第4話 煙の中の魔法

「うわっ! 派手にやっちゃったね! 大丈夫!?」


 振り返ると、そこに立っていたのはショートカットがよく似合う女の子だった。

 ダメージジーンズにパーカー。

 ラフな服装なのに不思議と絵になる。

 年は、たぶん私と同じくらい。

 彼女は床の惨状に目を丸くしたが、すぐに私の方へ視線を戻して、心配そうに眉を寄せた。


「怪我は? 手、切ってない?」

「あっ、だ、大丈夫です。ごめんなさい、私……」

「わざとじゃないんだし、謝れば大丈夫っしょ。とりあえず店員さん呼ぼ!」


 そう言って踵を返しかけた――その瞬間だった。


『ジリリリリリリリ!! 火事です! 火事です! 速やかに避難してください!』


 けたたましい警報音が、モール全体を震わせた。

 一拍の静寂のあと、店内は爆発したような大混乱に包まれる。悲鳴、怒号、泣き声。

 人々が我先にと出口へ押し寄せた。


「うちらも避難! 行くよ!」


 呆然としていた私の腕を、その子が強く掴む。


「えっ、あ、でも……!」

「インクのことなんかどうでもいいって! 今は命優先!」


 言葉は荒っぽいのに、その瞳には一片の迷いもなかった。

 私は引かれるまま、人の波の中を走り出す。

 すぐ近くの通路から、鼻を突く焦げた匂いとともに黒煙が流れ込んできた。


「こっち!」


 彼女は咄嗟に、人の流れが少ない別の通路を選ぶ。

 しかし、その先で待っていたのは――無情にも降り下ろされた防火扉だった。


「嘘でしょ……!」


 彼女が悔しそうに扉を叩く。びくともしない。

 煙はどんどん濃くなり、喉を焼くように肺へ入り込む。私は激しく咳き込み、視界が滲んだ。


 ――もう、ダメかもしれない。


 そう思ったその時。


「ニャアアアン! ミャーッ!」


 後ろから、必死の鳴き声が聞こえた。


「テト!?」


 人の波を逆らって、小さな黒い影が滑り込んでくる。

 私の使い魔、テトだ。


「猫……? なんでここに――」

「ミャッ! ニャゴ、ニャアアン!」


 テトは私の足元に駆け寄ると、すぐに身を翻し、煙の薄い方向へ走り出した。

 まるで「こっちだ!」と言わんばかりに。


「テトが……あっちだって!」

「猫の言うことなんか――」

「信じて! この子は特別だから!」


 私は今度は彼女の手を掴み、テトのあとを追った。

 その導きのまま、非常階段へと駆け込む。

 煙に追われながら階段を上り、ようやく屋外テラスへ飛び出す。

 しかしそこは、行き止まり。

 背後からは黒煙が迫る。


「どうしよう……もう逃げ場が……!」


 焦燥で頭が真っ白になる。

 その時、テトが鋭く鳴いた。


「ミャッ! ミャーゴ!」

「そんなこと……できるわけない! 人に見られたら……!」


 母の声が脳裏によみがえる。

 ――『いい、あかり。人前で魔法は使っちゃダメ。力を狙う人が現れるかもしれないから』


「ゴホッ、ゴホッ……!」


 隣で彼女が咳き込み、膝をつく。


「ニャアアアン!」


 テトの鳴き声が胸を突き刺した。

 ――そうだ。私は魔女。助けられる力がある。

 目の前で命が消えかけているのに、見て見ぬふりなんてできない。

 ……ごめんね、お母さん。

 私、約束を破る。


「しっかり、私の手を握って!」

「えっ? な、なにを――」


 彼女の言葉を遮り、私はその手を強く握る。

 そして、迷わず柵を越えた。


「きゃあああああっ!」


 悲鳴が耳元で弾ける。

 けれど――衝撃は、来なかった。

 まるで水の中を漂うような、不思議な浮遊感。

 恐る恐る目を開けた彼女が、息を呑む。

 私たちは宙をふわりと漂い、羽毛のようにゆっくりと落ちていく。

 駐車場の白いラインが足元に近づき、やがて音もなく着地する。

 そこはモール裏手の、人目につかない駐車場の隅だった。


「な、何……? 今の……魔法……?」


 彼女の声は震えていた。恐怖と驚きが入り混じる。

 私は咄嗟にその手を離し、背を向けた。


「待って! あなた、名前は――!」


 振り返らない。

 知られてはいけない。

 葵さんを探さなきゃ。

 私はただ走った。

 ――衝撃の出会いと、絶対に知られてはいけない秘密だけを残して。


 ***


 ようやく人混みの中で葵さんの姿を見つけた時、胸の奥が一気に熱くなった。


「あかり! 無事だったか!」


 葵さんは駆け寄るなり、私をぎゅっと抱きしめる。


「よかった……! 携帯も繋がんねえし、ほんと心配したんだからな!」

「ごめんなさい……私も探してて……」


 腕の中で、テトが小さく鳴いた。

 葵さんは少し驚いたように目を丸くする。


「テトも一緒か? どうやって……いや、もういい。無事ならそれでいい」


 その声が優しくて、緊張の糸がぷつりと切れそうだった。


「もう大丈夫だからな。でも……とんでもねぇ歓迎会になったな」


 大きな手が、私の頭をわしゃわしゃ撫でた。

 涙がこぼれそうになった。


 ***


 結局、文房具は何も買えないまま帯広を後にした。

 夕暮れの車窓を眺めながら、膝の上のテトに囁く。


「ねえ、テト……大丈夫かな。魔女だって、バレてないよね……?」


 不安でいっぱいの胸の中で、テトは自信ありげに喉を鳴らした。


「……そうだよね。他に見てた人もいなかったし、きっと大丈夫……だよね」


 祈るように窓の外を見つめる。

 ――今日助けた、あのボーイッシュな女の子。

 まさか高校生活の始まりで、あんな形で再会するなんて。

 その時の私は、まだ夢にも思っていなかった。

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