第5話 母たちの証言
促されるまま中に入ると、そこは惣菜屋とは思えない空間だった。カウンターにソファ、赤い絨毯にランタン――流星が想像していたスナックそのものの内装だった。
「こっちにおいで」
千鶴が濡らしたタオルを差し出し、手招きする。
「ありがとうございまふ……」
流星はタオルを鼻に押し当てた。
「ん?」
ふと千露瑠を見ると、彼女はボーっとカウンターの奥を凝視していた。
「どうした? 千露瑠」
「はっ!」
慌てて振り返った千露瑠の顔は、どこか怯えているように見えた。
「な、なんでもないであります!」
ぐぎゅるるるる〜〜
「……あ」
その音に、つばさが思わず吹き出した。
「さては匂いにつられて来たね? ちょうど仕込みを始めたところだよ。食べておいき」
そう言って、つばさは二階の居住スペースへ二人を誘導した。
「うんまい!! どれもこれも絶品であります!」
「うむ! 米まで美味い!!」
食卓には、かぼちゃの煮付け、アジフライ、マカロニサラダ、厚焼き玉子、大盛りのご飯に味噌汁、温かな料理が並んでいた。二人は夢中になって箸を動かし、必死にかきこんでいる。
頬杖をついて二人を眺めていた千鶴は、思わずため息をついた。
「可愛らしいわねぇ、つばさ」
「あんた、ほんと子供好きねぇ」
呆れたように笑うつばさだったが、千露瑠の顔に米粒がいくつも貼りついているのに気づくと、それを丁寧に取ってやった。
「たくさんあるから、ゆっくりお食べ」
「お二人とも、優しいおババ様であります! おババ菩薩様であります! 部長!」
(おババ菩薩……?)
「分かったから、飲み込んでから喋りたまえ」
やがて食事を終え、二人は手を合わせた。
「ご馳走様でした!!」
「はい、お粗末さま。綺麗に食べてくれて気持ちが良いよ」
つばさと千鶴が食器を片付けて階下へ降りていくと、千露瑠はそっと流星の袖を引っ張った。
「部長! 部長! この店、おババ様たちは優しいし、ご飯も美味しいですが……幽霊さんが住まわっておりますです!」
「な、なに?! 本当か?!」
「小生、お店に入ってすぐ、カウンターの奥に黒い影を見たのであります。暫くじっと見ていたら、だんだん人の形になって……こう、にゅーーーんっと、消えていったのであります!」
「ホンマもんの心霊現象!!」
ドシャアン!!
流星は畳に頭を打ちつけた。
「スマホに収めたか?! 決定的瞬間を!!」ばっと起き上がり、千露瑠に迫る。
「動揺していて、スカンピンであります!」
ビシッと敬礼する千露瑠。
……スッ、と流星は真顔に戻った。
「そういうとこだよ、君。肝心な時にカメラを構えないとダメじゃん? スマホ持ってる意味ないじゃん?」
「また突然の浜っ子口調!」
「元気だねぇ」
くすくすと笑いながら、千鶴がリンゴの皿を手に二階の部屋へ戻ってきた。
「今、リンゴ剥いてあげるから待ってなさいね」
「は、は〜い」
「ところで、どうやってうちの店を知ったの? どこにも載せていないし、ご近所の人しか知らないはずだけど……」
流星は姿勢を正し、きっぱりと答えた。
「実は、亜弓さんという女性に、この場所を教えてもらって来たのです」
「……亜弓さん?」
千鶴が首を傾げると、後ろからつばさが口を挟んだ。
「あの人じゃない? ほら、我孫子さんとこの……」
「ああ、そういえば、一度挨拶したことがあったわね」
つばさはリンゴの皿をテーブルに置くと、二人を見据えて言った。
「坊やたち、目的があってここに来たんだね? 聞きたいことがあるなら、さっさと言いな」
二人は顔を見合わせ、大きく頷く。そして勢いよく立ち上がった。
「我々は、横浜の小学校から、ある都市伝説の調査にやって参りました! オカルト研究倶楽部、部長、坂本流星!」
ビシッとポーズを決める流星。
「同じく! オカルト研究倶楽部、部員、神上千露瑠! であります!」
足を揃えて敬礼する千露瑠。
「この世の不思議を追い求める我々の辞書に、諦めの文字はありません!」
「オカ!」
「けん!」
「くらーーー!!」
狭い部屋に二人の声が響き渡った。
パチパチパチ……。
千鶴が笑いながら拍手をした。
「たまげたねぇ、すごいねぇ」
「分かったから、もう座りな」
つばさはお腹を抱えて笑っている。
フンス……と鼻を鳴らして着席する二人。
「それで? 都市伝説って何なの? あたし達と関係あるのかい?」
「はい。その都市伝説は、ある事件と関係しているのです」
流星は懐から、例の古い新聞記事を取り出した。
「また随分、古い新聞紙ねぇ……」
つばさが覗き込んだ瞬間、その目が凍りついた。
「ここです! この記事ですね、カップル心中事件! 我々は、まずこの事件について調査しているのです!」
つばさはチラリと横を見る。千鶴の顔は、血の気を失って青ざめていた。
「この事件はですね……」
「待ちな」
流星が続けようとした言葉を、つばさが手で制した。
「その事件について話す前に、どんな噂が流れているのかを教えてちょうだい」
意表を突かれたが、流星は、慌ててクリアファイルを開いた。付箋やメモで膨れ上がった中から、一枚のプリントを取り出す。それはスマホ画面を印刷したものだった。
「伊豆のどこかの海岸で、カップルがいちゃついていると……亡霊が現れて、海の底へ引きずり込まれてしまう、という都市伝説なのです」
「そのカップルの亡霊が、この事件の二人じゃないかってことかい?」
つばさが隣の千鶴にも見えるように紙を傾ける。
「はい! きっと若くして命を絶った二人の怨念なのであります!」
「我々は、現地に赴き、心霊検証を行う所存です!」
「だけど、どこの海岸かは分かっていないんだろう? ここは海辺の街だよ? 海岸なんてそこら中にある」
「そこで、この事件をご存じの方に取材しているのです!」
流星が身を乗り出し、目を輝かせた。
「何かご存じでしょうか?!」
「この、怨霊のもとについてかい?」
「はい!!」
二人の返事は力強く、瞳はキラキラと輝いていた。
つばさは数度瞬きをしたかと思うと、俯き、肩を震わせた……
次の瞬間、堰を切ったように吹き出した。
「…………ぷっ……くくくっ……ふはっ……あはははは! あ〜〜〜はっはっは!!あ〜〜っ、もうダメェ! あたしゃ堪えきれないよ〜〜!」
お腹を抱えて笑い転げるつばさ。
「え? え?」
何が起きたのか分からず、二人は固まった。
「つばさ! そんなに笑ったら可哀想よ。この子たちは真剣なのよ?」
千鶴もそう言いながら、口元を押さえて笑いを堪えている。
「いや……ごめんごめん。あ〜、アイツらしい噂だなぁって思ったら、もう可笑しくて……」
つばさは、仏頂面で見知らぬ人を海に引きずり込む秀の姿を想像して、ツボにはまっていた。
「……あ、あの〜……状況が掴めないのですが……」
突然の事に固まっていた流星が、どうにか言葉を絞り出した。
「あ…ごめんねぇ、流星くんに……千露瑠ちゃん、だっけ? 私たちはねぇ、その子たちの親なの」
「えっ!!」
「あっ! 部長! よく見ると、この月島愛里さん、千鶴さんと目元が似てるであります!!」
「はぅあ! では、つばささんは宮下秀氏の母上でありますか?!」
「あたしは肉親じゃないけどね。この千鶴は、正真正銘、愛里の母親だよ」
「うぉぉぉ!! 私は今、猛烈に感動している! こんなに早く生き証人に続けざまに出会えるとは……!」
「部長! 亜弓おババ様のお陰であります……南無阿弥陀仏…」千露瑠は手を擦り合わせた。
つばさは涙を拭いながら、真顔に戻った。
「……こんなに笑ったのは久しぶりだよ。それに免じて、この二人のことを話してあげようかね」
千鶴とつばさは視線を交わし、小さく頷く。
そして静かに、あの二人の物語を語り始めた――。
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