隠密特殊部隊ヤタガラス
鈴木涼介
第1話「夜間飛行を纏う女」
2030年3月の終わり──。
円は暴落し、東京の街には外資系企業のロゴが貼りつくように増えていた。ニュースキャスターは「現代の幕末です」と笑えない冗談を言い、街では凶悪事件が日替わりで起きる。
ただ、そんな不穏な空気とは裏腹に、東京湾に浮かぶ複合施設「ベイフロント9区」には、休日らしいざわめきがあった。
神崎七瀬は、その三階にある人気パンケーキ店「ブルーバード・ベイクス」のテラス席で、友人の日菜子と向かい合っていた。海風はまだ少し冷たいが、陽射しは春の訪れを告げている。
「はぁ……」
七瀬がため息をつくと、日菜子が眉をひそめた。
「ちょっとナナ、今日の予約どれだけ大変だったと思ってるの? ため息禁止!」
「ごめん……嬉しいんだよ。でも、明日から刑事課って考えると、つい……」
警察学校を出て交番勤めだったが、検挙率の異常な高さが話題になり、異例のスピードで、明日から刑事課へ異動が決まっていた。
「刑事課、そんなに怖い?」
「向いてない気がするんだよね……」
「何言ってんの? ナナはさ、昔から正義感だけはガチじゃん。駅で痴漢の腕ひねって、倒した時も──」
「や、やめてってば……! あれは忘れて!」
七瀬は顔を赤くした。小柄で童顔、その表情は、気弱そうなのにどこか放っておけない。だが、小動物みたいな顔に似合わず、剣道で鍛えた力は本物だ。
その時だ。入り口から背の高い女性が入ってきた。
黒いジャケットに黒髪ロング、サングラス。整った顔立ちだが、そこに女性らしさは薄い。どこか、無骨で荒野のような匂いを纏っている。
(綺麗な女性なのに……何だろう? 女性っぽくない……)
七瀬の胸がざわついた。
店員が予約番号を尋ねると、女は無言で首を振った。だが、背後に隠れていた着物姿の若い女性が店員へ耳打ちすると、店長が慌てたように飛んできて、ふたりをテラス奥の特別席へ案内した。
(予約なしで特別席──? 芸能人……とかじゃなさそうだけど……)
首を傾げる七瀬の横をサングラスの女性が通り過ぎた時、風に乗って香りが届いた。甘くて、ほろ苦く、どこか懐かしい香り。
「日菜子、この香り……なんだろ……?」
「『夜間飛行』だよ。ゲランのヴィンテージ香水。超高い」
「夜間飛行……」
七瀬の視線は自然とそのふたりへ吸い寄せられた。テラスの景色とは対照的に、サングラスの女は微動だにしない。メニューも開かず、何も言わない。まるで世界から切り離された黒い影のようだった。
そんな不穏を破るように、パンケーキが運ばれてきた。
「美味しそ〜! ね、ナナ、写真撮ろ!」
「うん!」
七瀬と日菜子がスマホを構えた、その時だった。
「動くな!」
店内のざわめきがふっと途切れ──次の瞬間、世界を裂くような轟音が響いた
ショットガンの銃声。迷彩服の男が三人、店に雪崩れ込んで来た。客も店員も一斉に叫び、店内の喧騒が一瞬で凍りつく。
「我々は義勇団、『紅蓮会』! 外国カブレした、この店を占拠する!」
店の扉が閉ざされ、海に面したテラスは逃げ場を失った孤島となった。
『紅蓮会』はテロリスト集団だ。
特に海外資本を目の敵にしている。日本経済悪化後、この類のテロリストが日本の治安を脅かしていた。
七瀬の隣で日菜子が震える。
「ナナ……こ、怖い……」
「大丈夫……絶対に離れないで」
七瀬だって怖い。身体が震えている。
テロリストは客を隅に集め、人質の代表を出せ、と要求。だが、誰も前に出ないため、業を煮やした男が天井に銃を撃ち込み、再び悲鳴が店を満たした。
その時──スッ、と先程の着物姿の若い女性が前に出た。無表情のまま、人質になろうとしている。
(ちょ……ちょっと待ってよ……)
七瀬はその光景を見て胸が痛んだ。警察学校での教官の言葉が脳裏をよぎる。
『警察官は、困っている人の前へ誰よりも先に立て』
怖い。でも……。
(私は警察官……市民を守るのが私の役目……!)
「ちょ……ちょっと待ってください! 私が…… 私が人質になります!」
叫んだことに七瀬自身が驚いた。だが、もう足は止まらなかった。
七瀬が迷彩服の男に近づくと、警戒され、身体検査された。
すると、ポケットから護身用スプレーが見つかり、バッグからは警察手帳が出てきた。
「テメェ……警察か?」
銃口が七瀬の胸元に押し当てられ、恐怖で身体が固まった。
「……脱げ、全部だ」
「えっ……?」
「服を全部脱げ。もしかしたら、銃とか隠し持ってるかもしれねえからな」
(……っ!)
羞恥と恐怖が喉を締めつける。七瀬は震える手でボタンを外し始めた。その時だった──。
「はっはっは──!」
場違いな、陽気で豪快な笑い声が店に響いた。視線が一斉に向けられる。
立ち上がったのは──夜間飛行の女だった。サングラスをかけたまま、口元に薄く笑みを浮かべている。
「義勇団? 笑わせんな。お前らの目的はストリップかよ?」
「な……お前か!? 今、喋ったのは!?」
「ああ、俺だよ」
声は明らかに男のものだった。
「おい……貴様、男か──?」
迷彩服の男がショットガンを女に向けた瞬間──。
パンッ!
乾いた銃声。ショットガンを構えた男の額に、小さな穴が開き、仰向けに倒れた。
彼女はまったく動いていなかった。だが、テロリストは確かに『撃たれた』。
「は!? どこから撃たれた──!?」
もう一人が叫ぶが──。
パンッ!
再び銃声、ふたり目も崩れ落ちた。
(え? う、うそ……?)
七瀬は動揺した。三人いたテロリストは、あっという間に一人になった。
銃の位置は分からない。だが、確かに撃たれている。
残った一人が、半狂乱で女に銃を向ける。
「貴様──! 何を──!?」
「俺は何もしてねぇって。勝手に倒れたんだろ?」
女性は両手を軽く上げて、おどけた言い方をした。
「ウソつけ! こりゃあ銃創だ! 誰だ!? 誰が撃った!?」
すると、サングラスの女は、スーッと左手を上げ、人差し指を男に向けた。
「な、何のマネだ?」
「『裸の王様』って知ってるか?」
「は?」
「それと同じだ。 馬鹿には見えねえ銃なんだよ、これ」
「ふざけるな!」
男が怒鳴った瞬間──。
「ばあん」
と女性が声を上げた。
と同時に、男の額に黒い穴が空いて、仰向けに倒れた。
店内に悲鳴が上がり、間近でその光景を見ていた七瀬は心底驚愕した。
『見えない銃──』
どんな手を使ったのか分からないが、確かに女性の指から銃弾が放たれ、テロリストの男の額に穴を空けたのだ。
「やっぱり見えなかったか」
女性は笑い、人質たちは非現実的な光景に呆然とした。
「おい、私用の日に警察手帳を持つのは結構だが、巻き込まれる覚悟くらいしとけよ」
七瀬にそう言い残すと、何事もなかったかのように、女はそのまま店を出て行った。七瀬は胸の奥がざわつくのを感じながら、その背中を見送った。
サングラスの女性が立ち去った後には、夜間飛行の香りだけが残っていた。
甘く苦く、夜に落ちるような匂い。
まるで、春の風に混ざった永遠に消えない影のようだった。
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