天埜陸孫
神月
第1話
平和な日々が続くと思っていた。
優しく愛情深く教養を付けてくれた母と、生きるための術ーー馬術や武術を叩き込んでくれた父の二人の子供として生まれ育ち、僕は心から良かったと思う。
二人は僕の誇りだ。
二人にとっても僕が誇りであって欲しくて、毎日、日が昇る前から武術の稽古を行い、日中は与えられた仕事をこなしていた。部族のみんなからは年齢を重ねる毎に頼りにされるようになり、僕の活力となった。
より強く、頼りにされるように努力を重ねてきたが、ここ最近は疲れが見え始めてきたので、夕方の僅かな休み時間に気分転換に出掛けている。
今日は農作物の世話を行っていたため、休み時間がいつもより少なくなってしまった。
畑から馬の厩舎へ向かう途中、幼い子供達に武術の稽古を付けた帰りの父に遭遇した。僕の髪色より深い赤金色の髪に、深い緑の瞳をした父は、部族の中で一番背が高く、威圧的だ。
無表情で何を考えているのか分からないと、初対面の人や小さい子供達に泣かれてしまう事が多いが、実際は感情を表情に出さないだけで情に厚い男だ。今も数人の子供達が父の足に絡んでいるが、父は振り払う素振りを見せず、むしろ気を遣いながら歩いていた。
僕はフッと笑みを零し、足を止めた。
「父さん!」
「八雲か、どこへ行く」
「今日の仕事は済ませたので、愛馬と遠乗りに行こうと思いました」
「日が暮れる前には帰るのだぞ」
「はい!」
僕は二つ返事を返し、厩舎へ急ぐ。
辿り着くと、厩舎番に声を掛けて中に入る。僕が夕方、愛馬に乗って遠乗りをしていることを知っている厩舎番は「暗くなる前に帰ってくるんだぞ」と軽い注意だけをしてくれる。
心配してくれて嬉しいような、子供扱いされて恥ずかしいような、微妙な気持ちになった。
僕は愛馬の元へ行き、彼の背を優しく撫でた。
「今日もよろしく頼みます」
愛馬は鼻息を荒くして答えてくれた。
彼の背中に乗ると、僕は入ってきた方とは逆の出入り口から外へ出て馬を飛ばす。
村にいる間は速度を落とすが、外に出た瞬間、一気にスピードを上げる。
辺り一面、緑色の草原が目の前に広がる。
草と、空と、太陽しかない空間。
風が髪を踊らせ、馬に息を合わせて先へ進む。
僕が一番好きな瞬間だ。自分が風になり、世界の一部になっている感覚がするからだーー。
しばらく走り続けていると、空と緑しかない空間に一本木が小さく現れた。近付くとどんどん大きくなり、一本木の根元まで行くと、高さ十メートルはあるだろうか。見上げるくらい高く、立派な幹を支えに立っていた。
草原の真ん中に何故、木が、しかもたった一本だけ立っているのか。
最初に見つけた時は気になり、村の大人達に聞いて回ったが誰にも分からないとのことだった。結果、一本木が立っている理由を知る術がないことが分かったのでそれ以上は考えないことにした。
僕は手綱を引いて、一本木の横で馬に止まって貰った。
いつもは止まらず、一本木の周りをグルリと回って、来た道をUターンしているのだが、今日は何となく夕日が見たかった。
ー それが正しい選択だったのか、何年、何十年経った現在(いま)でも分からない。
けれど、その選択が僕の運命を大きく変えたのも、また事実だった。 ー
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