玻璃の回廊 ― The Corridor of Glass Souls ―【Warhammer 40,000】

Isuka(交嘴)

第1話 Side: T’au Empire

 惑星ヴァル=セリスの軌道上に、青白い廃墟が浮かんでいた。

 タウ帝国探査艦〈テッサラ〉の観測記録では、既知の技術体系には該当しない構造物――それは、あまりに“生きすぎていた”。

 表面の膜がわずかに鼓動し、光が神経のように流動している。

 まるで呼吸する巨大な生体。

 シャ=レンは通信席に座り、光学窓の奥でそれを見つめた。

 理性の艦に在って、その光景は静かに彼の信条を侵食した。


 「生体反応、安定しています。けれど……有機波形の周期が一定ではありません」

 通信士が報告する。

 分析画面に映る波は、論理的秩序を拒むように揺れていた。

 音にすれば、きっと“律”になる――理ではなく。


 「周期ではなく、拍で捉えろ」

 シャ=レンは低く命じた。

 彼は外交官であり、異文明との言葉を持たない交信を幾度も経験してきた。

 だが、これほど“感情的な信号”は初めてだった。

 翻訳AIが解析を試みる。波形の中に、わずかに音楽的な構造が見える。

 “歌”――誰かがそう呟いた。

 その言葉を否定できなかった自分に、シャ=レンは小さく息を呑んだ。


 理性で測れぬ美を、彼は初めて“敵”と呼びそうになった。



 〈テッサラ〉の通信中枢に、奇妙な詩が流れ込んだのは数分後だった。

 翻訳AIが、構文を組み替えようとして壊れた。

 出力された文字列は意味を持たず、ただ整然と美しかった。

 「……光は理を呼び、理は影を照らす。影は心を包み――」

 誰かが読み上げた。

 シャ=レンの脳内で、同じ句が音もなく反響した。

 言語ではない。直接、思考の中に滑り込んでくる。


 「侵入だ」副官が叫んだ。

 「違う」シャ=レンは遮る。「侵入ではない。これは――触覚だ」

 意味を説明できない。だが確信があった。

 この通信は攻撃でも意思でもなく、“接触”そのもの。

 彼らは、言葉を持たない祈りでこちらを撫でている。


 だが、理性の艦はそれを理解しない。

 翻訳装置が誤動作し、機械的な防衛警告が鳴った。

 艦のAIが“精神干渉の可能性”を検出し、信号を遮断しようとする。

 その瞬間、艦橋の光が一瞬だけ暗転した。


 「中断するな」シャ=レンは叫んだ。

 「これは対話だ。まだ――」

 彼は入力端末に詩を打ち込む。

 それは祈りにも似た構文だった。

 「光は理を呼び、理は影を照らす。

  影は心を包み、心は言葉を探す。

  言葉は届かず――沈黙が残る。」


 送信。


 光が走った。

 艦の外殻が共鳴し、反応光が宙に滲む。

 〈アール=サレウス〉の側でも、同じような光が脈動した。

 まるで二つの心臓が、同じリズムを探しているかのようだった。



 だが、その共鳴は短かった。


 翻訳AIが臨界を越え、ノイズを自己防衛信号と誤認した。

 自動防衛システムが作動。

 艦内の警告灯が点滅し、冷たい声が響く――「敵性通信、確定」。

 シャ=レンは立ち上がる。

 「停止しろ。攻撃命令は――」

 だが、その言葉の途中で、艦が震えた。


 エネルギーラインが点火された音。

 兵装制御が自動的に起動。

 遠方、〈アール=サレウス〉の外殻にも光の環が浮かぶ。

 どちらも防御のつもりだった。

 だが、宇宙は意図を翻訳しない。


 光は光を呼び、理は理を照らす。

 同じ句が、異なる意味で交錯する。

 タウの理性が秩序を守るために光を放ち、

 エルダーの意志が恐れを鎮めるために光を返す。


 そして、干渉波が重なった。


 音もなく、閃光が走った。

 衝撃はなかった。代わりに、世界が一瞬だけ静止した。

 通信が途絶える。観測窓の外で、青い粒子が雪のように漂う。

 誰も命令を出していない。

 だが、戦いは始まった。


 シャ=レンは椅子に座り直し、震える指で記録を保存した。

 その瞳に映るのは、理性を超えた光の舞。

 恐怖でも怒りでもない。

 それは、名も知らぬ美への畏れ。


 「沈黙は、理性より速かった。」

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