第11話 公認
俺は、再びPCに向かい、Vlogの編集画面と向き合った。咲良は、俺の隣の席で、何事もなかったかのようにニコニコとスマホを弄っている。
(この子とキスをした、という現実。そして、主導権を完全に掌握されているという状況……)
俺が悩んでいると、サークル長の川崎が、俺のデスクにやってきた。隣には、同期の田中もいる。
「おう、東雲。Vlogの素材、確認させてもらうぞ。」
川崎はそう言って、俺のPCの再生ボタンを押した。
画面には、ペアルックのパーカーを着た俺と咲良が、遊園地で密着している映像が次々と流れる。
急流すべりで俺に抱きつく咲良。ジェットコースターで手を繋ぐシーン。そして、メリーゴーランドでの、俺が咲良に視線を向けた瞬間の、頬を赤らめる咲良の笑顔。
映像が終わり、サークル室に沈黙が訪れた。
最初に口を開いたのは、田中だった。
「……おい、東雲」
田中は、口を半開きにし、信じられないものを見る目で俺を見た。
「お前、『エモい日常』ってレベルじゃねえだろ。これ、ただのデートじゃねえか!」
川崎は、腕を組み、満足そうに頷いた。
「いや、素晴らしい! 俺が求めていた『カップルムード』を遥かに超えている。東雲、お前、天野と、いつからそんなに仲が……いや、もういい。聞かなくてもわかる。やはり…俺が期待した通りだったな東雲。あのラジオドラマを作っただけはある。」
ニヤニヤした川崎は、俺の肩をポンと叩いた。
「いいか、東雲。お前と天野が付き合ってるってことは、もう隠さなくていいから。この映像を見たら、誰もがわかるし。だから、次の編集では、もっと二人のラブラブなシーンを意識してくれ。」
「ち、違う! 川崎、俺と天野は、その、付き合ってない!」
俺が慌てて否定すると、隣にいた咲良が、パッと立ち上がった。
「えー? 先輩。私、先輩とキスしたのに……まだ付き合ってないんですか?」
咲良は、サークル室にいる全員に聞こえるように、満面の笑顔でそう言った。
その瞬間、サークル室の空気は凍りついた。田中が持っていたペットボトルを床に落とす音が響く。
「……き、キス!?」
川崎は、自分の耳を疑うような顔で、俺と咲良を交互に見た。
咲良は、さらにダメ押しをした。
「それに、先輩。私が先輩の家の鍵を持ってるのも、もう秘密じゃないですよね? 昨日の夜も、私、先輩に夕食を作ってあげましたし♡」
俺は、頭を抱えた。もう、言い訳の余地は微塵もない。公認の事実として、サークル中に拡散されてしまった。
田中が、青ざめた顔で俺の肩を掴んだ。
「お、おい、東雲……観覧車で……頂上でやったのか……!?」
俺は、もう何も答えられなかった。
川崎は、数秒の硬直の後、深い溜息をついた。
「……東雲。お前、本当に馬鹿な男だな。」
川崎は、俺に近づき、耳元で囁いた。
「天野の今の顔を見たら、全部わかった。ちょっとは男になれよ。」
川崎は、そう言って咲良の顔を見た。咲良は、俺に最高の勝利の笑顔を向けている。
「責任は、ちゃんと取れよ。」
川崎はそう言い残し、田中を連れてサークル室の奥へと去っていった。
俺は、隣に立つ咲良を、恨めしそうに見上げた。
「天野……お前、なぜ、そんなことまで……」
咲良は、俺の言葉を無視し、俺のPC画面に戻った。そして、俺が編集しようとしていたVlogの素材を、笑顔で指差した。
「先輩。このVlog、カップルとして完璧ですよね。次のコンテスト、これで優勝しましょう!」
彼女は、「恋愛」という名のコンテストで、既に「優勝」を手中に収めていた。
気づいたら外堀は…なくなっていたのだった。
その日から、サークル室の空気は一変した。
もはや誰も、俺と咲良の関係を「先輩と後輩」として見ていない。俺たちが並んで編集作業をしていると、同期や後輩がニヤニヤしながら、まるで新婚夫婦を見るような視線を送ってくる。
「東雲先輩、天野のためにコーヒー淹れてあげたらどうですか?」
「天野、編集疲れたら、東雲の肩で寝ていいんだぞ!」
俺は、その都度「付き合ってない!」と叫びそうになるが、咲良が俺の腕にそっと触れ、「ありがとうございます!」と笑顔で返すため、完全に否定権を失っていた。
そして、その日のサークル活動を終え、俺が疲れて帰宅すると、玄関から味噌汁のいい匂いが漂ってきた。
「先輩、お帰りなさい! ごはんできてます♡」
リビングでは、俺のTシャツを着た咲良が、笑顔で迎えてくれた。
何で勝手に着てるんだ…
「あ、天野! お前、今日は来るなんて言ってなかっただろ!」
「ふふっ。先輩の予定なんて、聞く必要ないじゃないですか。だって、私は先輩の合鍵を持ってるんですもん。」
咲良はそう言いながら、俺をソファに促す。まるで長年連れ添った妻のようだ。
テーブルには、俺の好きなハンバーグと、温かいポタージュスープが並んでいる。もちろん、ペアの食器で。
「いただきます、って言うか……明日も来るのか?」
「はい。当たり前です。」
俺は、咲良のこの行動が、全て「俺の良心」を縛るためだと知っていた。料理、掃除、洗濯。俺の聖域を、彼女の「優しさ」と「ぐいぐい」で埋め尽くすことで、俺が彼女を追い出すという選択肢を奪っているのだ。
夕食後、俺が咲良の分の食器を洗おうとすると、彼女は俺の腕を掴んだ。
「ダメですよ、先輩。キスした相手に、食器洗いなんてさせられません。」
「キスと食器洗いに、なんの因果関係があるんだ!」
「あります。先輩は、今日一日、サークルで私との関係を否定し続けたんですから。せめて、家の中では、私に甘えてください。」
咲良はそう言うと、俺をソファに座らせ、俺の隣にピタリと座り込んだ。
「ね、先輩。私、先輩の膝の上で、Vlogの編集画面をチェックしたいです。」
「なっ……馬鹿なことを言うな!」
「ダメですか? 」
咲良は、俺の顔を見上げ、あの観覧車の頂上と同じ、真剣な瞳で問うてきた。
「私は、先輩を困らせるけど、先輩の嫌がることはしないって、決めてるんです。もし本当に嫌なら、強く言ってください。」
「…」
沈黙を貫く俺に咲良は、にっこり微笑んだ。
「先輩。嫌じゃないんですね?」
そういうわけじゃない…そういうわけじゃないが、この関係が終わるのは嫌だ。そう思っている自分がいるのだった。
そして、次の瞬間、咲良は俺の返事を待たずに、俺の膝の上に、猫のように軽い体を預けてきた。
俺の膝の上に、小悪魔が座っている。
「ふふ。暖かいです、先輩♡」
俺の抵抗は、もはや意味をなさなかった。俺の聖域は、完全に彼女の「甘え」に完敗していた。
膝の上の暖かすぎる重みを感じながら、PCの画面に映る、俺と咲良の映像を見つめるのだった。
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