第2話 面会:勇者シオン

 翌日、僕は寝不足の頭を引きずっていた。

 昨日聞いた言葉が頭の中から離れなくて、全く眠れなかったからだ。

 ── ぼくは勇者なんかじゃない。本当に世界を救ったのは、魔王だった。

 勇者は確かにそう言った。

 あの言葉の意味は一体何だったのか……。

 食堂の椅子に腰掛け考えていると、隣に誰かが座ってきた。


「どうしたのさ、全然ご飯に手をつけてないじゃん」


 赤毛の猫のような瞳の女性、カーラだ。

 言われてみて気がついた、まだ昼食を一口も食べていない。

 スープはとっくに冷めきっている。それだけの時間考え込んでいたらしい。


「昨日もずっとなんか悩んでる顔してしたし……悩み事?」


「……まあそんなところだよ」


 僕は自分しか知らない事実を言ってしまいたかった。

 僕という人間が背負うにはあまりにも重い荷物を、一刻も早く下ろしたかったのだ。

 いや、もしかしたら全部包み隠さず話してしまって、「そんなわけないじゃん」と笑い飛ばしてほしかったのかもしれない。

 そうすれば僕も昨日聞いた言葉は幻聴かなにかだと思って、そのまま忘れ去ることができただろう。

 けど、僕の口からは素直に言葉が出てこなかった。

 本当に、言ってしまってもいいのか?

 勇者から聞いたこの言葉が知れ渡ってしまえば、世界にどんな影響があるのか分からない。

 魔王は人類の敵で、勇者は英雄。

 それは世界の根幹だ。

 それなのに、勇者である本人の口から前提がひっくり返るような言葉がでてきた。


「あのさー」


 カーラが口を開く。


「幼馴染で、同じ村出身の私のことをもっと信用して頼ってくれてもいいんじゃない? 別に誰にも言いふらしたりしないしさ」


「……」


 その言葉を聞いて、決めた。

 彼女に僕が聞いた話をしよう、と。


「実は……」


 僕はカーラにすべてを話した。

 話を聞き終えたカーラは顎に手を当て少しの間考えた。


「レイルがそこまで真剣ってことは……聞き間違いじゃないよね?」


「ああ、聞き間違いじゃないことは断言する」


「じゃあ、言ったのは勇者様じゃないとか?」


「そのあと部屋の前を通り過ぎたけど、部屋の中にいたのは勇者パーティーだった」


「それなら間違いないか……」


 カーラは腕を組んでうーん、と唸る。


「でもちょっと、信じれないような言葉だよね。まさか勇者様が「世界を救ったのは魔王だった」なんて言うなんてさ」


「だろ。だから僕も最初は幻聴だと思ったんだよ」


「どういう意味なんだろう。世界を救ったのは魔王だった、って。皮肉とか?」


「いや、その線はないよ。そういうニュアンスじゃなかった」


 その言葉を口にした勇者の声色は重くて、真剣そのものだった。

 冗談めかしたり、その場の思いつきで言ったんじゃないことは断言できる。


「やっぱり謎だね……」


 再度暗雲が立ち込める。

 するとカーラが妙案を思いついたように「あ」と言った。


「それならさ、聞いてみればいいじゃん」


「誰に?」


「本人にだよ」


「えっ」


 カーラの突拍子もない言葉に、僕は一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。


「いや、そんなのできないよ。だって僕はただの一般人だよ? 勇者に会って話をすることすら難しいって」


「いやいや、レイルくん。忘れたのかい?」


 カーラがまるで教師みたいな口調で人差し指をくるくると回す。


「私たちは勇者省の記録官だよ?」


「あ」


「勇者の言葉を記録する、なんて口実をつければ会って話をすることなんて簡単でしょ? 取材ですって体で会ったら、そのときに聞いちゃえばいいんだよ」


 確かに、その通りだ。

 僕は勇者省の記録官、魔王討伐の記録の中で曖昧なところを詳しく知りたい、という口実をつければいくらでも勇者に話を聞ける。

 というか、そもそもそれが僕の仕事だ。


「よし、そうと決まれば行ってくるよ」


「え、今から? 祝祭について記録をまとめる作業は?」


「それはカーラに任せる」


「えーっ!?」


「幼馴染だろ、頼むよ。それじゃ」


 カーラの返事を待たずに僕は飛び出した。

 後で相当怒られるだろうけど、埋め合わせすれば問題ない。

 そして、偶然にもその日の午後、僕は予定が空いていた勇者と会うことができた。



***



 爽やかな風が吹く草原のような人だ、と思った。

 けれど優しげな瞳の奥には、芯の通った強さを感じる。

 勇者シオン。彼が僕の目の前に座っていた。


「ぼくに聞きたいことがあるんだったよね」


「は、はい」


 僕の声はどこか上ずっていた。

 取材や仕事で、今まで勇者と会ったことは何度かある。

 けどそれはあくまで集団の一人としてであって、さらにいえば直接言葉を交わすのは初めてだ。

 自然と、緊張が首をもたげてくる。

 そんな僕の様子を見て、勇者は気さくに笑った。


「はは、緊張しないでいいよ。もっと楽にやろう」


「は、はい」


 緊張を解すために軽く息を吐いた。

 肩の強張りは取れなかった。


「今日はお時間をいただいて、すみません」


「勇者の旅の記録を後世に残すのは大切なことだと思っているよ。それに、こういうときは謝るよりお礼の方がぼくも嬉しいな」


「! ありがとうございます」


「どういたしまして。ぼくの大切な人からの受け売りなんだよ」


「大切な人、というのは」


「ぼくを勇者に選んで力をくれた人、選定者さ」


「選定者様のお言葉、ですか?」


「ああ、もしかして今日は選定者について聞きに来たのかな?」


 僕が食いつくと、勇者がそう言った。


「ええと、はい」


 本当の目的とは違うけれど、ややこしいので話に乗っておくことにした。

 まさか単刀直入に「魔王が世界を救ったというのはどういうことですか」と訊くわけにはいくまい。

 話に乗ったこと手前、選定者について質問することにした。

 乗っかった質問だったけど、全く興味がないというわけじゃなかった。

 勇者を選び、勇者パーティーに魔王を打倒する力を与えた選定者については未だ謎な部分が多いからだ。


「選定者リヒト様は、一体どんな方だったのですか?」


「彼は凄い人だったよ。ぼくなんか比較にならないくらいに」


 勇者シオンは静かにそう言った。

 けど、僕はその言葉にほんの少し、違和感を覚えた。

 なぜならそれは記録に残されている選定者リヒトの印象とは全く違うからだ。


「凄い人、ですか?」


「ああ、本当にすごい人だった」


 勇者は繰り返しそう言った。


「えっと、戦い方が凄いとか、ですか?」


「いや、そんなことはないよ。まあ、選定者って役職ロールは勇者とか聖女みたいな役職の他にもいろんな役職ロールを持ってるから、その力を引き出して戦えるけどね」


「そうなんですか?」


「うん。あの人も聖騎士とか付与師の能力を使って魔族と戦ってたね。騎士十人分くらいの強さはあるんじゃないかな」

 結構以外だった。

 選定者リヒトが戦えるのは知っていたけど、選定者という役職にそこまでの力があると思わなかった。


(でもそれなら……)


「今、『それなら選定者が魔王を倒せばいいんじゃ?』って思ったでしょ」

 僕の思考を読んだ勇者が、内心で考えていたことを言い当ててくる。


「えっと……はい。勇者の聖剣の力も聖女の癒やしの力も使えるなら、ひとりで戦ったほうが強いんじゃないか、って」


「そう上手くはいかないさ。選定者が引き出せる能力はよくて三割程度だからね。強い魔族を相手にすると流石に火力不足になる。実際、旅の終盤では彼の攻撃は魔族にほとんど通用していなかった」


「なるほど……選定者リヒトは、どのような人物だったのでしょうか?」


 選定者リヒトに少し興味が湧いて、自分から質問してみた。

 選定者リヒトがどのような人物だったか、記録が少ないのだ。

 勇者シオンは顎に手を当てて、少し天井を見つめた。


「そうだね……一言で表すなら、『明るくて憎めない人』かな。勇者パーティーの中でもムードメーカーだったよ」


 やっぱり僕が知っている選定者リヒトとは、ぜんぜん違う印象だった。


「では、次は勇者様が選定者リヒト様に、どのよう選ばれたのかを教えていただけますか?」


「選ばれる前、か……」


 勇者シオンは考えるように斜め上を見た後、言った。


「当時のぼくはただの凡人だった。どこにでもいるような、ね」


「そうだったんですか?」


「そんな自分を変えたくて魔物を倒す冒険者になったけど、それでも平凡だった。可もなく不可もなく。毎日鍛錬は積んでるけど、凡人の剣の腕を出ることはなかった」


「では、どうして選定者様は勇者様を選んだのでしょう?」


「リヒトさんはね、ぼくが『逃げなかった』から選んだそうだ」


「『逃げなかった?』」


「ちょうど、リヒトさんを選定者だと知らないときに、一緒に魔物を狩るために森へと入ったんだ。すると普段の森の中では出ないような魔族が現れてね。魔族に凡人のぼくが敵うわけもなくて、もうボロボロにされたんだ」


「どうして逃げなかったんですか?」


「近くに怪我してる人がいたからね。ぼくが逃げ出したら、その人が死ぬってことは明らかだった。だからぼくは戦った」


 その光景を想像してみる。

 果たして僕は魔族を前にして、戦えるだろうか。


「そしたらリヒトさんが自分が選定者であることを告げて、『お前になら任せられる』って勇者の役職を授けてくれたんだ。その後は聖剣の力を使って、なんとか魔族を撃退したって感じだね。でも結局、ぼくが凡人なのは変わらなかったな。剣術の腕も最後まで普通だったし」


 聖剣。勇者の役職ロールに内包されている、魔王や魔族へ強力な攻撃を与えることのできる剣だ。


「リヒトさんは『お前みたいに逃げないやつが必要だった』って言ってたな。……思えば、逃げない奴が必要、っていうのはそういう意味だったんだね」


「それは魔王戦の話、でしょうか?」


「うん、そうだよ」


 勇者シオンのこぼれるような呟きに質問する。

 彼は思い出したように僕を見て、にこりと笑って頷いた。

 するとその時、勇者がふと思い出したように窓の外を見た。


「おっと、そろそろ時間みたいだ」


「え」


 言われてみて思い出した。

 取材を開始してからそれなりの時間が経っている。

 勇者は多忙だ。

 取材できる時間には制限があるのは知っていたのに……うっかり忘れていた。


「ごめんね、今日のところはもうこれで終わりに──」


 勇者が椅子から腰を浮かす。

 まずい、このままじゃ本当に聞きたいことを聞けなくなってしまう。

 けど、もう遠回りに質問するような時間は残されていない。


「あの」


 焦った僕は、このまま取材が終わってしまう前に勇者シオンへ質問した。


「今日お時間をいただいたのは、実は質問したいことが会ったからなんです」


「質問したいこと? なにかな」


 僕は全神経を集中して、勇者を観察していた。

 僅かな動きを見逃さないためだ。

 そして、勇者に質問をした。


「『本当に世界を救ったのは魔王だった』というのはどういうことですか?」


 勇者の眉がほんの少しだけ、ピクリと動いたのがわかった。

 勇者は静かに微笑むと口を開いた。


「そんなこと、言ったかな?」


 はぐらかされた。

 同時にそりゃそうだ、と自分でも思った。

 そんなに単刀直入に訊ねたところで教えてもらえるわけがない。

 その後。僕は結局、王宮で聞いた言葉の真意について聞き出すことはできなかった。

 けれど、収穫はあった。

 僕が勇者を凝視したことでわかった勇者の反応。

 あれは何かを隠している証拠だ。

 勇者パーティーが語った魔王討伐の旅とは違う、語られていない真実があるという証拠だ。

 知りたい、と僕は思った。

 勇者が語った『本当に世界を救ったのは魔王だった』という言葉の意味は何なのか。

 勇者パーティーが隠そうとしていることは一体なんなのか。

 歴史の裏で何が起こったのか。真実とはなんなのか。

 僕は調査を開始した。




【記録官レイル調査記録】


〈面談者/日時/場所〉

 ・勇者シオン/勇者歴12◯◯年◯月◯日/勇者省応接室。

〈問い〉

 ・選定者リヒトはどのような人物だったのか?

 ・どうして勇者シオンは『本当の意味で世界を救ったのは魔王だった』という発言をしたのか?

〈新たな情報〉

 ・記録における選定者リヒトの印象と、勇者シオンが語る選定者リヒトの印象の食い違い。

〈メモ〉

 この記録は私、記録官レイルが勇者シオンの『魔王が世界を救った』という発言を聞き、その言葉の真意を探るために行った調査の記録である。

 重要なことを忘れるのを防止するため、また後から見返すためにこの記録を残す。

 日記に近いものなので、後世に残すことはないかもしれない。

 今回、私は勇者シオンに魔王討伐の旅について、いくつか質問を行った。

 疑問は以下の通りである。

 ・どうして勇者は『魔王が世界を救った』という言葉の真意。

 ・勇者はなぜ、選定者リヒトを褒め称えるのか。

 今回の聞き込みで、上の疑問は解消されなかった。

 勇者シオンがそのような発言をした覚えがない、という発言をしたからである。

 また、新たな疑問も生まれた。勇者シオンは、選定者リヒトをなぜ褒め称えるのか、という疑問である。

 選定者リヒトは勇者のみならず勇者パーティーを選定して力を与え、魔王討伐に貢献した偉大な人物ではある。

 しかし、勇者省が残している魔王討伐の旅の記録によれば、選定者リヒトは決してそのように褒め称えられる人物ではない。

 また、これは確たる証拠はないが、選定者について話題を誘導されたように思う。まるで勇者が選定者リヒトのことを訊いてほしいかのような……いや、これは想像に想像を重ねている。やめゆお。

 どうして勇者シオンは選定者リヒトを『自分と比較にならない偉大な人物』としたのか、その真意を探りたいと考える。

 まとめると、勇者から真実を聞き出すためには確たる証拠でもって誤魔化せないようにする他ない。

 勇者の言葉の真意を掴むため、調査を行いたいと思う。

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