第9話 寝室と執事


 いつの間にか眠ってしまっていたのか、私が目を開くと知らない場所だった。ふわふわの感触に視線を落とすとベッドの上にいた。体を動かして起き上がるとそこが天蓋付きの豪華なベッドであることがわかった。

 枕もシーツも高級感たっぷりで肌触りが良く、クッションもたくさん置かれている。


「お目覚めですか」


 ベッドから少し離れた場所にはソファーセット、それから猫足のティーテーブルセット。バルコニーにつながる窓は豪華なカーテンが半分閉められていた。

 とても広い部屋、高級な赤い絨毯に裸足で降りてみればふわっと足が包み込まれるみたいだった。


「すみません、私……」

「ミレーユ様もご心配なさってましたよ。ですが、私めの配慮不足ですね。申し訳ございません」


 ミレーユさんのことを思い出すと、ふっと心の中に安心が広がった。まるで女神みたいに優しいお方だった。だからこそ、不思議に思っていることがある。


「あのエース、一つ聞いても?」

「構いませんよ。紅茶はいかがですか」

「ありがとう。ミルクでいただくわ」


 エースは華麗な手つきで紅茶を淹れる。よく見れば手袋が変わっている。室内用と外出用だろうか? 私にはその程度のマナーもわからない。


「どうして、王子はミレーユさんをお妃様に選ばないでしょうか」


 エースは驚いたように「こほっ」と咳き込んで、取り繕うように何度か咳払いをした。失礼な質問だったかしら、と心配になる。


「なるほど。それはどうしてでしょうか?」

「どうしてって、あんなに優しくて高貴なお方を選ばないのは不思議に思ったからです。スピンス家といえば、かなり有名な公爵家ですよね……?」

「スピンス家は王家ともつながりの深い公爵家でございます。それに、彼女は唯一この屋敷に住む公妾様の中で王子にお会いしたことがあるお人ですね」

「そうなの?」

「えぇ。王子とミレーユ様は旧知の仲。ですが、彼らが公妾という立場を選んだのは彼らなりの理由があるのでしょうね」


 裏を返せば、ミレーユさん以外が王子に会ったことがないということだ。王子はどんな基準で公妾たちを見ているのだろう? 私は、どう見られているんだろう?


「不安がございますか?」

「いえ、私はどうしたいのか。まだわからないの」

「といいますと?」

「ヴァイオレーナ様のように王子の妃になるために邁進をするのか、ミレーユ様のように別の目的のために暮らすのか。私はここで何をしたいのかわからなくて」

「なら、どうしてこの選択をなさったのです?」

「父と母に楽な暮らしをさせたかったから。あと、エースが首が飛ぶって脅したんじゃない」

「あっ……それはそうですね」


 彼は苦笑して、紅茶にミルクを入れるとくるっとかき混ぜた。

 私も彼の美しさにだいぶ慣れてきたようだ。彼と目があってもドキドキしなくなった。これだけで一歩前進だろう。


「だから、私の目的はもう果たされた……のかもしれないの。父と母は爵位をもらって今頃素敵なお家を建てているだろうし。エース、貴方の首は飛んでないでしょう?」

「えぇ、無事飛んでおりません」


 エースは首元をさすってにこっと微笑んだ。それから、私の前に作りたてのミルクティーを差し出した。受け取ってそっと口をつけると甘くて飲みやすい。


「では、フィルミーヌ様はこのお屋敷での目的がない……ということですね」

「えぇ。ここでただ贅沢をさせてもらうのはなんというか気がひけるわ。だってこれ、市民の納めた年貢から出ているのよね?」

「王族ですからそうですね」

「だとしたら、やっぱり気がひけるわ」

「フィルミーヌ様らしい考え方でございますね。とてもご立派でございます。ですが、王子のお考えですので」

「なんだが、ルディール王子がいい人なのか悪い人なのかわからなくなってきたわ」「いい人でございますよ」

「そうだといいけれど……一言お礼くらいはしたかったわ。父と母のこと爵位のこととか」

「お気持ちは私めが伝えておきましょう」

「エースはお会いしたことがあるのよね」

「もちろんでございます。私めはこちらの屋敷の執事長ですから」

「思ったのだけれど、エースってまだ若いわよね? その年で執事長ってなれるものなの?」


 彼は少し黙ってから取り繕うように笑顔になった。整った顔だが、何を考えているのかはよくわからない。


「大変恐縮ですが、私めが優秀だからでございます」

「ご年齢は?」

「19歳にございます」

「とても……優秀なのね。それなのに私の執事に?」

「もしかして、私めではご不満でございますか? フィルミーヌ様にはご苦労をかけないように全力を尽くしておりますが、もし私めがお嫌であれば悲しいですが担当を変えることもできますが、悲しいですが」


 さぞ残念そうに罪悪感を煽られると申し訳なくなってくる。エースはこういうちょっとずるい性格だと思った。あざとい人なのかもしれない。


「違うわ。執事長の立場の人間が庶民出身の公妾の専属に? って疑問に思ったの」

「それでしたら、当然でございますよ」

「え? どうして? だってここには公爵家の御令嬢もいるのよ?」


 コホンと彼はわざとらしい咳払いをした。

 そして得意げに話し出す。


「それは、フィルミーヌ様が庶民のご出身だからでございます。ここに住まわれている公妾様たちは皆貴族のご出身、こちらの屋敷に引っ越してくる際に各自お気に入りの侍女や執事、使用人を引き連れてきているのですよ。先ほどお会いしたヴァイオレーナ様に限っては子分……コホン、親しい子爵令嬢を二人同時に公妾にするように王子に提言し実現しております」

「みんな、それぞれ自分の周りに人を置いているってこと?」

「その通りでございます。ですがフィルミーヌ様にはいらっしゃらない。ですから、私めが担当をし身の回りのお世話からお妃教育まで幅広く担当し、庶民出身の貴女様を立派に育てようという王子の配慮なのです」


 私はもう一度ミルクティーに口をつけた。


「お妃教育って……もしかして王子が私をお選びになる可能性がある……と?」


 エースは笑顔で頷いた。


「現在、このお屋敷に住む公妾の中で王子との結婚を望んでいるのはあのヴァイオレーナ様のみ。あのような自己中心的で差別的、王子をトロフィーと考えているような令嬢と王子が結婚したいと思いますか?」


 すごい棘のある言い方だ。

 いや、彼女のあの感じからして普段から執事やメイドにも当たりが強いのだろう。多分、家畜くらいにしか思ってなさそうだもの。


「それは王子次第じゃないかしら。王子はどんな人をお妃様にしたいかによって変わると思います。ヴァイオレーナ様だって他の女性や使用人には厳しいけれど王子にはとてもお優しいかもしれないでしょう?」


「フィルミーヌ様はお優しいのですね」


 とお茶を濁すようなことを言って微笑んだ。どうやら、王子がどんな人と結婚をしたいのかというのは教えてはいけないことなのかもしれない。


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