ラウノ・マキはガルガロ諸島に本店を置く商家マキ家に産まれた。マキ家はダルマティア管区を中心に、王都ペシュトーブダにも支店を持つそれなりに裕福な一家であったこともあり、ラウノは幼少よりお金に不自由することなく成長した。

 だが、困ったことがなかった訳でもない。彼の生い立ち――即ち、父親が北方のカジャールであったこと、またその父親が何処かへ放蕩したこと、それを追って母親までもが島を出ていったこと――は、好奇心旺盛な島の住人たちにとって恰好の噂話となった。


 生まれながらにして奇異の目を向けられたラウノは、成長するにつれ、周囲の子供たちにからかわれることも多くなった。幸いにして母親の弟――つまり、叔父一家が本当の家族として接していたこともあり、孤立することはなかったが、大人の目の届かないところで石を投げつけられるくらいは経験したものだった。


 そんなラウノに魔法の才能があることを見抜いた魔女ゾルターナは、ラウノが十歳のとき、彼を養子にした。師弟関係を結ぶための措置であったが、イニス向けに作られた彼の実家が手狭になったことも考慮されていたはずだと、ラウノは当時からそう信じている。

 いずれにせよ、彼は魔女ゾルターナの最初の弟子となり、多くの経験を積んだ。この頃になるとあからさまなイジメをする連中はいなくなっており、ラウノは少し肩透かしを食らった気分になった。

 強い魔術を覚えて復讐でもしてやろうかと思っていたが、ラウノが領主の養子になると、周りの子どもたちは急におとなしくなってしまったのだ。


 こうして復讐に注ぐつもりだった情熱を余したラウノは、代わりとばかりにゾルターナの指導を熱心に受けた。

 正直なところ、彼女は教師として欠陥ばかり――最初の講義で古代魔術の深淵を語り始めた――であったが、彼女の不器用ながらまっすぐな気持ちはラウノにもよく感じられた。

 間もなくしてゾルターナはラウノに無茶難題を押し付け、強引に成長を促す方法を覚えた。彼女の期待に応えたいという気持ちより、反抗心から課題をこなしていったラウノは、やがて領主の補佐を務めるまでに至った。

 そして先日、ゾルターナはラウノに新たな課題を課した。新たに就任したダルマティア管区の総督に書状を届けるというものだ。


「ああ、ようやく着きましたか」とラウノは白い街並みが特徴的なロディナを遠目に眺める。

 ダルマティア管区の区都ロディナは、中央に純白の城がそびえる港町であった。ラウノの祖父ナラネンは、自身の冒険譚にこの街を氷雪の天然要塞と記した。確かに、港の反対側は山に囲まれており、街道を除けば町の出入りは容易でなく、敵の侵入を拒む構造である。

 港に到着したラウノが荷降ろしを終えるや否や、一人の騎士が軽快な足取りで近づいてきた。

「ガルガロ諸島の、ゾルターナ伯ですか?」

 

 低めの快活な声に、ラウノが振り返ると、ブロンドのショートカットがよく似合う女性が視界に飛び込んできた。女性としては高い身長――赤毛の雪男と称されるラウノより拳二つ分小さいくらい――で、男性のような毅然とした立ち居振る舞いが堂々としていた。

 だが、その顔に浮かぶ気取らない笑みと軽妙な雰囲気が、彼女の印象をただの「堅物騎士」にはしない。目にした者の息を一瞬で奪うほど端正でありながら、肩をやや落としたラフな姿勢は、彼女の柔らかな性格を示していた。

 身に纏う浅葱色ターコイズブルーの軍服には、金の飾緒が豪奢に飾られており、それが近衛騎士の身分を象徴していた。生地の微かな光沢と計算された装飾は、実用性を損なうことなく威厳を際立たせており、まるで彼女自身がその地位に宿る崇高さそのものを体現しているかのようだ。


「残念ながら魔女ゾルターナではありませんが、彼女の使いとしてこのロディナに参りました。ラウノと申します」

「これはご丁寧に。僕はヴィクトーリア、第三王女カタリナ殿下の近衛騎士さ。こんな辺鄙な港町まで、長旅ご苦労さま」

 彼女は軽い調子でそう言いながら、ウインクしてみせる。それが妙に馴れ馴れしく、ラウノは眉をひそめた。

「ここより辺鄙な田舎町から来たので、苦労はそう多くありませんでしたよ……今の今まで」

「あれ?なんだか僕が君に苦労させているように聞こえるな」はて、と顎に手をやるヴィクトーリア。

「そう聞こえたなら、あなたの耳はよく聞こえているようです」

「おっ、こいつはいいね。皮肉のセンスもあるとは、なかなか楽しませてくれる」

 肩を揺らして快活に笑うヴィクトーリアを見て、ラウノの眉間により深い皺が刻まれた。

「それで、ご用件は?談笑しに来たわけでもないでしょう」ラウノがヴィクトーリアに続きを促す。

「あ、そうだった」ヴィクトーリアは軍服の襟を両手で張って整えてから、大げさに敬礼をする。

「パンノニア王国第三王女カタリナ・エレオノーラ・フラフィウス=バートリ殿下がお呼びです!直ちに総督府までご同行願います」

「……人形姫は随分とせっかちでいらっしゃるようですね」ラウノは苛立ちを隠さない。

「今まさにこのロディナに降り立ったところなんですが、荷物くらい宿に置かせてもらっても罰は当たらないのでは?」

 ヴィクトーリアは肩をすくめて微笑んだ。その仕草はまるで遊びの延長のような軽やかさを持ちながらも、どこか計算されているように思えた。

「それじゃあ困るな。君が遅れれば、殿下が寂しがるだろう?」

 ラウノはその言葉に鼻を鳴らした。「……それは、王女殿下が私を待ちわびていたという意味ですか?」

 ヴィクトーリアは笑い、軽く指を立ててみせる。「ああ、そうとも。君の魅力に惹かれたのかもしれないな。もしくは、ゾルターナ伯を心待ちにしているのかもしれないが、代理の君でも歓迎くらいはしてくれるだろう。悪い気はしないだろ?」

 ラウノは眉をひそめる。「悪い気しかしませんね」


 ヴィクトーリアは軽く息をつき、「それは残念だね、ラウノ君」と言いながら、一歩踏み込んでラウノの背を軽く押した。「さあ、行こう。荷物はあとで僕が何とかしてやるよ」

「あなたに荷物を預ける気はさらさらないのですが」

「ひどいな。僕はこう見えて誠実な男だよ?」

「誠実かは議論の余地が一片あったとして、性別は違うのでは?」

 ヴィクトーリアは片手を胸に当てながら大げさにため息をつく。「ああ、ゾルターナ伯の弟子は皆こうなのか……それとも、君だけが特別に冷たいのか?」

 ラウノは軍服の装飾をちらと眺めながら、「奇遇ですね。私も近衛騎士が皆こうなのか、疑問に思っていたところです」と皮肉を込めて答えた。

 ヴィクトーリアはにやりと笑い、親しげにラウノの肩を軽く叩いた。「うん、いいね。君とは退屈しないで済みそうだ」

 ラウノは小さくため息をついた。「そりゃどうも。でも、できれば今すぐにでも退屈な時間に戻りたいんですがね」

「そう言わずに、僕に付き合ってくれよ」ヴィクトーリアは軽く腕を組み、少し顔を近づける。「なんなら、荷物を僕が持ってやってもいい。君がかわいらしい頼み方をしてくれれば、だけど」

 ラウノは露骨に顔をしかめた。「かわいらしい、頼み方……?」


「そうさ。例えば、『ヴィクトーリア様、どうか僕の荷物をお運びください。あなたの優雅な手つきで、僕の粗末な荷物を抱えていただけるなら、それはもう光栄の極みでございます』……なんて感じでね」

 ラウノは一瞬沈黙し、それから軽く息を吐いた。「なるほど。つまり、あなたは荷物を運ぶ気はさらさらないってことですね」

 ヴィクトーリアは肩をすくめた。「まあ、それは君の態度次第なわけだけど。でも、少しは楽しませてくれるかと期待したんだけどな。君もなかなか冷たいね」

「それはどうも」ラウノは淡々と言いながら、荷物をしっかりと手に持ち直した。


 「さて、それで結局のところ、私はこのまま総督府へ連行されるわけですか?」

 ヴィクトーリアは微笑みを絶やさずに軽く顎を上げた。「連行なんて物騒な言葉はやめてくれよ。これはエスコート、しかも君への特別待遇だ。僕が自ら君を案内するんだ。なかなか光栄なことじゃないか?」

「光栄かどうかはさておき、あなたに振り回されているのは確かだ」

 ヴィクトーリアはさも残念そうにため息をつき、「ああ、こんなに冷たい反応ばかりじゃ、僕の心が傷ついちゃうな」と言うと、急に歩き出した。「さあ、行こう。君が遅れれば、殿下も心配するだろう?」

「誰のせいで遅くなっているんでしょうね」ラウノはぼそりと呟いたが、結局ヴィクトーリアの背を追わざるを得なかった。


 総督府へと続く石畳の道を歩きながら、ラウノはうっすらと灰色の空を見上げた。

 ロディナの空はガルガロ諸島よりもわずかに淀んでいる気がするのは、家々から出る煤のせいか、あるいは彼の心が落ち着かないせいなのか。

「ところで、あなたはいつもこんな感じなんですか?」ラウノは横目でヴィクトーリアを見ながら聞いた。

「どんな感じ?」ヴィクトーリアは余裕たっぷりに答えた。

「話し方です。男みたいな振る舞いと、その妙に親しげな物言い」


 ヴィクトーリアはくすりと笑い、「君がそう思うなら、たぶんそうなのさ」と答えた。「でも、君もなかなか男っぽい態度じゃないか?こう、つれなくて無骨で、まるで堅物騎士みたいだ」

 ラウノは肩をすくめた。「その評価は別に気にしません……ただ、あなたが言うと妙に嫌味に聞こえますね」

「そんなつもりはないさ、坊や」ヴィクトーリアはからかうようにラウノを軽く押し、「君はなかなか面白い。もっと話したくなる」

「願わくば、もう少し静かに案内してもらいたいものです」

 ヴィクトーリアは満足そうに笑い、「それは叶えてやれないな」と言って歩調を速めた。


 こうして、二人は総督府へと歩を進めていった。

 ラウノは、この不思議な近衛騎士とのやりとりがいつまで続くのか、心のどこかで苦笑しつつ、それでもどこか楽しんでいる自分に気づかないふりをしていた。

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