第5話 全ては後の祭り


 翌朝。

 放心状態のまま出社すると先輩方は電話対応に追われていた。


 絶え間なく鳴り響く呼出音に皆、疲弊していた。


 ――私のせいで……。


 私は深々と頭を下げた。

 もう二度と、この頭は上げられない。そんな想いで。


 だが先輩方は電話対応をしながらもこちらへ目をやり、笑顔でジェスチャーを交えて応えてくれた。

 

『こっちは大丈夫だから、早く行きな』


 そう言われた様な気がして、いつの間にか目には涙が滲んでいた。

 そして私は編集長が待つ会議室へと向かった。

 


 ◇

 


「失礼します……」


 会議室へ入ると、編集長は椅子に腰掛けタブレット端末を眺めていた。


「おぉ、来たか。話をする前にまずこれを見ろ」


「はい」

 

 編集長はそう言うとタブレットを私に手渡した。

 画面に映るのは勿論、当該神原の動画。

 私は恐る恐る再生ボタンをタップした。

 


『小説家である私が、愛用しているコレをくれてやる――――』


『グギャアアア……!?』


 動画に収められていたのは神原が万年筆でキングオーガを屠った一部始終。

 

 その様は何度も見ても意味不明で理解不能。

 世間が騒ぐのも頷ける。


「ふぅ……」


 私は大きく息を吐き、そして腹を括った。


「編集長ォォォォッ! この度は……! 私の監督不行届で大変なご迷惑を――――!!」


 私は編集長の前で人生初の土下座を披露した。

 これで駄目ならば神原諸共、腹を切って編集部に謝罪の意を示そうと思う。


 だが、編集長の反応は予想していたものとは大きく違った。


「やめろ。そういうのは担当している作家を守る時に使ってやれ」


「はい……? 今がその時だと思うのですが……」


「この動画のコメントは読んだか? まだなら一度、読んでみろ」


「…………?」


 編集長の真意はわからない。

 だが一度、言われた通りに目を通してみる。


: 万年筆でB級ワンパンって何事www

: スキル使わねーでこれはwww

: 単に、魔核を破壊して消滅させただけだろ

: 万年筆なんかでキングオーガの硬い筋肉を貫くパワーって一体……

: 和服に草履ってダンジョン舐めてるとしかwww

: 見かけによらず戦闘スタイルは脳筋なの草

: てか普通に疑問なんだが誰なのよこれ?


 コメントの大半は神原の異質さを面白可笑しく茶化すものだったが、意外にも否定的な意見は見当たらなかった。

 ひとまず一安心だ。

 

 束の間、編集長が口を開く。

 

「それにしても最近のネット社会は凄いな。これらのコメントが投稿されたのは昨日の夜だぞ? それから一日も経たずに神原さんの事を特定しちまいやがった」


「確かに……。まさか……! 誰かが仕組んで!?」


「いや、それはねーな。神原さんにあんな力があるなんて誰も知らなかったし、ただあの人が後先考えねーで行動しちまう取材バカ・・・・なだけだ」

 

「そうでした……」


 私は一瞬外部の策略を考えたが、編集長の言葉で我に返った。


 その後、編集部に掛かってくる電話は大半が興味本位によるイタズラであり、また、動画についたコメントにも否定的な意見が見当たらない事から、そこまで悲観することはないと励まされた。


 要するに今回の一件は、神原が後先考えずに取材を強行した結果、招いてしまった事故だと結論付けられた。


 私はようやく胸を撫で下ろす事が出来た。


「しかしアレだな。神原さん、無茶苦茶なのはほんと変わってねぇなぁ」


「あ、やっぱり編集長も以前担当を?」

 

「あぁ。当時から無茶苦茶だったぞ。何にも変わっちゃいねぇ」


「そうなんですか?」


「あぁ。あの人がまだ高校生の時だったか、アポ無しでいきなり編集部に手書きの原稿持って来て、無理矢理読ませて来たかと思えば『どうだ、面白いだろう。ならば本にしろ』って抜かしやがったんだぞ?」


「へ、へぇ……。それは確かに無茶苦茶ですね……」


「つってもあの人のことだ。そんな事、覚えちゃあいないだろうがな。今のこの状況の事も何も知らねぇで書きたいものを書きまくってんだろうよ」


 恐らく編集長も過去に、神原の行動に頭を悩ませていた事だろう。

 だが何故だかその話をする編集長の表情は晴れやかなもので、一切の憎しみを感じなかった。


「まぁ思い出話はこのくらいにして今後の事だが。神原さんの臨時許可証の発行と、同行する探索者の選定は編集部が担う。だからこれからもガンガン取材に行け。いいな?」


「えっ……!? 私てっきり取材は禁止にして、騒動が収まるのを待つのだとばかり……」


 編集長が下した予想外の決定に私は困惑した。

 だが編集長の目は本気だった。

 

「神原さんにはこれまでに無いリアリティを追求したダンジョン小説を書いてもらいたい。いや、それを書くべき人だ!」

 

「――――!!」


 編集長は私の目を見てはっきりとそう口にした。

 その圧に、気圧されてしまいそうになるのをグッと堪える。


「神原さんは紛れもない天才だ。だがその才能をかつての編集逹は活かしきれなかった。俺を含めてな」


「いやいや、そんな事は……」


「いや、実際にそうなんだ。あれだけの才能を持ちながら神原さんが書いたものが書籍になったのは、当時刊行していた情報誌の隅っこにある数行のコラムだけだからな」


 神原の過去――――さほど興味がなかったこともあり、特に調べたことはなかったが、てっきり幾つかの書籍は出しているものとばかり思っていた。


「だが、青山。お前になら神原さんの才能を活かせるはずだ」


「どうしてです? 私は入社したばかりの新人ですよ?」


だ」


「か、勘ですか……」


 もっともな事を言い出したかと思えばその理由は非論理的だった。

 危うく喜びで舞い上がってしまいそうになっていた私の感情は驚くべき速度で落ち着いていく。


「そんな顔をするな。俺の勘はよく当たるんだぞ? なんせ神原さんの才能にいち早く気付いたのも俺なんだからな!」


 編集長は自慢げに語るが、つまるところ私が今、頭を悩ませている根源はこの人・・・が神原を甘やかしたからなのではないか。

 いや、神原の場合、初めからああいう人間だったのかもしれない。


「ん……? 何を笑っている?」


 編集長は怪訝な表情で私を見た。


 ――今、私笑ってた?


 知らない内に笑みが溢れていたのか。

 理由はわからないが、私の気持ちもようやく持ち直したようだ。


「わかりました。神原さんの次回作、必ず傑作にしてみせます。丸山文庫の看板になるような、そんな作品を作ります!」


「ふっ……言うじゃねーか新人が。――――期待しているぞ」


 私はそんな宣言をし、最後にもう一度深く頭を下げてから会議室を後にした。


「よし……神原さんのダンジョン小説、絶対傑作にしてやるぞ!」


 そう口に出すと自然と身が引き締まる。

 それともただ、編集長に上手く乗せられただけなのか。

 どちらにせよやる気は十分。

 私は編集部を飛び出して神原の元へと向かった。

 


 ◇



 神原宅へ到着した私は驚愕していた。


「神原さん……? 大丈夫ですか?」

 

 神原は既に起きているが、神妙な面持ち。

 

 さすがの神原もこの状況下で能天気ではいられないか。

 予想外の反応にフリーズしていた私だったが、改めて神原に事の顛末を説明する。

 

「ご存知の通り、神原さんの現状は――――」


「ん? 何の話だ?」


 だがすぐに、それが私の思い違いであると理解した。


「え、いや。神原さんは昨晩の件で思い詰めていたのでは?」


「はて、昨晩は朱音くんに強制労働をさせられていた記憶しかないのだが……」


「…………じゃ、じゃあ何を考えていたんです?」


「いやな、昨日駄目にしてしまった万年筆をどうしようかとな。やはり新しいものを買うべきか否か」


「だからもう、万年筆はどうでもいいですって!!」

 

 私のこの気持ちはどうしてくれようか。

 様々な想いを抱えて編集部から飛び出して来たというのに、この男は未だ万年筆の事を考えていたのだ。

 腸が煮えくり返って正位置に戻りそうだ。


「わかってます!? 神原さん、もう少しで取材を禁止にされるところだったんですよ!?」


「ほう、誰にだ?」


「へ、編集長です!」


「そうか。見限られたか……。なら、別の所で書くしかないな」


「あ、いやそうではなく……!!」


 この後、何故か私の言葉の意味を曲解した神原を何とか辞めないよう説得をした。

 傑作を作ると意気込んだそばからこんな調子で良いのだろうか。


 そんな最中、神原は思わぬ事を口にした。


「――――次は中層だ。ダンジョンの中層を取材したい」


 私は再度、気を引き締めた。

 神原の作品が完成する前に、己の命を落とさないように。

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