第3話 装飾
カートルやボディス、爪先の細い革のブーツに、楚々としたアクセサリー。粉おしろいや付け毛までよりどりみどりな服飾と、辺境伯夫人の側仕えに囲まれながら、ノワは下降する気分を顔に出さぬよう努めている。
「ノワ。今日はシトロンとのデートだと、第二騎士団から聞きましたよ。事前に教えてくだされば、貴女に似合う服をもっとたくさん用意しましたのに」
「……僭越ながら、此度の外出は奥様がご期待されているようなものではありません。詰所の冬支度を進めるために、薪や干し肉の買付先を街へ求めに行くのです」
「でも、求婚者と出かけるのは変わりないのでしょう? それなら、将来の旦那様のために着飾らないのは失礼だわ」
——駄目だ、話が通じない。
辺境伯夫人に呼び出されたノワは、外れて欲しいと願っていた予感が当たったことに頭を痛めた。謁見の間で騒動が起きたその日のうちに、シトロンがノワとの結婚を願い出たことは騎士団の隅から隅まで知れ渡った。辺境伯にはシトロンの希望を保留にしてほしいと頼みこみ、どうにか猶予を得られたのが翌日。そのまた次の日である今日は、前々から決まっていた買い出しに妙な意味合いを見出す輩が騎士団の大半を占めていた。常日頃から唯一の女騎士を気にかけていた女主人も、そのうちの一人だったというだけの話である。
「スカートは帯剣に不向きです。お心遣いは光栄ですが、このままの姿で出向くのが騎士としてあるべき姿かと」
「警邏は第二、第三騎士団全体での管轄でしょう。たった半日、たった十六歳の貴女が剣を持たないせいで崩れてしまうような平和なら、わたくしは夫と団長たちを問い詰めなくてはなりません」
レースで編まれた扇子を口元にあてがう夫人は、頑として譲らないことを態度でノワに示していた。その目元が弓なりであるのは、決して彼女が生来穏やかな気質だからではない。反論に構える必要がないからこそ、女神の素振りができるのだ。
奥歯を擦り合わせたノワは、長い逡巡の後にうなだれた。隙なく揃えられた踵は、苛烈な鍛錬に食らいつくうちに自然と癖になっていた。
「……分かり、ました。どうぞ奥様が望むまま、着せ替え人形になさいませ」
「うふふ、ありがとう。では、お手入れから始めていきましょうね」
夫人がメイドに声をかけると、お仕着せの群れがノワを隣室へと連れて行く。香草が浮かび、水面から湯気が白く立ち昇る猫足つきのバスタブを見て、ノワは今日という日の長さを憂えた。
◆
「短いままでも素敵だけれど、せっかくなら飾りもつけてみたいわね。髪は一番長いものにしましょう」
付け毛は地毛が短すぎるために固定できず、代わりにかつらを被せられたノワは、既に満身創痍だった。筋肉で硬くなったくびれを強調するためにボディスの紐はきつく編み上げられているし、ブーツの横幅も余裕がない。顔におしろいをはたかれた時は、息を止めていなかったせいで粉を吸いこみしばらく咽せた。化粧鏡に映る女性は姿勢こそ良すぎるきらいはあるが、元から涼やかな顔立ちとアッシュグレーで統一された服飾から「どこかの家の令嬢が、お忍びで物見遊山にきたのでは」と推測させる程度には見られるものになっている。
「わたくしはね、貴女が幸せを掴んだことが嬉しいのよ。幼すぎる頃から剣を握って、ずっと心配していたの」
「求婚は、幸福の象徴なのですか?」
「ええ、もちろん!」
編みこみを交えながら結い上げられた後ろ髪へ、スモーキークォーツをあしらった楕円のバレッタが飾られる。ようやく完成した令嬢の肩へ、シルクの手袋に覆われた夫人の手が添えられた。
「男の幸せは、女と子どもを守ること。女の幸せは、誠実な結婚をして、元気な子どもを産み育てることですからね。殿方に愛されて、ちっとも損はありませんよ」
夫人の腹は、新たな命を宿してなだらかに膨らんでいる。優しげな微笑みと鏡越しに目が合ったノワは、しかし表情に冴えがない。棘が指と爪の間に刺さったかのような顔つきは、はっきりとした物言いや振る舞いを好む彼女にしては珍しいものだった。
「どうかしましたか、ノワ? 発言を許しましょう」
小首を傾げる夫人は、まさに手本とされるべき貴婦人としてノワの目に映った。夫人自らが信じる「幸福」を享受したが故の美しさは、歳相応に刻まれた目元の小皺にまで品と知性を与えている。なおもためらうノワを待つ彼女は、悪意という概念から遥かに遠い場所に居る。
十数秒の沈黙を経て、搾り出すようにしてようやく紡がれたノワの声は、どこか迷子のようだった。
「……奥様の仰りたいことは、多少なりとも理解できているつもりです。次の世代を育て、慈しもうとされなければ、私もこうして生き延びてはおりません」
窓の外は、一昨日とよく似た快晴だ。風の流れは夏より早く、雲の形は刻一刻と移り変わって二度とは元に戻らない。
「ただ、それが絶対の道理なのでしょうか」
膝の上で作られた拳は、同僚よりも華奢で、夫人よりも無骨である。あわいに身を置く女騎士の瞳は、言葉が喉の管を通り、乾いた舌を打つたびに意志の光を灯しだす。
「男も女も関係なく、みな、それぞれに違った心があります。心が様々であるのに、幸福が一つの型に当てはめられるなど、どうしても私には信じがたいのです」
今度こそまっすぐに鏡を見据えたノワは、夫人が瞬きの回数を増やしたことに気が付いた。慌てて席を立ち、スカートの裾を巻きこんで膝をつく。着替えを手伝ったメイドたちの腕は確かなようで、素地の赤毛によく似た色彩のかつらは少しもずれはしなかった。
「出過ぎたことを申し上げました。どうかご容赦ください」
「いいのよ、尋ねたのはわたくしだもの。いずれ、貴女にも分かる日が来るわ」
——本当に、そんな日が来るのだろうか。
ノワの疑問は、迫る待ち合わせの時間によって黙殺された。カーテシーの作法を知らない彼女は、床につけた布地を軽く払うだけにとどめて女主人の部屋を辞す。急繕いの令嬢を見送った辺境伯夫人は、扉を閉じるまでノワが名残惜しげに見ていた剣へ戯れに触れた。
「重すぎるでしょう、女には」
厚い鉄の鞘と柄に施された装飾を、シルクに守られた指先で辿る。不意に落とされた彼女の呟きを拾う者は、夫人のためにあつらえられた優秀な従僕には誰一人としていなかった。
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