背信機構 ― Apostasy Protocol ―【Warhammer 40,000】

Isuka(交嘴)

第1話 Side: Chaos Space Marines

 空は剥がれた金箔のように、風に砕けて舞っていた。

 ルキウス・ヴェイルは黒鉄の指で鎧のひびをなぞり、そこに乾いた赤を塗り込める。匂いは鉄、味は塩、色は祈り。彼は視線を上げる。崩落した尖塔の影に、白い外套の一団が動いた。灰の雪が彼らの肩に積もり、足跡だけが真新しい。光を奉ずる者たち――名は要らない。彼らが来るという事実だけで、今日という日の形は決まっている。


 彼は低く、誰にも届かぬ声で口を開いた。

 「祈りは血に、血は灰に。灰は風に、風は名を運ぶ。名は消え、神が生まれる」

 喉の奥の震えは、かつての聖句に似ていた。意味は変わったが、拍は残る。拍が残れば、戦える。


 瓦礫の街路は死者の静脈で、彼はその上を踏み鳴らした。視界の端で、仲間の塗り替えられた紋章がちらりと光り、次の瞬間、白の銃火で砕けた。煙は甘い。焼けた聖油の香りが混じる。正しさの匂いだ、と彼は思う。正しい者はたいてい、いい匂いがする。


 白外套の先頭が手を挙げた。合図は簡潔で美しい。弾倉が空を跳ね、祈りの節が無線を満たす。

 ――浄めよ、汝ら。

 ――恐れよ、汝ら。

 ――光のために。

 音は刃ではない。刃より深い場所に届く。同じ場所に、昔の自分の声が眠っている。ルキウスは膝をわずかに落とし、肩で反動を受け、三発を連ねて放った。白が一人崩れる。ほつれ目はすぐに縫われる。秩序は速い。秩序は、恐ろしく速い。


 風向きが変わる。灰の粒が舌に触れ、古い名がほどける。

 彼はふたたび唱える。

 「祈りは血に、血は灰に。灰は風に、風は名を運ぶ――名は消え、神が生まれる」

 声は先ほどより静かだ。静けさは刃の鞘で、抜かれる音だけが周囲を切る。白外套が近い。彼らの目は迷いを許さない形に彫られている。よい目だ、と彼は思う。ああいう目に見られて死にたいと思った時期が、遠い昔、本当にあった。


 角を曲がると、広場。割れた聖像の台座に、黒い装置が据えられている。彼はそれを知っている。灰の雨を呼ぶ鐘――浄化の核。起動印の封蝋が半ば剥がれて揺れ、白手袋が最後の確認をしている。

 「正しさは甘いな」

 ルキウスは独り言を落とし、身を滑らせる。瓦礫の縁が鎧に鳴り、砂利が歯の間で砕ける。拳が一つ、二つ。白い祈りが骨を叩く。応えるように彼の中の別の祈りが膨らむ。

 ――赦しはいらない。赦しより確かなものがある。

 彼は敵の頸章をつかみ、仰いだその喉元へ短刀を差し入れた。白の体は柔らかく、正確に沈む。沈黙が一拍遅れて広がる。


 銃火が再び満ち、音が視界を白くする。彼は台座へ歩む。逆光の中、細い影が立つ。外套の裾に焼き目、手には印璽。声は若い。

 「止まれ。これは命令だ」

 命令――良い言葉だ。命令は人間を人間にする。彼は肩をすくめて笑い、面甲を半ば開いた。

 「命令は美しい。だが今日は、祈りの番だ」

 若い声が震えた。「お前は誰だ」

 「誰でもない。名は風が運ぶ。風が運んだ名は、もう俺のものじゃない」

 彼は印璽の指を払い落とし、装置の封蝋へ触れた。指先が熱い。聖油の残り香が指紋に絡み、過去の誓いが皮膚から立ち上がる。かすかな吐息が喉で躓く。

 昔の自分が、手を掴もうとする。やめろ、と。やれ、と。やめろ。やれ。やめろ――やれ。


 「祈りは血に、血は灰に。灰は風に、風は名を運ぶ。名は消え、神が生まれる」

 三度目の祈りは、ほとんど口の形だけだった。

 彼は封を裂いた。鐘が鳴らない鐘の音が空に立ち、雲が裏返る。核の心臓が目覚め、光の胎が開く。白外套の隊は後退の合図を交わし、広場に線が引かれる。彼の足元に影が集まり、足跡が黒い花のように咲く。


 若い声が叫ぶ。「なぜ微笑む」

 「微笑みではない。噛みしめているだけだ」

 「何をだ」

 「自由の味を」

 言いながら、彼は自分が嘘をついていると知っていた。自由――それは名に似ている。名が消えるとき、自由は生まれる。ならば、これはきっと自由の味だ。

 灰の前触れの風が、頬を撫でる。冷たい。懐かしい。子どもの頃、修道庭園で嗅いだ雨の匂いに似ている。あの時、彼はまだ光を信じていた。信じることは、いつも甘かった。


 空が割れ、光が降りる。

 白は膝をつき、印を切る。彼は立ったまま、額に指を当てるだけで済ませる。二人の間に、同じ形の沈黙が置かれる。沈黙の形は、言葉より正確だ。

 灰が来る。すべてが軽くなる。重さは罪の別名だと、誰かが言っていた。ならば灰は赦しで、風は救いだろう。救いはいつも遅れて来るが、来ないよりは良い。


 視界の縁で、装置の外装が白く膨らみ、花のように開いた。花芯から光が刺さり、街の骨が透ける。声が消え、音が消え、拍が残る。拍が残れば、まだ祈れる。

 彼は最後に、歯を見せた。

 嗤う――その動きが、頬の古い傷を引き攣らせる。

 灰が舌に降り、名の最後の破片が溶ける。

 そこで、祈りは完全になった。


 「祈りは血に、血は灰に。灰は風に、風は名を運ぶ。名は消え――神が生まれる」


 光はやさしく、世界は軽く、彼は嗤った。

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