転生して、悪役公爵の“便利な妹”になったけれど──攻略対象は私じゃない。世界の脚本を書き換えます

篠ノ目

第1話 あの日、私に名をくれた少年

「……あーあ、また空、見てるねって思われてるな、これ。」

私はぼんやりと空を見上げた。

孤児院の庭に寝転がって雲を追っていると、すぐに裏から叔母さんたちのひそひそ声が聞こえてくる。

「ほら、またあの子。頭、ちょっと弱いんじゃないの?」

「でも顔はいいのよねぇ、もったいないわ。」

――いや、聞こえてるんですけど!?

まったくもう。私はバカじゃない。ただ……心はすでに二十代の社会人なんだ。

六歳児の輪に入れって言われても、無理がある。

だって、泥遊びだよ? あれ、地獄じゃない?

「二十歳越えて泥団子って、罰ゲームじゃん……」

自分で小声で突っ込んで、ため息をひとつ。

そのとき、庭の外から「ガラガラッ!」と車輪の音が響いた。

どうやら、また“里親”が来たらしい。

「ちょっと! イネート、部屋に戻りなさい!」

叔母さんがドスドスとやってきて、私の腕を乱暴に掴む。

「いったー! ちょ、力強すぎません!? 私まだ六歳!」

この孤児院では、里親が来ると“価値のある子供”をまず隠す。

そして“普通”の子を見せて、少しでも高く売れるように値踏みするのだ。

貴族や商人が来たときだけは、私もきれいな服を着せられて並ばされる。

まるで展示会の人形。

前にも優しそうな夫婦が私に目を留めてくれたけど――

「この子は高すぎて……」って、即諦められた。

そう、私は孤児院の“お宝在庫”なのだ。売れ残り確定の。

「はぁ……人生、二周目なのにセール品扱いってどういうこと。」

叔母さんが私の顔を覗き込む。

たぶん、六歳児とは思えない老けた声でため息をつくから、不気味なんだろう。

仕方ないじゃない。前世では孤児だったんだよ。

ろくに食べられず、バイトと学業の板挟み。

あのときの夢は「一日三食」だった。

そして、あの最期――。

「黒猫……」

そう、あの子を助けようとして、トラックに――。

……まあ、助けるっていうより、逃げ場が見えただけだったのかもしれない。

だから私は、また罰を受けた。

もう一度、孤児としてやり直すなんて――ほんと、運命って性格悪い。

そのとき。

古びた扉が軋んで開く音がして、現実に引き戻された。

院長の脂ぎった笑顔が、ドアの隙間から覗く。

「おおお! これはこれは……お急ぎで皆を並べろ! 服はそのままでいい!」

――服そのままってどういうこと!? 見た目大事でしょ!?

叔母さんが私の頬を軽くペチンと叩いた。

「笑顔、忘れないでよ」っていう合図だ。

「はいはい……プロの笑顔でいきますよ……」

私は深呼吸し、目をキラキラさせてドアの外へ。

「お嬢ちゃんスマイル、オン!」

外に出ると、そこにいたのは――若い。

え、十代? 貴族の服を着た、信じられないくらい整った顔の少年だった。

黒髪に赤い瞳、整った横顔。孤児院の荒れた庭では明らかに浮いている。

「……え、なにこの人。空気だけで高貴。」

その瞬間、彼の瞳が私に向けられた。

院長が慌てて前に出る。

「こ、この子の名前は……ええと……」

おい、忘れたな今。絶対。

「名前なんてどうでもいい。」

少年が冷たく言い放つ。

その声が、やけに静かで冷たくて、私は一瞬息を止めた。

彼は一歩近づいて、私を見下ろす。

「今日から――お前はイネートだ。」

……え、今、名付けられた?

え、突然の命名式!?

「……まあ、別にいいけど。前の名前よりはマシだし。」

孤児院がつけた私の名前は、門の前を散歩する犬と同じだった。

しかも毛が三割くらい少ないやつ。どう考えても負けてた。

少年の後ろにいた従者が、ずっしりと重そうな袋を院長に渡す。

中身は……金貨だ。

院長の顔が、金色に輝いた。もうそれ、蛙通り越してスライムだよ。

私は確信した。

――これは養子縁組なんかじゃない。人身売買だ。

少年は一言も自己紹介せず、背を向けた。

「え、名前も言わないの? せめて苗字とか、名刺とか……」

私が呆然としている間に、叔母にドンッと背中を押された。

「わっ!」

危うく転びそうになり、慌てて数歩駆け出す。

「ちょ、顔に傷つけたら減額でしょ!? 扱い雑っ!!」

少年は先に馬車へ向かう。

私はてっきり同じ馬車に乗るのかと思ったが、止められた。

どうやら“従者用”の馬車が用意されているらしい。

――早速、身分差を感じるんですけど。

窓越しに孤児院を振り返る。

あんなに小さくて、ボロボロ。

庭は雑草だらけで、子供たちが羨ましそうにこちらを見ている。

……院長はもう金貨と消えた。叔母たちもいない。誰も、子供を見ていない。

「……やっぱ、あの世界の孤児院のほうがマシだったな。」

貧しかったけど、院長は優しかった。

ボランティアの綺麗なお姉さんたちが絵本を読んでくれた。

その中で一番好きだった人の笑顔を、私は今でも覚えている。

――彼女、私が死んだって知ったら、泣いてくれるかな。

◇◇◇

イネートはゆっくりと扉を押し開けた。

足元がふらつく。

一歩ごとに、体が悲鳴を上げる。

庭の中央、噴水のそばで、彼女は力尽きた。

水面に映ったのは、泣きじゃくる顔と、血の色。

すべてを理解した瞬間――胸が裂けるほど痛かった。

エリオ。

あの日、私を見つめて「今日からお前はイネート」と言った少年。

あの瞬間から、すべては計算されていたのだ。

彼が脚本家で、私はただの登場人物だった。

そして、あの日が――すべての開幕の日だった。

——『カトリーナの滅亡』 第二十六章 遅すぎた覚醒——

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