第19話 秘密と進展

 深月里香には、三つ歳の離れた姉がいる。

 

 姉の名前は、深月哀良。

 姉は言わずと知れた伝説のアイドルであり、雅人たちが推していた深月アイラその人である。


 里香と哀良の関係は、今のところあまり良いものとはいえない。

 それも、里香が一方的に避けているのが現状だ。


 幼い頃は、むしろ真逆だった。

 哀良は昔から明るくて優しくて、運動も勉強もできて。

 そんな哀良が里香は大好きで、いつも傍にいた。


 そんな関係に亀裂が生じ始めたのは、哀良が中学に上がった頃だった。

 哀良は呑み込みが早く、大抵のことはすぐにできるようになる。俗にいう天才。

 一方で里香はその真逆。吞み込みは決して早くなく、できないことも多かった。


 幸い両親はそんな二人を平等に扱っていたが、周囲は違った。


 外では常に、里香は哀良と比べられた。

 他人との会話には常に哀良がいて、里香自身に関心を向けられることはない。

 次第に里香は哀良を疎ましく思うようになった。

 筋違いだということは分かっていたが、そうしなければ自分を守れなかった。


 それから時は流れ、里香は高校生になり、哀良は大学生になった。

 高校は哀良とは別の高校に進んだ。哀良は高校で部活や生徒会で活躍したこともあり、比較される可能性が高かった。


 里香の選択は正しかった。

 姉のことを知る人がいない環境では、誰も里香と哀良を比較しない。

 それどころか、里香は人気者になった。

 元から容姿も優れていたし、努力は怠っていなかったので成績も悪くない。

 哀良がいなければ、周囲に里香を求める人が増えるのは必然だった。


 そんな状況が、里香はたまらなく楽しかったし、今までにないくらい人生に充足感を覚えていた。


 そんな中、突然、哀良がアイドルになると言い出した。

 何でもバンドサークルのピンチヒッターとして、ライブハウスで歌ったのを見た音楽関係者にスカウトされたらしい。


 実に哀良らしい話だと思った。

 ただ、同時に今回ばかりは上手くいかないとも思った。

 芸能界は厳しい世界だ。

 哀良のように才能ある者が、簡単に挫折し消えてしまう。


 里香の見てきた限り、哀良が挫折したことは一度もない。

 この際、挫折というものを味わえばいい。

 里香はそう思った。


 実際、現実は里香の思った通り厳しかった。

 プロから見れば哀良の歌もダンスも下手らしく、両手で数えられない程の指摘を受けたらしい。


 誰かに自分を否定された経験が少ない哀良もこれで少しは堪えるはずだ。


 この話を聞いた時、意地の悪いそんな考えが里香の脳裏をよぎった。


 しかし、哀良は堪えるどころか笑っていた。


「もっと上手くならないとね!」


 どこまでも前向きに現実を受け止める哀良に、里香は自分の卑しさを嫌でも実感させられた。


 それから哀良は何度も似たような壁にぶつかり、その度に持ち前の明るさと努力で困難を越えていった。


 そして次第に哀良の知名度は上がっていき、高校でも哀良のことが話題に上がるようになった。

 別に周囲の人たちは哀良と里香を比較している訳ではない。

 それは分かっていも、里香は哀良と比較されているような気がしてならなかった。

 

 更に月日が経ち、哀良は伝説のアイドルと呼ばれるようになった。

 その名は伊達ではなく、学校どころか街の至る所で哀良を見かけるようになった。


 気づいた時にはこれだ。

 やはり、哀良てんさいは哀良であり、里香ぼんじんは里香なのだと実感した。


 里香は自信というものを完全に失った。

 そして現実から目を背けるように、里香は大学進学と共に実家を出た。

 

         ※※※


 大学生になると、一人の時間が増えた。


 一人暮らしなので、家に帰れば当然誰もいない。

 加えて大学は高校のようにクラスがないので、強制的に求められる人付き合いもない。

 哀良の話が持ち上がるのが嫌だった哀良は、あえて孤立するよう振る舞った。


 そして、増えた一人の時間の中で、里香は自分について考えるようになった。


 自分はどうなりたいのか?


 哀良になくて、自分にだけあるものが欲しい。

 そして、失った自信を取り戻したい。

 

 そのためにどうすればいいのか?


 哀良がこの先、絶対に深く関わらない領域。

 それでいて、根強い人気がある。

 そんなコンテンツで、トップクラスになる。


 条件を満たすものとして最初に思い至ったのが、ダンジョン配信だった。


 ダンジョンは常に危険が付きまとう場所。

 そんな場所に、アイドルの哀良は絶対に踏み込めない。

 それでいて、ダンジョン配信の人気は留まるところを知らない。


 この世界で成り上がれば、哀良に並ぶことができる。

 それどころか、越えることさえも。


 こうして、深月里香の自分を取り戻すための命がけの戦いが始った。


         ※※※


 深月さんの抱える秘密を聞いて、俺は今までの彼女の行動に納得がいった。


 彼女はいつも、成長することに貪欲だった。炎竜王との戦闘時に逃げてもいいところを、戦闘に参加したのもアイラに追いつきたい一心だったのだ。


「本当は、このことを話すつもりはありませんでした」


 きっと、俺たちがアイラの妹として特別扱いすると思ったからだろう。

 事実、コラボ前の段階で同じ話をされていれば、俺たちが特別扱いしていた可能性は高い。

 そしてそれは、深月さんの望むところではなかった。


「野田さん。聞いてもいいですか?」


 深月さんが不安そうに俺の方を見ながら続ける。


「今の話を聞いて、私の見方は変わりましたか?」


 私の見方。

 探索者の香月りかか、アイラの妹の深月里香か。


 愚問だな。


「香月さんは香月さん……いや、里香は里香だよ」

「……っ、野田、さん……」


 背中を預けて一緒に死線を潜り抜けた相手を、推しの妹だからって今さら特別扱い何てできるわけがない。

 俺にとって、香月りかは、深月里香は深月里香だ。


 俺の答えを聞いた里香は、両手で顔を隠す。


「すみません。嬉しくてつい……」

「お、おう……」


 なんだろう。

 思い返してみると、かなりキザっぽいことを言ったような気がする。


 里香が喜んでくれているので良いが、やっぱり少し恥ずかしい。


「そ、そういえば。これからどうする?」


 恥ずかしさを紛らわせるような俺の問いに、里香は背を向けたまま答える。


「ご、17時から、行きつけのイタリアンを予約してあります」

「へ、へ~イタリアンか。楽しみだな~」

「お、美味しいので、期待しててください」

 

 それから似たようなぎこちない会話を続け、里香が落ち着いたところで二人並んで公園を出る。


「そういえば、野田さん」

「何だ?」

「さっき、里香って呼びましたよね……?」

「……」


 勢いでそう呼んでしまってから、何回かそう呼んでしまっている。


「もしかして、嫌だったか?」

「そ、そんなことないです! むしろ嬉しかったです!」

「そ、そうか……」

「ただ」

「ただ……?」

「私も野田さんじゃなくて、下の名前で呼べたら、何て……」


 恥ずかしかったのか、里香は両手で顔を隠す。

 その様子に、俺の方まで恥ずかしくなる。


 な、何だこの展開は……っ!


 デートが始まるまで予想だにしなかった状況に、脳がフリーズしそうになるのを必死に抑えながら俺は答える。


「べ、別に俺はいいけど……」

「な、なら。雅人さんって呼びますね……?」

「あ、ああ。そうしてくれ」


 何が、そうしてくれだ!

 顔が熱くなり、本格的におかしくなってしまった。


 それから二人でイタリアンに入り、ぎこちない初々しい雰囲気のまま俺たちは食事を終えた。そして――


「雅人さん」

「な、何だ?」

「今度はプライベートでダンジョン、行きましょうね?」

「――っ、そ、そうしよう!」


 別れ際にそんな約束をしてから、俺の人生初デートは終わるのだった。

 

 


  

 



 

 

 


 

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