の前に紙を敷き、万年筆を機械に取り付ける。

 次に、火を灯すところに油がしみ込んだ綿を入れる。

 そして、機械に付いているレンズを動かし、光を綿に差すように調整する。

 あとは、一文を書いて待つだけ。


ルスマリナさん初めまして、リリシラと申します

 

 これで、準備完了。

 懐中時計を見ながら、待つこと一時間ほど経過したとき、火が灯るのがみえた。

 すぐに、レンズを動かし、光が綿に当たらないようにする。

 その後、機械が動き始めた。


お久しぶ……あれ? 初めまして、ルスマリナと申します。リリシラさん、お話しましょう

 

 と、機械が書いた。

 これは、死者と繋がったことでいいのかな。


ええ、もちろんです。

 

 様子見を兼ねて、了承の文を書いてみた。

 すると、機械が動き出した。


何を話しましょう? そうね、好きなものとか。

 

 好きなものなら、『お母さんに会いたい』のヒントになるかも。


いいですね。私は、お菓子が好きです。様々な見た目、色々な作り方、味のバリエーション、名前の響き、どれも愛しいですよね。

 

 思いつく話が広がる題材を出してみた。なにかに引っかかってくれと願う。

 私が文を書き終えると、一拍置いて機械が動き始めた。


マフィンが好きです。リリシラさんは?

 

 どれにも引っかからなかった。

 出しゃばりすぎたみたいだ。


ふわふわなのが好きです。ロールケーキとか、ショートケーキ、スフレとかですね。

 

 今、思いつく好きなものを挙げてみた。どのケーキも話が広がるに違いない。

 すぐに機械が動く。


ショートケーキ……あとは、わからなかったですが、煌びやかですね。なんだか、お姫様みたいです。

 

 これはまずいか……。

 文面で悟られてはいけない。


お姫様に見えます?

 

 平静を装って文を綴った。

 書き終えた途端、機械が動き始めた。


見えます、とても。

 

 打ち明けた方がいいかな。

 でも、打ち明けたら会話が終わってしまう可能性が考えられる。


いつも、お金を貯めて食べているんです。頑張って稼いだお金を使って食べるケーキはご褒美です。

 

 きっと、街の人はこう言うだろうと思って、それらしく書いてみた。

 五秒ほど間を置いて、機械が動き始めた。


ご褒美ね。私なんてマフィンがご褒美です。

いいじゃないですか、マフィン。私も大好きです。

 

 私は、少し食い気味に書く。

 

 その後、機械の動きが止まった。

 気分を害してしまったのかもしれない。

 私でも、どうすることもできなかった。

 しかし、火は消えていない。


すいません。私、出しゃばり

 

 私が謝罪の言葉を書いている最中、機械が動き始めた。

特別な日に、息子と一緒に、マフィンを食べています。私のだけピンク色の花を入れてね。

 このことを書くために、時間がかかっていたのだろう。

 きっと、思い出に浸っていたに違いない


ロマンティックです。息子さんがいらっしゃるのですね。

 

 ようやく息子さんの話題が出てきた。

 ここから自然に、息子さんの話へと移れるような文を書いた。

 書き終えた直後、機械が動き始めた。

 その様子は、まるで楽しげに筆を走らせているようだった。


そうなんです。今年で十歳。サンタクロースから好きなものをもらえる最後の日。私はどうして

 

 機械は、万年筆を紙に押しつけたまま止まった。

 ……故障したのだろうか。

 それとも、続きの言葉は言い出したくないことなのだろうか。


大丈夫でしょうか?

 

 心配の気持ちを綴った。

 その言葉に反応したのか、機械が動き始めた。


気にしないで。お花ね、オリベリアで摘んでいるのよ。

 

 オリベリアは、すべての花が咲いていると言われている場所で、私も幼い頃に行ったことがある。

 見渡せないほどの花畑に圧倒されて、混乱して倒れてしまった思い出がある。

 そういえば、花屋のリリーラさんはまだ行ったことがないらしく、いつか訪れてみたいと言っていたな。


マフィンに花を入れて食べるなんて、考えたこともなかったです。私も試してみようかしら。

 

 きっと、これがお母さんに会えるプレゼントになるに違いない。

 懐中時計の秒針が半周したとき、機械が動き出した。

 機械は、万年筆を強く紙に押しつけて書き始めた。


やらないでください。お願いです。もう、あんなことはリリシラさんには経験させたくありません。

 

 火が消えてしまった。

 マフィンに花を入れて食べてはいけないの?

 どうして?

 わからない。

 鬼気迫る感じだった。

 とりあえず、オリベリアに行って確かめるしかない。

 

 部屋を出ると、ルナセインが扉の近くで、両膝を曲げて、膝を手で抱え込むようにして眠っていた。

 私のことを待ってくれたのかな。


「ありがとうね、ルナセインさん」

 

 ルナセインの頭を触ると、口角がわずかに上がったように見えた。


「リリシラ様、どうでしたか?」

「うーん……」


 私は紙をルドウィックに渡した。


「……ルドウィック、オリベリアに行ってもいい?」


 ルドウィックは咎めてこない。

 あの体たらくな会話を見て、何も言いたくならないのかしら。

 それに、相手に打ち切られた形で終わったことを、疑問に思わないのかしら。


「リリシラさん」

「……」


 思わず、ルドッウィクから顔を背けた。


「明日、リリーラさんとオリベリアに向かってください。話はつけておきます」

「ええ、もちろんです」

 ルドウィックはこの紙を読んで、オリベリアに向かうしかないと確信したのだろう


                     ★


 ……眠い。

 それしても眠い。

 

 オリベリアは遠い所にあるため、月が輝いているときに行かなければならない。

 馬車を引いてくれているトナカイは、脚を折り曲げて眠っている。

 見積もりのとき、頑張ってくれたんだ。

 もう少し寝かせてあげたい。


「リリシラ様!」


 リリーラは大きい声で言い放った。

 眠っていたトナカイは飛び起きる。


 ……ごめんなさい、トナカイさん。


「リリシラ様、楽しみですね」

「ええ……」


 リリーラは鞄と一冊の本を抱えている。大辞典二冊分くらいの分厚い本。


「その本は、何ですか?」

ぜんさいしょ。すべての花の情報がここに書いてあるの」

「すべての花が……」

「意外と少ないって思った?」

「いえいえ……」

「人間が頑張って見つけて、色んな解析をしたものが、ここに載っている。人の叡智よ」


 リリーラの飛び切りの笑顔でそう言った。

 月の輝きに映る彼女の瞳は、いつにも増して輝いている。


「さあ、行きますよ、リリシラ様」

「ええ」


 私たちは、馬車に乗り込んだ。

 馬車の中でリリーラは、ぜんさいしょを見せてくれた。

 ぜんさいしょには、花言葉の項目はなく、文字がびっしりと並んでいて、箸休めみたいに小さく花の絵が描かれていた。


「ちなみに花の絵は、参考程度に留めておいてね」

「こんなに精巧に描かれていても、ですか?」

「そうよ」

「どうしてですか?」

「目をつぶってくれる?」

「――ええ」


 戸惑いつつも目をつぶった。

 本のめくる音が聞こえる。何をするつもり?


「目を開けてください」


 目を開けると、リリーラは花の絵に指をさしていた。


「これを覚えておいてね」

「ええ」

「目をつぶってください」


 もう一度、目をつぶる。


「目を開けてください、リリシラ様」


 再び、リリーラは花の絵を指さしていた。


「この花は、同じ花でしょうか? それとも違う花でしょうか?」


 先ほど見た花の絵を思い出してみる。

 確か、花がたくさん集まって、一つの丸い形を形成していたように見えた。

 今見ている花も、それと同じだ。


「……同じ花?」

「違います」

「いや、同じです」

「食い下がらないですね、王妃」

「その呼び名は、やめてください」

「今見ているのがオオデマリ。さっき見せたのは、アジサイ」

「——ということは?」

「本当にわかってない? 見た目が同じ見えても、違う花ってこと」

「今、わかりました」


 リリーラは呆れた表情で私を見ている。

 本当に分からなかった。

 白黒で描かれたあの花の絵は、書き写したみたいに似ていて、見分けがつかなかった。


「これで、何を伝えたかったのですか?」

「花は奥深いってこと……」


 リリーラはゆっくりと目を閉じ、私の肩に頭を乗せて眠ってしまった。

 私も、なんだか眠くなってしまった……。


「起きてください、リリシラ様」


 リリーラが、私の体を揺さぶった。


「ええ……」


 目を半分だけ開けて、周りを見渡す。

 扉は開いていて、向こうには白い花が咲いていた。


「もう着いたの……オリベリア」

「そうよ、早く行きましょう」


 リリーラは私の手を引っ張り、馬車から外に出した。

 顔を見上げると、白い花が広がっていた。

 小さい頃に行ったときは、もっと色とりどりの咲いていたような。


「リリシラ様、行きますよ」

「ええ」


 リリーラに引っ張られ、進んでいく。

 オリベリアは、人間が通れるようにならされた道はなく、花の中を進んでいくことになる。

 葉っぱが足に触れて、くすぐったい。


「リリシラ様は、小さい頃に行ったことがあるんですよね?」

「ええ」


 リリーラの引っ張る力が強くなる。


「オリベリアって白い花しかないのかしら? リリシラ様」

「いえ、必ずこの先に、色とりどりの花が迎えてくれます」

「そうよね。そうよ……この先に、白以外の花があるのよね」

「ええ」


 リリーラは納得してくれた。

 馬車を飛び出してから、同じ花しか見えてないのだから、不安になるのも当然だ。

 もし、花を見るためだけに来ていたら、このあたりで引き返していたかもしれない。

 小さい頃の私は、どうやって色とりどりの花たちを見つけたのだろう。

 子どもの無尽蔵の体力を使って、走り回って見つけたのだろうか?


 ……早く見つけたい。


「リリーラさん、一緒に走りませんか?」

「いいですね、お花に囲まれた中のかけっこ……楽しそう」


 リリーラは私の手を握り直した。


「よーい、どん」


 リリーラの掛け声と同時に走り出した。

 どうして私の手を握ったまま走っているのだろう。

 はぐれないため?

 一緒に走ろうと言ったから?


 ……わからない。


 ペースが少しずつ上がっていき、リリーラの背中が見えてきた。


「ごめん、リリシラ様、はしゃぎ過ぎたみたい」


 そう言って、私のペースに合わせてくれた。


 ……本当にありがたい。


 これ以上ペースが上がったら、花をたくさんへし折りながら、倒れてしまうかもしれないと思ったからだ。


「はあ、はあ……見えてきたよ。リリシラ様……」

「……」


 走るのに精一杯で、口から言葉が出ない。

 白から赤に変わる狭間が見えてきた。

 この先に、小さい頃に見た景色がある気がする。


 私たちは走り続けた。

 白い花が視界から消え、色とりどりの花々が風に揺れているのが見えた。


「リリシラ様、ありましたね」

「……そうね」


 思わず息をするのを忘れて、目の前に広がる光景を眺めていた。

 太陽に反射して輝く色とりどりの花たち。

 小さい頃に見た、あの光景だった。


「リリシラ様、これからですよ」

「ええ」


 私たちは、ピンク色の花が咲いている場所まで歩いた。


「食べられるもので、ピンク色の花だよね?」

「ええ」

「だったら、検討はついている」


 リリーラは、ピンク色の花の中に入っていき、一輪の花を持ってきた。


「これだと思う」


 リリーラが持ってきたものは、色鮮やかなピンク色で、中心に近づくたびに白くなるグラデーションの花だった。


「この花って、なんていう名前ですか?」

「これは、デンファレという花。サラダとか、料理の飾りつけに使われることがあるかな」

「本当に食べられるんですね」

「そうよ。では、摘んでいきましょうか、リリシラ様」

「ええ」


 二十輪ほど摘んで、リリーラに渡した。


「退散しますか、リリシラ様」

「ええ」

「手袋付けて、摘んだ? リリシラ様」

「ええ、手袋をはめて摘みましたよ」

「一つだけ、違う花が混ざっていたよ」

「そうですか……間違えてしまいました。私が間違えたのは、どんな花ですか?」

「キョウチクトウ……毒の花です」

「――毒の花?」

「そう。ルスマリナさんが間違えてしまった、例の花よ」

「リリーラさん、どうしてこの花を食べたってわかるのですか?」

「リリシラ様が見間違えて持ってきたのを見て、思い浮かんだの。断言してしまったことは謝ります」

「いえいえ、謝らないでください。気になっただけですから」


 馬車に乗り込み、リュナリア王国に戻った。

 すでに太陽は沈んでいて、街灯の照明が点いている。


「リリシラ様、あとはお願いしますね」


 リリーラは念を押すように言い、自分の家に帰っていった。

 王宮に戻ると、入り口付近でルドッウィクが待っていた。


「おかえりなさいませ、リリシラ様」

「調理場、借りられるかしら」

「申し訳ございません、リリシラ様。もう片付けてしまいまして、明日の朝まで出入りができないのです」

「そうなのね。わかったわ」

「リリシラ様、明日パシェードに行ってみてはいかがでしょうか? あの方たちと一緒のほうが、道が切り開かれるのではないかと思いまして」

「……ええ、そうするわ。おやすみなさい、ルドウィック」

「リリシラ様も、ゆっくりお休みください」


                        ★


 翌朝、ルドウィックの言う通りに、パシェードに行ってみることにした。

 パシェードに入ると、ミシルが走ってきた。


「リリシラ様、ルドウィックさんから聞いたよ。花入りのマフィンを作るんだよね」

「ええ……そうよ」


 話が早い。

 私たちがオリベリアに行っている間に、話をつけていたのだろうか。

 工房室に入ると、先にフィシィルが、マフィンに必要な材料をテーブルに並べていた。


「リリシラ様、早いですね」

「居ても立ってもいられなくて」

「リリシラ様らしいですね」

「私らしいですか?」

「はい」


 ミシルとフィシィルが声をそろえて言った。

 なんか複雑な気持ちになる。


「花はどうやって入れるの、リリシラ様?」


 ミシルは興奮気味に尋ねてきた。


「それはね……わからない」


 何も考えてなかった。

 花はそのまま入れるのかな。

 それとも、何か加工するのか……。


「とりあえず、リリシラ様が思いつく方法でやってみようよ」

「ええ、そうね」


 私が思いついた花の加工は三つ。


 一つは、型にそのまま花を入れて焼き上げる。

 二つは、卵と片栗粉を使って揚げ物にする。

 三つは、五輪ほどすりつぶして、ジャムのようにする。


 このやり方で、一度試してみよう。


 マフィンの作るやり方は、今まで通り。

 鉄のボウルにバターを入れてクリーム状になるまで混ぜ、砂糖、塩、卵を加えてさらに混ぜる。

 そして、薄力粉とベーキングパウダー、牛乳を加えて混ぜ、型に入れてオーブンで焼き上げる方法だ。


 とりあえず、三つ作ってみた。


 三つの中身には、私が思いついた花の加工がそれぞれ入っている。


 白い皿にマフィンを並べた。

 見た目はどれも同じで、どれがどの加工を施したマフィンなのか、わからない。

 一番手前のマフィンに手を伸ばし、三等分に分けた。


 ミシルは大きく口を開けマフィンを口に放り込み、二、三口噛んだところで首を傾げた。

 その後も、首を傾げながら食べている。


 フィシィルの方を見ると、なんとも言えない表情で食べていた。

 不思議な味がするのだろうか。


 私もマフィンを口に入れる。

 マフィンの甘味が口に広がる。


 ……やっぱりおいしい。


 途中、何かが口に触れたが、なんだったのだろう。


「リリシラ様、この花いらない」


 ミシルがとんでもないことを言い出した。


 花がいらない?

 それでは普通のマフィンになってしまうし、本末転倒になるじゃない。


「あまり花の要素が感じられないですね」


 フィシィルはそう言った。

 フィシィルが言っていることもわかる。

 食べているときに、花独特の甘さは感じられなかったし、風味も消えていた。

 もしかして、焼き上げた瞬間に風味が失ったのかな。


「真ん中のマフィン食べていい?」

「三等分にするから、ちょっと待って」


 真ん中のマフィンを包丁で三等分にして、ミシルに渡した。

 ミシルはさっきよりも小さく口を開き、半分だけ口に入れる。

 噛むたびに、ミシルの頭が少しずつ下がっていく。


 私とフィシィルは口の中に入れた。

 甘いマフィンに、サクサクの衣。

 歯ごたえはいいけれど、衣の中は油まみれで、正直まずいと言っていい。


「リリシラ様、最後のマフィン食べてもよろしいのでしょうか?」

「ええ、どうぞ」


 ミシルは大きく口を開き、マフィンを口に放り込んだ。

 リスみたいに頬を膨らまし、ちびちびと口を動かしている。


 私とフィシィルも口の中に入れた。

 これは三つのなかで、一番うまくいった。

 マフィンの甘さと花の甘さがうまく組み合わさり、独特のお菓子に変わっている。

 しかし、青臭い。

 最初は花の甘さを感じていたけれど、途端に青臭くなり、マフィン全体の味が損なわれてしまった。


「フィシィルさん、味はどうですか?」

「最初はね、良かったけれどね」

「ミシルはどう?」

「あのね、うーん……」


 ミシルは口元を手で押さえながら答えてくれた。

 でも、リスのように食べているせいで、あまり聞き取れなかった。

 その後ミシルは、口に入れたものを飲み込んだ。


「なんか、変な味がした。一番きらい」


 ミシルはそう言って、コップに水を注ぎ飲んでいる。

 よほど青臭さが口に残っているようだ。


「砂糖菓子にしてみますか、リリシラ様?」

「花を砂糖菓子にするのですか?」

「そうです。私も作ったことはありませんが、試してみる価値はあると思います」


 さっそく作業に取り掛かった。

 花びらを一枚ずつ取り、丁寧に洗ったあと、水分を拭き取り、卵白を塗って、グラニュー糖をまぶす。


「本当は、卵白がなくなるまで冷蔵庫に寝かすのだけれど、今回は試作だから、オーブンで乾燥しちゃうね」


 とフィシィルは言い、オーブンで乾燥させた。


 オーブンから取り出すと、見た目は、雪で凍ったような透明感に満ちていた。

 触ってみると軽く、手にグラ―ニュー糖がついた。


「これをマフィンに入れるんだよね?」

「ええ」


 ミシルは型にマフィンの生地——クリームを半分ほど入れ、砂糖菓子になった花を入れて、蓋をするようにクリームを重ねた。


 マフィンが焼きあがるまで、フィシィルはオーブンのじっと見つめていた。

 焼き上がると、フィシィルはオーブンからマフィンを取り出し、白い皿に乗せて、満面の笑みで言った。


「出来ましたよ、リリシラ様。お召し上がりください」


 二人に見られながら、マフィンを口に入れた。

 マフィンの素朴の甘さに、シャリシャリした砂糖菓子の食感がとても合っていておいしい。

 砂糖菓子になった花は、嫌な青臭いものはなく、花の甘味が引き立っている。


「どうでしょうか? リリシラ様」

「とっても、美味しいわ」

「そうですか……嬉しいです。では、私も」


 フィシィルは満面の笑みでマフィンを口に入れた。

 それを見たミシルもマフィンを口に放り込んだ。

 ミシルとフィシィルに味の感想を聞こうとしたが、あの笑顔で食べているのを見れば、言葉にしなくても伝わってくる。


「それにしても、これ新しいね。ふわふわにじゃりじゃりした食感が癖になる……」


 ミシルはつぶやいた。


「お母さんも、そう思います。リリシラ様もそう思いますよね?」

「――ええ」


 あの笑顔で言われると、少し急遽しちゃうな。


「リリシラ様、これをお持ち帰りください」

「——これは」


 小さな透明の袋に入ったマフィン。


「ルスマリナさん用よ」

「ありがとうございます」


 私は、パシェードをあとにした。


 これを見せたら、ルスマリナさんも喜んでくれる。

 そう確信した私は、浮足立ちながら死者の筆談に入った。


 前回と同じ準備をして、マフィンを机に置き、一文書いた。


お久しぶりです、ルスマリナさん。


 すぐに火が灯り、機械が動き出した。


先ほどは申し訳ございません。


 やっぱり、あのことを反省しているんだ。

 そうだ、マフィンを見せたら、きっと喜んでもらえるに違いない。


マフィンを作ってみたんです。


 机の端に置いたマフィンを、真ん中の一筋の光が差す場所へと動かした。

 どうやって見ているのかはわからないけれど、もし見えていたなら嬉しい。

 

 機械は強い力で万年筆を紙に押しつけ、動き始めた。


どうして、そんなものを作ったのですか?


 また......怒らせてしまった。

 死者の筆談が終わってしまう。

 何か書かなくては。


息子さんが喜んでくれると思って。


 書いたあと、後悔した。

 どうして、火に油を注ぐような言葉を書いてしまうんだろう、私。


 機械は強い力で万年筆を紙に押しつけ、動き始めた。


これが、リリシラさんが思う最善のプレゼントなんですね。


 紙が破けそうなほどの強い力で、文字が書きつけられている。

 なんとか、会話を続けなくては。


オリベリアは良い所ですね。たくさんの花があって楽しかったです。


 オリベリアの話題に切り替えて、なんとか流れを持ち直そう。


 機械は変な音を立てながら、強い力で万年筆を紙に押しつけ、動き始めた。


話を逸らさないでください、リリシラさん。


 ……怖い。

 頭が真っ白になってしまった。

 何も考えられない、時計の針だけが聞こえている。


 機械が動き始めた。


大丈夫でしょうか?


 機械は動いている。

 

 会話はまだ続けられる。


 でも、何を書けばいいのかわからない。

 首元に、ふわりと違和感が走った。

 それは、優しいぬくもりだった。

 手で触れると、それはマフラーだった。


 マフラーを外す前に筆談を始めてしまっていたことを、今ふと思い出した。

 私が死者の筆談に乗り出したのは、それを他人事だと思えなかったからだ。


 父を亡くした私と、母を亡くした子ども――その境遇は、どこか重なっている。

 何かしたいという思いで、ここまで来たのだ。

 だからこそ、ここで食い下がるわけにはいかない。

 私は正直の想いをつづった。


大丈夫です。マフィンを作った理由は、思い出がきっとお母さんを身近に感じられると思ったからです。


 機械は動き出した。


思い出?


 そのあとを、私は書いた。


そうです。実際には会えません。しかし、思い出は振り返ることができます。振り返っているときは、実際に会ったときと同じ気持ちになれるんじゃないかと思いまして。


 私の伝えたいことを書けた。

 もうこれ以上のことは思いつかない。


 少し時間を空け、機械が再び動き出した。


そういうことですか。私もサンタクロースにすべて任せますと書いたのに、つい語気を荒げてしまいました。


 納得してくれたみたい。


 ……良かった。


いえいえ、それほど、息子さんを考えられているといことですから。


 私が書いた直後、機械が動き始めた。


ありがとうございます。七年前、初めて花を砂糖菓子にしてマフィンに入れて食べてみたんです。花の味はあまりしませんでしたが、少し豪華なショートケーキのような幸せを感じたのです。それから、特別な日に作っていたんです。息子も食べたがっていましたが、こんなものに感動してほしくなくて。どうせなら、私が食べられなかった本物のショートケーキを食べてほしくて、食べさせませんでした。それが、幸運でした。一年ほど前、オリベリアに行き、少し変わった花を入れて食べてみたんです。それが、間違いでした。濁流が口から出て、立っていられなくなり、それからこんな調子です。


それは、大変でしたね。


 どこか他人事のようで、心にもない言葉しか書くことができなかった……。

 

 機械が動き出した。


でもね、リリシラさん。私、花入りのマフィンを渡してもいいと思います。落ち込んでいる息子に少しでも勇気づけられるなら。

 

 ……ちゃんとした返しをしなければ。


勇気づけられると思います。

 

 これしか思いつかなかった。

 もっと、ふさわしい言葉があったはずだ。


 そう考えている最中に、機械が動き出した。


ありがとうございます。最後の会話が出来てよかったわ、サンタクロース王妃。

 

 火が消えた。


「……もっと会話がしたかったよ、ルスマリナさん」

 

 涙がこぼれ落ちる。

 紙に染み込み、インクがにじんでいく。

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