隠密特殊部隊ヤタガラス

鈴木涼介

第1話「夜間飛行を纏う女」

 2030年3月の終わり──。

 円は暴落し、東京の街には外資系企業のロゴが貼りつくように増えていた。ニュースキャスターは「現代の幕末です」と笑えない冗談を言い、街では凶悪事件が日替わりで起きる。


 ただ、そんな不穏な空気とは裏腹に、東京湾に浮かぶ複合施設「ベイフロント9区」には、休日らしいざわめきがあった。

 神崎七瀬は、その三階にある人気パンケーキ店「ブルーバード・ベイクス」のテラス席で、友人の日菜子と向かい合っていた。海風はまだ少し冷たいが、陽射しは春の訪れを告げている。


「はぁ……」

 七瀬がため息をつくと、日菜子が眉をひそめた。

「ちょっとナナ、今日の予約どれだけ大変だったと思ってるの? ため息禁止!」

「ごめん……嬉しいんだよ。でも、明日から刑事課って考えると、つい……」


 神崎かんざき七瀬ななせ、22歳。

 警察学校を出て交番勤めだったが、検挙率の異常な高さが話題になり、異例のスピードで、明日から刑事課へ異動が決まっていた。


「刑事課、そんなに怖い?」

「向いてない気がするんだよね……」

「何言ってんの? ナナはさ、昔から正義感だけはガチじゃん。駅で痴漢の腕ひねって、倒した時も──」

「や、やめてってば……! あれは忘れて!」

 七瀬は顔を赤くした。小柄で童顔、その表情は、気弱そうなのにどこか放っておけない。だが、小動物みたいな顔に似合わず、剣道で鍛えた力は本物だ。


 その時だ。入り口から背の高い女性が入ってきた。

 黒いジャケットに黒髪ロング、サングラス。整った顔立ちだが、そこに女性らしさは薄い。どこか、無骨で荒野のような匂いを纏っている。

(綺麗な女性なのに……何だろう? 女性っぽくない……)

 七瀬の胸がざわついた。


 店員が予約番号を尋ねると、女は無言で首を振った。だが、背後に隠れていた着物姿の若い女性が店員へ耳打ちすると、店長が慌てたように飛んできて、ふたりをテラス奥の特別席へ案内した。


(予約なしで特別席──? 芸能人……とかじゃなさそうだけど……)

 首を傾げる七瀬の横をサングラスの女性が通り過ぎた時、風に乗って香りが届いた。甘くて、ほろ苦く、どこか懐かしい香り。


「日菜子、この香り……なんだろ……?」

「『夜間飛行』だよ。ゲランのヴィンテージ香水。超高い」

「夜間飛行……」


 七瀬の視線は自然とそのふたりへ吸い寄せられた。テラスの景色とは対照的に、サングラスの女は微動だにしない。メニューも開かず、何も言わない。まるで世界から切り離された黒い影のようだった。


 そんな不穏を破るように、パンケーキが運ばれてきた。

「美味しそ〜! ね、ナナ、写真撮ろ!」

「うん!」

 七瀬と日菜子がスマホを構えた、その時だった。


「動くな!」

 店内のざわめきがふっと途切れ──次の瞬間、世界を裂くような轟音が響いた

 ショットガンの銃声。迷彩服の男が三人、店に雪崩れ込んで来た。客も店員も一斉に叫び、店内の喧騒が一瞬で凍りつく。


「我々は義勇団、『紅蓮会』! 外国カブレした、この店を占拠する!」

 店の扉が閉ざされ、海に面したテラスは逃げ場を失った孤島となった。


『紅蓮会』はテロリスト集団だ。

 特に海外資本を目の敵にしている。日本経済悪化後、この類のテロリストが日本の治安を脅かしていた。


 七瀬の隣で日菜子が震える。

「ナナ……こ、怖い……」

「大丈夫……絶対に離れないで」

 七瀬だって怖い。身体が震えている。

 

 テロリストは客を隅に集め、人質の代表を出せ、と要求。だが、誰も前に出ないため、業を煮やした男が天井に銃を撃ち込み、再び悲鳴が店を満たした。


 その時──スッ、と先程の着物姿の若い女性が前に出た。無表情のまま、人質になろうとしている。


(ちょ……ちょっと待ってよ……)

 七瀬はその光景を見て胸が痛んだ。警察学校での教官の言葉が脳裏をよぎる。

『警察官は、困っている人の前へ誰よりも先に立て』

 怖い。でも……。

(私は警察官……市民を守るのが私の役目……!)


「ちょ……ちょっと待ってください! 私が…… 私が人質になります!」

 叫んだことに七瀬自身が驚いた。だが、もう足は止まらなかった。


 七瀬が迷彩服の男に近づくと、警戒され、身体検査された。

 すると、ポケットから護身用スプレーが見つかり、バッグからは警察手帳が出てきた。


「テメェ……警察か?」

 銃口が七瀬の胸元に押し当てられ、恐怖で身体が固まった。

「……脱げ、全部だ」

「えっ……?」

「服を全部脱げ。もしかしたら、銃とか隠し持ってるかもしれねえからな」 

(……っ!)

 羞恥と恐怖が喉を締めつける。七瀬は震える手でボタンを外し始めた。その時だった──。


「はっはっは──!」

 場違いな、陽気で豪快な笑い声が店に響いた。視線が一斉に向けられる。

 立ち上がったのは──夜間飛行の女だった。サングラスをかけたまま、口元に薄く笑みを浮かべている。


「義勇団? 笑わせんな。お前らの目的はストリップかよ?」

「な……お前か!? 今、喋ったのは!?」

「ああ、俺だよ」

 声は明らかに男のものだった。


「おい……貴様、男か──?」

 迷彩服の男がショットガンを女に向けた瞬間──。


 パンッ!

 乾いた銃声。ショットガンを構えた男の額に、小さな穴が開き、仰向けに倒れた。

 彼女はまったく動いていなかった。だが、テロリストは確かに『撃たれた』。


「は!? どこから撃たれた──!?」

 もう一人が叫ぶが──。

 パンッ!

 再び銃声、ふたり目も崩れ落ちた。


(え? う、うそ……?)

 七瀬は動揺した。三人いたテロリストは、あっという間に一人になった。

 銃の位置は分からない。だが、確かに撃たれている。


 残った一人が、半狂乱で女に銃を向ける。

「貴様──! 何を──!?」

「俺は何もしてねぇって。勝手に倒れたんだろ?」  

 女性は両手を軽く上げて、おどけた言い方をした。

「ウソつけ! こりゃあ銃創だ! 誰だ!? 誰が撃った!?」

 すると、サングラスの女は、スーッと左手を上げ、人差し指を男に向けた。


「な、何のマネだ?」

「『裸の王様』って知ってるか?」

「は?」

「それと同じだ。 馬鹿には見えねえ銃なんだよ、これ」

「ふざけるな!」

 男が怒鳴った瞬間──。


「ばあん」

 と女性が声を上げた。

 と同時に、男の額に黒い穴が空いて、仰向けに倒れた。


 店内に悲鳴が上がり、間近でその光景を見ていた七瀬は心底驚愕した。

『見えない銃──』

 どんな手を使ったのか分からないが、確かに女性の指から銃弾が放たれ、テロリストの男の額に穴を空けたのだ。


「やっぱり見えなかったか」

 女性は笑い、人質たちは非現実的な光景に呆然とした。


「おい、私用の日に警察手帳を持つのは結構だが、巻き込まれる覚悟くらいしとけよ」

 七瀬にそう言い残すと、何事もなかったかのように、女はそのまま店を出て行った。七瀬は胸の奥がざわつくのを感じながら、その背中を見送った。

 

 サングラスの女性が立ち去った後には、夜間飛行の香りだけが残っていた。

 甘く苦く、夜に落ちるような匂い。

 まるで、春の風に混ざった永遠に消えない影のようだった。


 

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