第1章 限桐村

第1話 馬崎直矢という男

 オフィスビルが立ち並ぶ東京の一等地。そこから、かなり離れた、路地を抜けたところ。そこに男の目的地はあった。

 昭和の始めに建てられたようなレトロな3階建てのビル。外壁には複数ヒビが入り、少し陰となる箇所にはつたが自由気ままに這いまわる。

 馬崎まさき直矢なおやは、使い古したボロボロの鞄を肩にかけ、ビルの前に立った。


 馬崎直矢が快晴出版かいせいしゅっぱんに記事を持ち込むようになってから4年ほどが経過している。主に雑誌を出版しているが、ビルがこの有様であるため、売れ行きも想像できる。馬崎以外にもライターは出入りしているが、ここですれ違うのは毎回違う顔のように思える。皆、見切りをつけていくのだろうか。

 深く深いため息をつき、馬崎は今にも剥がれ落ちそうになっている外壁を横目にビルへと入った。



「ババさーん! お願いしますよー!! なんか、もっとこう……。衝撃的なもんを持ってきてくださいよ~……。『知られざる、妖怪たちの好物!』なんて今時誰が読んで喜ぶんですか。ぜんっぜん気にならない! むしろどうでもいい! これ載せるくらいなら、呪物収集家に1日密着! とかの方が読まれますって!!」

「俺より面白そうなものを提案するんじゃねぇ。……てか、それもどっこいどっこいだと思うけどな。そして小池君、俺は何度も言っている。俺の名前はだ、ババじゃねぇ。もう何年だ、いい加減覚えてもらいたいね」


 馬崎の持ってきた記事を握りながら叫ぶ小池こいけは、オカルト雑誌『ラー』で馬崎の編集者をしている若者だ。

 自身は、『こんなところでなく、本当はもっと華やかな雑誌に関わってスタイリッシュでファビュラスな仕事をするのが夢だった……なのに』と毎回毎回ごちる。それは自身のセンスの問題で、そういう会社からお断りされたのだと言ってやれたら、どれだけ楽であろうと馬崎はこの愚痴を聞くたび思う。

 第一、この会社も会社だ。どうして快晴出版などと爽やかな名前をしておきながら、出版物がこれなのだろう。


「で? 先月号売れてんのか?オカルト雑誌『ラー』はよ」

「売れてるわけないじゃないですか! こんな某雑誌のパクリなんて! 他にも『東北地方のある場所について』、『変な庭』、『ネックレス』……。パクリにもほどがあります。『ネックレス』が『リング』のパクリなんて、気づく人の方が少ないでしょう。本当にこんな会社、早く潰れればいいのに!」

「小池!! てめぇまた言ってんのか! ボーナスも要らないらしいな!」


 編集長の席から怒号が飛び、小池はやっと静かになる。


(……もとはと言えば、この編集長のセンスがまずいからこうなってんじゃねえのか)


 馬崎の声が伝わってしまったのか、目を合わせたからなのか、編集長の岩間いわまは指でクイクイと馬崎を呼ぶ。

 やれやれと馬崎がデスク前まで行く。

 雑誌が売れないことへの苦情が飛んでくるかと思いきや、岩間はそのゴツゴツとした落石のような顔面を不気味ににやけさせ、馬崎を待っていた。


「ババ君、最近どうだ。いいネタはあるか?」

「ないから困ってるんですよ。必死に考えて、調べて、文章にしてもオタクの編集者にはあの言われようですよ。万策尽きたって感じですね。てか、です、岩間編集長」

「そうかそうか。残念だなぁ、俺は君の文章は好きなんだけどな~」


 馬崎はこの編集長が好きではないが、さらに嫌いになりそうだった。わざとらしい、粘度のある笑顔は、そう向けられて気持ちの良いものではない。

 ライターの名前もろくに覚えられない出版社とは手を切った方が良いのかもしれない。

 もったいぶる態度がさらに嫌悪感を募らせる。


(なんで俺はここで書くって言ったんだか……)


 馬崎が今までの行いを後悔していると、岩間は不意にデスクの引き出しからA4サイズの封筒を取り出した。

 にやにやした顔面のまま、封筒を馬崎へと差し出す。

 馬崎は無言で受け取ると、岩間が『開けろ』と目で促した。


 中には紙束が入っていた。パラパラと中をめくると新聞記事の切り抜き、写真、地図のコピーが確認できた。


「何すか、これ」

「これで、我が雑誌を救ってもらおうと思ってね、ヒーロー」


 岩間はデスクに両肘をつき、某アニメーションの中年男性のように拳の上から、馬崎に鋭い眼光をくれる。これで片方の眼鏡が光ると完璧だが、あいにく岩間は裸眼だ。


「ババ君、限桐村げんとうむらという場所を知っているかな」

「何県にあるかもわかんないっすね」

「俺はな、ババ君。素晴らしいネタを手に入れたんだ。それが、その手にあるものだ」


 馬崎の話を聞いちゃいない岩間は、雄弁に自分の成果を語り始めた。




「限桐村、この村は青森県の某所に位置し、周囲三方を山で囲まれた土地だ。確か真ん中に大きな川が通っているんだ。どれ、地図は……。ああ、合ってた合ってた。でな、この村では、たびたびあることが起こるんだよ」

「なんすか、おばけ……」

「まぁ待て待て、そう急ぐな。ここではな、定期的に行方不明者が出るんだよ。うん……、定期的、という言い方は正しくないかもしれない。正確には時期は決まっていないし、期間もまちまち、いなくなる人数もバラバラ。しかし、いなくなるんだよ、人が」

「その村の人っすか、大変ですね~過疎ってるだろうに」

「ババ君、読みが甘いな。いなくなるのはの人だ。性別、年齢、訪れた理由もバラバラ。そして、極めつけはこれだ。

 いなくなるのは、決まって霧の出る時なんだ」

「はぁ~。ありがちっすね。んで、編集長はそれを俺に調べて書けっていうんすね?」


 岩間はそれまで組んでいた拳を解き、バチンッ!! と両手を合わせる。音が狭いフロアに響き渡るが、これはいつものことだ。従業員たちは少し顔を上げただけで、またすぐ各々の仕事へと向かった。


「鋭い、鋭いぞババ君!! その通り。このオカルティックな話題についての記事を書いてくれ。俺が持ってきた話だからな、きっと大衆の目を引くものになるだろう!!」


 岩間の自己肯定感の高さには毎度感動してしまうが、このネタにはここ最近で一番自身があるらしいことを馬崎は感じた。


(ネタ探しも限界だし、どうせ沈みゆく船だし……。プチ旅行だと思っていけば、まぁ息抜きくらいにはなるか)


 馬崎は封筒に書類を詰め直し、岩間の顔を見る。


「んで、旅費ってどうなりますか」

「じゃ! ババ君頼んだぞ!! 俺はこれから用事がある」


 岩間はそういうとそそくさとオフィスを出ていった。

 小池のデスクに戻り、聞こえてはいただろうがもう一度事態を説明する。


「――んで、俺の旅費なんだけど」

「じゃ、ババさん頑張ってくださいね! この雑誌を救うのはあなただヒーロー!」

「しらばっくれるんじゃない。旅費はどうなる。青森なんていくらかかるんだ。宿泊費だって馬鹿にならんだろ」

「編集長がすでに答えを出してるじゃないですか。そういうことです。ちなみに僕は行きませんよ、青森なんて遠いところ。僕は都会じゃないと生きていけないので」

「おまえ、地方民を敵に回すもんじゃないぞ」

「僕は根っからのシティボーイなんで。あと、怖いところにはいきません。いかにも怖そうじゃないですか、青森」

「お前、さっさとオカルト雑誌編集者やめろ」


 馬崎は長い長い一筋のため息をつき、自身の書き上げ小池にくしゃくしゃにされた原稿を拾うとさっさと出口へ向かった。

 後ろで小池がやんやと何か言っていたが、馬崎は振り返ることはエネルギーの無駄遣いだと思った。





「あれ、ババ君帰ったのか」

「編集長、あれは金はやらんからとっとと行けって意味じゃなかったんですか」

「旅費は出さないが、一つ言い忘れたことがあってな」

「?」

「この資料を渡してくれた人が言っていたんだ」



『濃霧注意報には気をつけろ』

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