第5話 遭遇
熱い腸詰にかぶりつくと、歯を差し入れた断面から肉汁が次々滲み出る。練りこまれた塩とバジルの爽やかな香りに豚肉の濃さが混ざり合い、そこへ空腹というスパイスも調和すればどんどん渦巻きが欠けていく。服へ垂れそうになった脂は麦パンで余さず受け止めるのが、合わせて食べる醍醐味だ。
「よく覚えていたな、私の好物なんて」
「結構顔へ出すくせに、俺が気が付いていないとでも? さっきの君を鏡で見せるべきだったよ」
歓談と食事に興じるノワの視界の隅で、銀の鎧がちらついた。二人一組で警邏をしているのは、騎士団でもよく見知った顔ぶれだ。彼らは人混みに揉まれることなく、自然と空く道を大股で歩き去っていく。最後の一口を串から抜き、咀嚼しながらその背を眺めていたノワは、好物の塊を嚥下してすとんと思考が腑に落ちた。
——そうか。今日はやけに歩き辛いと思ったが、それは靴や服のせいだけじゃない。「騎士」として歩いている時は、先に道が作られていたんだ。
「ノワ? どうしたの、喉にでも詰まった?」
心配そうに覗きこんでくるシトロンは、己の取り分をとっくに食べ終わっていたらしい。左手の指に挟まれた串は、欠片も肉が残っていない。
「あ……いや、なんでもない。串を捨ててくるから、ちょっと待ってろ」
「いいよ、そんなの俺が行くよ」
「さっき私に奢っただろう。やられっぱなしは性に合わん」
「訓練や決闘じゃないんだからさあ」
口では文句を言いつつも、シトロンはノワに串を預けた。市場で共用の屑籠は広場の隅に置かれている。踵の細い靴には慣れ、広がるスカートの捌き方も分かった。それ以外の振る舞いは鎧を纏っている時とほとんど変わりはないはずだが、シトロンの腕を借りていた時よりもなぜか道が窮屈だ。それまでの軌道から急に逸れ、ノワが避けなければぶつかっていた者すらいる。シトロンも上手く避けてはいたが、少なくとも、見ず知らずの相手がわざわざ向かってくるようなことはなかった。
——なるほど。こうも簡単に舐められるから、「女と子どもを守ること」が男の甲斐性として成り立つのか。
幾度となく父親に手を上げられたかつての記憶が脳裏をかすめ、ノワは鋭く舌を打つ。険しい形相となった彼女を見て、今まさにぶつかろうとしていた男は慌てて進路を元に戻した。苛立ちを含む早足でベンチへ戻ろうとしたノワをその場に縫い留めたのは、かすかに聞こえた少女の悲鳴だった。
「やだ、嫌っ、こっちに来ないでよぉ……!」
考えるよりも早くノワの脚は動く。多くの人が川の水のように行き交う大通りの中、流れを滞らせている一団はさしたる苦労もなく見付けられた。野次馬や見て見ぬふりをする通行人を掻き分けて彼女が到着する頃には、幼い姉弟が路地裏へ逃げこんでいた。子どもたちを追い詰める男の頭数は三人。道の幅が狭いせいで、奥へ割り入るだけの余裕がない。
「いだだだだだ! なん、誰だっ⁉︎」
ノワは、一番近くにいた暴漢の後ろ手を掴んだ。肩甲骨に彼自身の拳がつくよう捻りあげれば、個々の体格に関係なく身を捩らせることができる。軟骨を噛み砕いたかのような鈍い音が掌に伝ってから離せば、男は膝をついて身悶えた。
「全員今すぐ三歩下がれ。分別すら酒で見失ったのか?」
地面に転がる一人目に加え、半身になってノワを睨む残り二人も全員赤ら顔だった。姉弟の最も近くにいる男のシャツは、赤紫色の液体によって腹部がしとどに濡れている。ようやく仔細が見通せた子どもたちの身なりは粗末なもので、煤けたはぎれを繋ぎ合わせて服にしている。大きな瞳へ涙をいっぱいに溜めた弟は、小さな両手で木のマグカップを抱いていた。
「おいおい、お嬢ちゃんはすっこんでろよ。俺らはこの服の落とし前を頼んでるだけだからさあ」
「わ、わざとじゃないのに……それに、ごめんなさいも言ったもん!」
「謝りゃ染みが落ちんのか、ああ⁉︎」
「ひっ!」
「怒鳴るな。その子たちに弁償ができないことくらい、見れば分かってやれるだろう」
「ごちゃごちゃとうるせえ奴だな。そんじゃ、アンタが代わりに身体で払ってでもくれんのか?」
「うええ、んなじゃじゃ馬やめとけよ。相変わらず趣味わりぃー!」
汚れた服の男が仲間を押しのけ、ノワの眼前に詰め寄る。黄ばんだ歯の合間から溢れるアルコール入りのしゃっくりと、油の臭いが混ざった呼気が額に青筋をはしらせる。両目をすがめたノワは、男の指が顎に触れる寸前でその手首を掴んだ。
「たかる相手を間違えるなら、喧嘩を売る相手を間違えるのも道理だな」
ノワは、緩んでいた男の股間を一切の躊躇なしに蹴り上げた。潰れた蛙の方が美声だろうと思える呻きは、途切れるまで待ってもらえるはずもなく彼女に投げられ宙を舞う。背中と急所をしたたかに打ち据えられた酔っぱらいが、地虫のように丸くなる。
その光景を目の当たりにした最後の一人もまた、元から赤い顔をさらに赤くしてノワへ拳を振り上げた。しかし、酒気によって精彩を欠いた攻撃が騎士に当たるはずもない。力任せな一撃の勢いを流し、ブーツで脛を引っ掛けてやると簡単に男は転倒した。鼻血の雫が地面に散る。
「で、じゃじゃ馬がなんだって?」
「こんっ……のクソアマ!」
怒りの矛先を互いに向け、次の体勢を整えようとしたノワと男の間に鋭い銀がひらめいた。二人の視線を遮る場所で停止した剣には、オルール騎士団にのみ許された模様がレリーフとして彫ってある。
「はい、そこまで。まだやるなら、どちらも厳重注意じゃ済まさないよ」
ノワが視線を上げると、食事を共にしていた時の朗らかさをどこかへ置いてきたシトロンがいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます