キスキル 〜キスで目醒める最強スキル〜

沙飯ゆきます

プロローグ 全て奪われた

 ここは、とある王国の城の中にある修練場。

 容姿端麗な少女が艶やかな黒髪をなびかせ、父の前で演武を披露している。


「――お父様! 今の動き、どうだったかしら?」


 額や首筋に爽やかな汗を滲ませ、少女は父に尋ねた。


「うむ。随分と腕をあげたようだな。さすが我が娘だ」


 少女の父は、たっぷりと蓄えた顎髭を触りながら満足そうに頷く。


「ありがとう! でも、まだまだよ。私もっともっと強くなりたいの」


 父親からの賛辞に少女は慢心することなく、再び汗を流し始めた。


「もっと……もっと強くならなきゃ。この国を守るために……!」


 少女のブラックオパールのような美しい瞳の奥は、覚悟と執念の炎に燃えていた。


「精が出るのは結構ですけど、無理のしすぎは体に毒ですよ」


 演武に没頭する少女に声をかけたのは、白いローブに身を包んだエルフの男性だった。少女は動きを止め、エルフの男性に反応する。


「私、なんだか今日はすごく調子がいいの! 無限に動けちゃいそうな感じ」


 軽快なステップを踏みながら、少女はエルフの男性に朗らかな笑顔を向けた。


「そういう時って、後で一気に疲れがきて動けなくなってしまうので、気をつけてください」


 元気いっぱいに動き回る少女にエルフの男性は注意喚起しつつも、その気持ちがいいほどの快活ぶりにニッコリと微笑んだ。


「そうだな。あまり根を詰めすぎるのも良くない。少し休憩としよう」


 少女の父親はそう言って、使用人たちに休憩の準備をするよう伝えた。たちまち使用人たちは食事と飲み物を用意し、準備が完了したことを父親に伝える。

 父親は娘に声をかけた。


「おーいセリーナ。食事の用意ができたようだ。こちらに来なさい」


「えー、今いいとこなのに」


『セリーナ』と呼ばれた少女は、少し不満そうな様子で父の元へ向かう。


「お前は少々頑張りすぎるところがあるからな。こうして止めてやらんと、気絶するまで修練に励むだろう」


 父親からの指摘に対し、セリーナはバツが悪そうに頭をかいた。


「そうですよ。努力家なのは良いことですけど、貴女はいずれこの国の未来を背負う立場のお方。お身体は大切になさってください」


 エルフの男性も、セリーナの身を案じて優しい口調で彼女を諭す。


「もぅ……わかったわよ」


 少し頬を膨らませつつ、セリーナは父親の後を追って食堂へ移動した。




 食堂には、パンやチキン、スープにフルーツといった多様な食事が並んでいる。

 激しい運動の直後に食べる食事としては、いささか不適切にも見えるようなラインナップだが、セリーナはそんなこともお構いなしに、次々と食事を口に運んでいく。


「……ところでセリーナよ。そろそろ意中の相手は見つかったか?」


 食事中、父親が不意にセリーナに声をかけた。急な質問に、セリーナは少し咽せてしまう。


「い、いきなり何を言い出すのよ、お父様」


「いや、お前が自分で『一生を添い遂げる相手は自分で見つけたい』というから、私は縁談を全て断っているのだ。お前ももう15歳になる。将来を考える相手の1人や2人、できたのか気になってな」


 父親は穏やかな目線で娘の様子を伺う。


「残念なことに、まだ見つかってないわ」


 セリーナは切り分けたチキンをフォークで持ちながら、ため息をついた。


「なんかこう……『ガツン』と来るものがないのよね」


「セリーナ王女の強かさについていける男性は、そうそういないでしょうからね」


 白いローブをまとったエルフは、そう呟くとハーブティーをすすった。


「そうなの。組み手をしても大したことない人ばっかり! みんな根性なしなんだから……」


「また町の広場で野良試合フリーファイトをやったんですか?」


 エルフは呆れた顔でセリーナに尋ねる。


「うん。『私とデートする権利』を賭けて挑戦者を募集したんだけど、120人連続で勝ち抜いたら日が暮れちゃった」


 あっけらかんとした様子で応えるセリーナに対し、エルフはため息をひとつ吐いた。


「……貴女はこの国の王女なんですから、あまり軽率に民と組み手をしないでください」


「えー? だってお城で私とまともに組み手ができるの、もうお父様くらいしかいないじゃない」


「それはそうですが……。外は危険です。いつまた“奴ら”が襲ってくるか……」


「だからその日に備えて、毎日トレーニングしてるのよ。野良試合フリーファイトも実戦経験を積むための大事な訓練なの!」


「王女様の熱意は十分伝わってますが、この国の世継ぎとなられる身であるということは、ご自覚いただかないと」


「もーわかってるってば! 相変わらず口うるさいんだから。イーズは」


「私は王女様の身を案じて……」


「はっはっは。良いではないか」


 言い争っていたセリーナとイーズの間に、セリーナの父である国王が割って入った。


「セリーナよ。ゆっくりで良いから自分の目でしっかりと見定めなさい。共にこの国を治めることになる、将来の相手を」


「はい、お父様。私、いつか素敵な相手を見つけてみせるわ」


 そう言って、セリーナは曇りのない眼差しを父に向けた。




 食事が一通り終わったセリーナは、女性使用人に声をかけた。


「ねえ、お風呂の用意をお願いできる?」


「かしこまりました」


 セリーナに向かって軽くお辞儀をすると、女性使用人はそそくさと風呂の準備に動き始めた。


「おや、今日の修練はもう良いのですか?」


 エルフのイーズがセリーナに尋ねる。


「イーズの言う通り、時間が空いたらなんか急に疲れてきちゃって……」


 セリーナは照れた様子で舌を出した。イーズは柔らかく微笑む。


「自分の疲労に気付けるようになったのは、大きな成長ですね。お風呂でゆっくり、疲れを癒してください」


「はーい♪」


 子供らしい無邪気な笑顔を見せ、セリーナは脱衣所へと向かった。




「お世話はいらないわ。今日は1人で入りたい気分なの」


「左様でございますか……」


 セリーナからの要望に、女性使用人はゆっくりとお辞儀をする。


「では、何かございましたらいつでもお申し付けくださいませ」


「うん。そっちも何かあったら呼んでちょうだい」


「かしこまりました」


 そう言って、女性使用人は脱衣所の扉を閉めた。




「ふん、ふん、ふーん♪」


 セリーナは鼻歌まじりに脱衣し、浴室へと足を踏み入れる。独り占めできる今日の浴室は、いつもより広く見えた。

 足先からゆっくりと、セリーナは湯船に浸かる。


「はぁ〜……生き返るわぁ〜〜……」


 彼女は今日は朝から10時間以上トレーニングに励んでいた。イーズや父の言う通り、気付かないうちに相当な疲労が溜まっていたようだ。

 のんびりと入浴を楽しみながら、セリーナは未だ見ぬ将来の相手のことをぼんやりと考える。


(……私って、どんな人がタイプなのかしら? 町でたくさんの人と組み手をしてみたけど、正直よくわからないのよね……)


 セリーナは町で組み手を交わした男たちの顔を思い浮かべるが、どいつこいつも『血気盛んな単細胞』という印象しかなかった。


(武術に積極的なのは良いんだけど、それだけじゃね〜。ならせめて私より強い人じゃないと……)


 武術の嗜みがある男はまだマシで、セリーナのことを『女だから』と舐めてかかるようなド素人の愚か者は話にならない。


(私に挑んでくるような男とは、正反対の性格の子が案外好きだったりして……)


 しかし、そんな男は決して彼女の前に現れない。


 なぜなら、セリーナが武術の達人であることを知らぬ者など、この町に存在しないからである。

 デートを賭けて、セリーナに組み手を挑むような野蛮な男とは正反対の性格をした男は、そもそも彼女に近づこうとしないのだ。


(はぁ〜、一体どこにいるの……? 私の運命の人……)


 セリーナは目を閉じ、理想の男性像を妄想していた。


 その時だった。



「――セ、セリーナ王女‼︎」


 突然、女性使用人が血相を変えて浴場に駆け込んできた。


「カルメ、どうしたの?」


「て……敵襲です……! “奴ら”が再び……!」


 “奴ら”と聞いた瞬間、セリーナの目の色が変わった。


「そう……。ついに来たのね」


「はい、既に城内まで侵入されてしまっています!」


「なんですって! 外の護衛はどうしたの?」


 急いで体を拭きながら、セリーナは女性使用人『カルメ』に話しかける。


「詳しくは分かりませんが……なす術なく全滅したそうです……!」


「……7年前よりも、随分と戦力を強化させたようね」


 寝巻きではなく先ほど着ていた稽古着に着替えたセリーナは、生唾を飲み込んだ。


「王女様、まさか戦うおつもりですか⁉︎」


 カルメは狼狽しつつ、セリーナに問いかける。


「当然よ。そのために今まで頑張ってきたんだから」


「なりません! 王女様は厳しい修練の直後で、疲労が溜まっていると伺っております。どうかご自身の安全だけをお考えくださいませ」


「嫌よ! これ以上、私の大切なものを奪われてたまるもんですか……!」


 カルメの制止を振り切り、セリーナは戦いの場へと一目散に駆け出した。




 セリーナはまず、玉座の間へと向かった。父と合流しようと考えたからだ。

 玉座の間に辿り着いたセリーナの目に飛び込んできたのは、傷だらけで倒れる父の姿だった。


「そんな……お父様……っ!」


 セリーナは父の元へ駆け寄り、彼の体を抱き抱えた。


「セリーナ……逃げなさい……」


 震える手でセリーナの手を握り、父は娘の無事だけを願う。


「嫌……逃げるなんて嫌! 私も戦うわ! 一緒に戦えば、まだ何とかなるかもしれない!」


「駄目だ! お前まで死んでしまったら、本当にこの国は終わりだ……!」


「そんなこと言ったって……! 大切な人たちを置いて、私だけ逃げるわけにはいかないわ!」


「……お前に私の全てを託す。必ず生きて守り抜き、勇気ある若者へ受け継いでくれ……!」


 王がセリーナの手を強く握りしめると、王の体が白く光り輝き、その光が繋いでいるセリーナの手から体へと伝播した。


「頼んだぞ、セリーナ……お前はこの国の“最後の希望”だ……!」


 ふらふらと立ち上がった王は娘を背に庇いながら、ここまでの様子をニヤニヤと傍観していた敵の影と対峙する。


「お前が出逢う運命の相手が、どうか心優しき勇者であることを願う……」


 愛する娘に最期の言葉を残した王は、雄叫びを上げながら敵の影に向かって剣を振りかざす。

 しかし威勢よく振り下ろされた剣の切先は虚しく空を切り、敵の影が伸ばした鋭利な黒い棘によって、王は心臓を貫かれた。


「お父様……お父様ーーーーっ‼︎」


 玉座の間に、父の死を目の当たりにしたセリーナの悲鳴がこだまする。


「さあて。次はアンタの番だよ……セリーナ」


 そう言って、敵の影が舌なめずりをする。父の死にショックを受けているセリーナは、震えてその場から動くことができない。

 敵の影の攻撃が、セリーナに向けて撃ち出された。


「――セリーナ王女!」


 その時、イーズが現れて魔法で防護壁を作り、セリーナへの攻撃を防いだ。


「イーズ……」


「王女様、お気を確かに! 私についてきてください!」


 気力を失っているセリーナの手を取ると、イーズは大旋風を巻き起こす魔法を使用した。

 旋風で舞い上がった瓦礫が敵の影の前を舞い散り、敵の動きの牽制に成功する。その隙に、イーズはセリーナと共に玉座の間から脱出した。




 イーズがセリーナを連れてきたのは、城にある隠し部屋。イーズの魔術によってのみ解錠できる扉で守られた、戦火に包まれるこの城における唯一の安全地帯である。


「イーズ、私……私……」


 セリーナは目に涙を浮かべながら、外の様子を伺うイーズに話しかける。


「……王女様。これから私が言うことを、よく聞いてください」


 周囲への警戒心を維持しつつ、イーズはセリーナの方を向いた。


「私が持っている“異世界転移の能力”を、貴女にお渡しします。その力を使って異世界へ行き、勇者を探してきてください。この国を救える素質を持った、勇気ある若者を……!」


「イーズ、あなたはどうするの?」


 動揺するセリーナの手を握り、イーズは真剣な眼差しで言葉を続ける。


「私は、王女様が安全に異世界転移できるよう、ここで時間を稼ぎます。敵の攻撃が城全体に及んでしまっては、隠し部屋と言えど安全は保証できない」


「ダメよ、一緒に行きましょう! あなたまで……私の前からいなくならないで!」


「異世界転移が終わるまで誰かが“扉”を守らないと、この作戦は破綻します。どうかおひとりで、いってらっしゃいませ……」


「でも……でも……」


「国王が遺したお言葉をお忘れですか‼︎」


 ぐずるセリーナを、イーズは強い口調で説得した。彼が発した大きな声に、セリーナは思わず肩をビクッと震わせる。


「……この国の未来は、貴女に委ねられました。さあ、私の力を受け取り、その扉から異世界へ転移してください」


「う、ううぅ……」


 涙を流しながら、セリーナはイーズの手を強く握る。その瞬間、2人を淡い光が包み込んだ。


「……これで王女様は、異世界転移が可能になったはずです。頼みましたよ、セリーナ王女……」


「イーズ……私、絶対この国を救ってみせるから……待ってて!」


 部屋の出入り口の反対側に用意された、もう一つの扉。その扉に向かって、セリーナはゆっくりと歩いていく。

 イーズはセリーナに背を向け、正面からの襲撃に備えている。


 セリーナが扉を開けると、そこには鬱蒼とした森林地帯が広がっていた。


「これが……異世界転移の力……!」


 セリーナが扉の向こうへ足を踏み入れようとしたとき、隠し部屋の入り口で大きな衝撃音が響いた。敵が隠し部屋の壁ごと破壊して、侵入してきたのだ。

 思わずセリーナは振り返るが、イーズはセリーナに吹き飛ばしの魔法を使い、扉の向こう側へ押し出す。


 更に、イーズは魔法で扉を強制的に閉めてしまった。


「イーズ! イーズ‼︎」


 セリーナは扉を叩いたり、扉の取手を何度も引っ張ったりするが、何をしても扉が開くことはなかった。当然、イーズからの反応もない。


 扉に寄りかかり、少女はただただ泣き崩れた。



 ――――雲ひとつない満月の夜。


 静寂が包む森林地帯に、少女の泣き声だけが虚しく響きわたる。



 ……こうして、全てを奪われたセリーナ王女の、王国を取り戻すための孤独な戦いが始まった。

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