まちかど異世界
有の よいち
第1話 異世界ねこカフェ
今日もどこかに現れる、
異世界へ通じる案内所。
異世界を信じる者にしか、
たどり着けない不思議な店。
本日のお客様は、どなたでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今夜も残業が長引いた。新人を鍛えるためとか言って、部長は雑務を押し付けてくる。しかも毎日、定時の間際に。こんなのいじめと変わらない。女性だからってなめているのか。
踏切の警報は一定のリズム、街灯はきれいに等間隔。整然としすぎて嫌になる。
駅が近づいてくるにつれ、飲食店から良い香りが漂う。今夜はそれが嫌味に思える。
早くアパートに帰りたい。帰ってすぐにでも眠りたい。休日はまだ遠い水曜日、今週は土曜出勤もある。あと三日もあるなんて、体がもってくれるかどうか。
重たい体を引きずるように、路地を曲がったその瞬間。見慣れない店が目の前に。
「こんなお店あったっけ?」
普段気にも止めてなかった。激務に追われて見逃していたのか。
よく見るとこの店、看板がない。けれど、不思議と目が離せない。ぼんやりと灯る店先のランプに、私はふと吸い寄せられた。
自然と足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
占い師のような格好の老婆が優しく出迎えてくれた。
「あの、ここはどんなお店ですか?」
「ここは『異世界案内所』でごさいます」
「異世界案内所? 何ですか、それ」
「そのままの意味でございますよ。こちらがメニューとなっております」
「はあ……」
私はため息まじりに返事した。木製のがっちりした表紙をめくると、手漉きの紙に毛筆で書かれたイラスト付きの案内文が綴じられていた。いかにも異世界という演出だ。
そして私は、とあるページで手を止めた。
「そちらの体験が気になりますかな?」
声をかけられ、はっとした。釘付けになっていたらしい。私の求める理想の世界がそこに広がっていたからだ。体が火照ってくるのが分かる。
「これって本当なんですか? 『猫耳族のカフェ』って……こっちの世界で言う猫カフェみたいなものですか?」
何を口走っているんだろう。興奮のあまりこっちの世界なんて言い方をして。もういい大人だっていうのに、本当に恥ずかしい。
「ええ、その通りでございます。体験なさいますか?」
「はい!」
即答までして。私、よっぽど疲れてるんだろうな。
「では、こちらにお名前のご記入を。体験料は百円です」
「え、百円?」
あまりの安さに驚いたが、老婆は「異世界とは物価が違いますから」と、もっともらしい理由で返して来た。
それにしても異世界案内所だなんて、よくそんなコンセプトを考えたものだな。信じてしまっている私が言うのもなんだけど。
百円硬貨を手渡すと、老婆はこくりとうなずいた。
「入り口はあちらでございます」
そう言って、店の奥を指さした。壁の一部が光っていた。目を凝らすと、光の中に通路が伸びている。異世界演出もここまでくると、もはや感心しかない。
「通路の先に係の者が控えています。どうぞ、お進みください」
言われるままに、光へと突入した。
少し歩くと、一気に光は強くなり——。
私はカフェの店先にいた。
「いらっしゃいませ~」
かわいい声。ちょっとずつずれて、ふたつ、みっつ。
猫耳をつけたこどもたちが、わらわらと私のほうへ駆け寄ってきた。笑顔をぱあっと咲かせて、とてとてとおぼつかない足取りで。
「おねえちゃん、あたしとあそぶにゃ」
「おねえちゃん、なでなでしてにゃあ~」
幼いこどもたちが次々と、私に身を寄せてくる。右腕の袖をひっぱって上目遣いの男の子、左足にしがみついて離れない女の子、左手をつかむ男の子、右足にスリスリする女の子。
撫でてみて、すぐ気がついた。
「この耳、本物!?」
思わず大きな声を出す私。こどもたちはみんな、不思議そうに見つめる。
「そうだよ? だってぼくたち、ねこみみぞくにゃもん」
ファンタジーの世界で目にする猫系の獣人ということか。本当に私、異世界に来たんだ。それにしてもこの子たち、すごくいい匂いがする。乳離れしていない仔猫特有の甘くてどこか香ばしい匂い。
なんだ、ここは天国か?
「『にゃごにゃごカフェ』へようこそ。おねえさん、初めてにゃよね?」
惚ける私に声をかけてきたのは、フリル付きのエプロンをした女の子。どうやらここの店主らしい。とは言ってもまだこども、他の子よりちょっとだけお姉さんといった感じだ。
「あ、はい。そうです」
「こちらの席へどうぞにゃ。お店の説明するにゃ」
語尾の「にゃ」が自然過ぎて、聞くだけで体の力が抜けてしまう。
このカフェは、飲み物か食べ物の何かひとつを注文すれば、閉店までずっといても良いらしい。しかも、どの品も驚くほど安かった。一番高い『シャーシャーお肉のぐるぐる盛り』でも、なんと三百円しかしない。
「どれにしようか迷っちゃうなあ」
「ゆっくり選んでくださいにゃ」
メニューはイラストで描かれていたけれど、どれも美味しそうなものばかり。それに、いちいちネーミングがかわいかった。
「じゃあ、この『ごろにゃんケーキのお花畑』で。ドリンクは……『肉球クリームソーダ』を」
「かしこまりましたにゃ!」
注文が済むと、こどもたちが甘えた様子で、くっついたり膝の上に乗ったりしてきた。みんな体がぽかぽかしていて、私は少しうとうととする。
何とか寝るまいと、右手で猫じゃらしのようなおもちゃを動かすと、こどもたちはおしりをふりふり、おめめをきらきら。
ときどき「にゃっ」と飛びかかっては、とてとてぱたぱたおもちゃを追いかける。
ああ、癒される。こんな至福のときが過ごせるなんて。
「お待たせしましたにゃ」
ほどなくして、注文の品がやって来た。
お花畑の名のとおり、色とりどりのケーキが並べられていた。ほんのちょっと形がいびつなところがあって、それがかえって私をほっこりさせた。
肉球クリームソーダは期待どおり、ソーダの上にアイスクリームが肉球そっくりに添えられていた。
「あの、店員さん」
「なんですかにゃ?」
「ケーキ意外と多いんで、この子たちと分け合いっこしていいですか?」
我ながら素敵すぎる提案だ。何とか許可してもらえるといいけど。
「いいんですかにゃ? おねえさんの分にゃのに……」
「もし大丈夫でしたら。私、一緒に食べたいんです!」
こうなったら押せ押せだ。最高の幸せを手に入れるためには。
「おねえさんがそう言うにゃら」
店員さんが言うなり、「やったー!」とこどもたちは大はしゃぎ。
「おねえさんのなんにゃから、ちゃんとお願いしてからもらうにゃよ?」
「はーーい!」
声をそろえて、かわいいお返事。ああたまらない、しあわせだ。
取り分けてあげると、まんまるおめめで、よだれをたらして。「どうぞ」と差し出すと、うっとりとろけて、ほっぺにクリームをくっつけて。
私もひとくちほおばる。ほどよい甘さが、体に染みる。こころもからだも、みるみるほぐされていく。
猫耳族のこどもたちをそっと撫でると、そのふわりとした肌触りに、手からからだじゅうへと、癒しの波が伝っていった。さっきまでの疲れがうそのように、どんどんどこかへ飛んでいくのを感じた。
どれくらい経っただろう。すっかり時間を忘れていた。
「いけない! そろそろ帰らないと」
慌ててスマホを見てみると、まだ午後十一時半。私が案内所に入ってから、なんと三十分しか経っていない。とはいえさすがに夜も遅い。
「おねえちゃん、もういっちゃうの?」
上目遣いの困り顔。もっといっしょに居たいけど。
「お客様に無理を言っちゃダメにゃよ!」
店員がそう言うと、こどもたちは「はーい」と元気なく応えた。
「おねえちゃん、またきてにゃ」
「うん。おねえちゃんもまた来たい!」
こどもたちの悲しそうな声に、私はいっぱいの笑顔で応えた。
「またのご来店、お待ちしてますにゃ」
「はい! ぜひ、また来ます」
みんなが手を振って見送ってくれた。
私も笑顔で手を振り返した。
こころの底からじんわりと、温かいものが、からだの隅々まで広がっていくのを感じながら。また会いたいって、心で何度もくり返しながら。
——光を抜け、私は案内所に帰ってきた。
「いかがでしたか?」
「最高でした! また行きたいです。でも……」
ここにまた、来れるだろうか。
そんな心中を察したのか、老婆は言った。
「信じる者は導かれる、ここはそういう場所ですから」
私は自然とほほえんでいた。
きっと来れる。異世界につながる、この場所に。
きっと行ける。異世界にあるという、あのカフェに。
私はまた、家路についた。その足取りは、軽やかだった。
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