第八章:白髪の監視者

部屋には、もういたくなかった。


あの声。スマホ。潰した時計。

すべてが、現実味を持って俺にのしかかってくる。


だから、俺は寝室を出た。

リビングに降りて、ソファに身を沈める。

深夜1時を過ぎて、家の中は静まり返っていた。


部屋の照明はつけなかった。

外から入る街灯の明かりだけが、薄く空間を照らしていた。


(……あいつ、どこまで)


目を閉じても、あの声が頭の中でリピートされる。


「死ぬほどですよ、先輩っ」


体が冷える。ソファのクッションが、いつもより硬く感じた。


それでも、目を閉じて数分後──

いつの間にか意識が遠のいていった。



~~~



夢を見た。


幼稚園の頃。

白い髪の女の子が、砂まみれで泣いていた。

リア。俺が最初に助けた、あの光景。


スコップを持ってた子を突き飛ばして、リアの手を引いた。


「……痛かった?」


「……ありがとう、って言ったら泣いちゃった」


あの声、忘れもしない。


場面が変わる。


丁度月乃と付き合い始めた日、一緒に家電屋に行ったときの記憶。

「お揃いで、時計買おうか」って。

ペアじゃないけど、さりげないお揃いを選んだ。

月乃は黒のベルトにこだわって、俺は合わせるようにした。


「これなら、気づかれないしさ。二人だけのおそろいってことで」


レジに並んでるとき、月乃が俺の腕をつかんで笑ってた。

その笑顔が、やけに眩しかったのを覚えてる。


でも──そのときだった。


ふと、視線を感じて、振り返った。


近くの棚の陰から、誰かがじっとこっちを見ていた。

女の子。白い髪。制服じゃない、私服。

顔ははっきり思い出せない。ぼんやりしていて、霧がかかったような印象だった。


でも、目だけは、はっきりと覚えている。


ずっと、こちらを見ていた。瞬きもせずに。

まるで、何かを“確認”するような目だった。


そのときは気にも留めなかった。

ただの通りすがりの人間。偶然そこにいただけ──

そう思ってた。


でも、今ならわかる。


(あれは……リアだ)


声にならない声が夢の中でこだました。


月乃と一緒にいた“その時”に、すでに“あいつ”はそこにいた。

レジの列に並んでいる間も、品物を選んでいた間も──

ずっと、どこかで、リアは見ていた。


「やっぱり、先輩は……先輩なんですね」


夢の中でリアの声が聞こえた。

何度も、何度も、繰り返し。

音が濁って、反響して、頭にこびりつく。


息が苦しい。身体が動かない。

誰かが、ソファのすぐ後ろに立っている気がした。


目を開けようとして──


ぱちん、と現実が戻った。


「……っ!」


息を吸い込んだ瞬間、全身がびっしょりと汗をかいていた。

ソファの布地が肌に張りついて気持ち悪い。

カーテンの隙間から、朝の光が差し込み始めていた。


夢だった。

でも、あまりにも鮮明すぎた。


脳裏にはっきりと残る。

家電屋、レジ、白髪の少女の目線。


リアは、あのときから──

ずっと俺を見てた。

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