第2話

「よう、裕次郎」


「おう、半蔵」


 朝。教室に入って、友人の半蔵と挨拶を交わす。


 彼は服部半蔵。まるで忍者のような名前だが、当然忍者ではない一般人である。小六で同じクラスになってからの付き合いなので、雛子程ではないが幼馴染と呼べなくもない間柄である。


「今日って英語の小テストがあるんだっけ?」


「確か、ワークの32ページからだったはず」


「サンクス」


「ちょっと裕次郎!!」


 友人との何気ない会話。それを引き裂いたのは、今教室に入ってきた人物だった。


「何勝手に一人で学校行ってんのよ!」


「ノア……」


 声を張り上げながら俺に迫ってくるのは、一応恋人であるノア。長い茶髪を振り回し、青い瞳を怒りに染めて、整った顔立ちを歪める様は、はっきり言ってとても恐ろしい。


「で、でも、今日は先に行っていいって……」


「知らないわよそんなこと! 朝は毎日迎えに来いって言ってるでしょ!」


 怒り狂うノア。話が全く通じない。


 昨日の帰り道で、ノアからは「明日は迎えに来なくていい」と言われていたので学校に直行したのだが……どうやら昨日言ったことを忘れているらしい。


 ノアは我儘で気分屋だ。朝令暮改は日常茶飯事である。自分の発言をすぐ忘れる。でも、忘れてる可能性を考慮して動こうものなら、もし覚えていた場合に機嫌を損ねてしまう。


「あんたは私の彼氏でしょ!? 彼氏だったら、登下校はちゃんとエスコートしなさいよ!」


「ご、ごめん……」


「全く……」


 頭を下げて謝罪すると、ノアは矛を収めてくれた。


 自分の席に向かって歩いて行くノア。他の生徒は静まり返っていたが、ノアの怒りが静まったのを皮切りに元の喧騒を取り戻す。


 クラスの連中はノアから距離を取っている。基本的に俺がノアの相手をするから、全て俺に押し付けているのである。とはいえ、こいつが面倒な奴なのは疑いようもない事実なので、それも仕方ないことだと思うが。


「相変わらず、大変だな……」


「まあな」


 ノアが去って、半蔵が同情してくる。


 ノアから庇ってくれることはないものの、俺に寄り添ってくれるだけで十分すぎるくらい心の支えになっている。


 まあ、下手に歯向かって半蔵までノアに目をつけられたら敵わないので、それくらいが丁度いいのだが。





「裕次郎!」


 昼休み。ノアがまた絡んできた。


「なんで飲み物買ってないのよ!」


「……悪い。今から買ってくる」


 パシリを通り越して、事前に用意しておけという理不尽な要求。とはいえ、これに関しては俺が悪い。いつも昼休みには飲み物を買いに行かされているのに、用意するのを忘れていたんだから。


「あいつが好きなの、遠くの自販機でしか売ってないんだよな……」


 飲み物を求めて、校舎の反対側へと向かう。早くしないとまたどやされるし、急ごう。


「……あ」


「あ」


 その途中、廊下で雛子と遭遇した。彼女とは違うクラスだが、休み時間に廊下で出会う可能性は普通にあった。


「「……」」


 だけど、俺たちは特に会話することもなく擦れ違った。


 学校では、俺と雛子は他人の振りをすることにしている。雛子がノアに目をつけられないようにするためである。


「……はぁ」


 けれど、それだけではない。ノアのことがなくても、雛子は俺から距離を置いただろう。思い出すのは、昨日の会話。



  ◆



「ウチ、ブスだから……ゆーちゃんとは釣り合わないよ」


 雛子に泣きついた俺に、彼女は悲しそうに顔を歪めてそう言った。


「そ、そんなこと……」


「あるよ」


 雛子の言葉を否定しようとしても、被せ気味に肯定された。


「だって、そう言ったのは……ゆーちゃん、でしょ?」


「っ……」


 そして差し込まれたのは、俺の罪。かつての過ち。


 雛子とは幼い頃、物心つく前からの付き合いだ。けれど、小学校高学年辺りから、俺は雛子のことを揶揄うようになった。


 男女の差を意識するようになって、今までのように仲良くするのが恥ずかしくて。それに加えて、今まで以上に外見を意識するようにもなって、雛子がブスであることも気になってしまった。


 だから俺は雛子のことをブス、ブスと揶揄するようになったのだ。


「ご、ごめん……」


「ウチはもう気にしてないけど……他の人が気にするでしょ?」


 それもあってか、雛子は自己評価が低い。気にしていないとは言うけど、体面を意識して自分を卑下している。


 当時の俺は浅墓だった。雛子は素晴らしい女性だ。ブスであることは客観的事実ではあるが、そんなのは些細な問題である。


 ノアに出会って、酷い目に遭わされて、ボロボロになった俺を、癒してくれたのは雛子だった。散々馬鹿にしてきたにも関わらず、雛子は優しく接してくれた。それでようやく、俺は雛子の魅力に気づいたのだ。


「ゆーちゃんがノアちゃんと別れたいのは知ってるけど、仮に別れたとしても、ウチと付き合うのだけは止めよう?」


 俺の頭を撫でながら、雛子が優しく諭してくる。そんな彼女に、俺はそれ以上否とは言えなかった。


 今まで外見を馬鹿にしていたのに、ノアが現れた途端に手のひら返しをするのはあまりにも都合が良いというものだ。だからこそ、雛子のネガティブな自己評価を覆すことが出来ない。


「……」


 俺はせめてもの抵抗として、無言で撫でられるのだった。

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