オルール騎士団備忘録 —ある女騎士への求婚について—

翠雪

第1話 褒賞

「では、第二騎士団に属する我が愛——ノワを、伴侶として迎えたく存じます」


 クロワ帝国の輪郭。切り立つ山脈によって縁取られた、強国の盾たるオルール地方の屋敷にてその事件は勃発した。


 ——頭でも打ったのか、シトロン!?


 名指しされた女騎士は、市井ではまず見ないほどに短い赤毛の合間から脂汗をふきだした。頬を朱に染めるどころか、真っ青な顔色となった彼女の鎧が音を立てる。領主の御前でプロポーズを仕掛けた青年は、柔らかな絨毯の毛足の長さをただひたすらに見つめていた。


   ◆


 高い天井の隅に至るまで意匠が凝らされた謁見の間では、生来の気難しさが皺に深く刻まれた辺境伯と、微笑みを欠かさないその妻が壇上の椅子に座っていた。壁際には第一、第二、第三騎士団の主だった顔ぶれが整然と列を成しており、厳かな空気が立ちこめている。


 壇上から延びる絨毯に跪くのは、陽光を写し取った黄金の髪と、夜の海を宿した瞳をもつ青年だ。今日この場は、第一騎士団の副団長シトロン・ド・オベールを褒め称えるためにある。彼の優秀さは折り紙付きで、隣国からの侵攻を未然に察知したり、辺境伯の暗殺を防いだりと、その功績を挙げ始めればきりがない。騎士にしてはやや長めな前髪も、彼だからこそ許されている。見習いが大半を占める第三騎士団でシトロンの装いを真似、その日のうちに坊主にさせられた者は指を折って数えなければならない。


 ノワは、平民で構成される第二騎士団の一人として壁際に並びながら、領主に呼びつけられた彼を誇らしい気持ちで見守っている。短い赤毛に焦げ茶の瞳、女にしては高い上背も、彼女の他に女がいないオルール騎士団ではやはり目立つ。同じ入団試験を合格したという旧い縁から、シトロンが彼女を助け、またノワが彼を助け返すことがなかったら、彼女は団の異物としてとうに除籍されているだろう。二人が親友であることは、騎士団内部だけでなく、雇い主の一族にももはや周知の事実である。


 ——昨日、飲みに誘ったのはこういうわけか。前祝いだと言ってくれれば、私が奢ってやったのに。


 腕を組みたい気持ちを堪え、ノワは鼻を高くした。朗らかな空気を保つ夫人の横で、髭をたくわえた辺境伯の口元がおもむろに動く。低く張りのある声が場に通り、整列している騎士の背筋がより伸びたのがノワにも肌で感じられた。


「皇后陛下より、先日の褒章を賜っている。妃殿下も健やかに過ごされているらしく、第一騎士団の錬成を高く評価くださった」


 先月、皇后陛下と妃殿下がバカンスとしてオルール地方を訪れた際に、十九歳のシトロンは警護の勤めを立派に果たした。帝都から皇帝一家の跡をつけてきた不逞の輩を捕え、尊き御身に傷をつけることなく滞在期間を終えたのだ。大柄な体躯を怖がられ、妃殿下に近寄ることが許されなかった第一騎士団の団長に代わっての大手柄である。


「もったいないお言葉です。オルールを避暑地に選ばれたからには、よき思い出のみお持ち帰りいただくことこそが我々の使命でございました。第二、第三騎士団の協力もあってこそ成し遂げられたと考えております」

「うむ。皆、大儀であった」


 ノワを含む壁際に並んだ騎士たちが、主人に敬礼を示す。今この瞬間にも一糸乱れぬ隊列は、クロワ帝国でもとりわけ優れた統率だ。


 ——この調子なら、個別に褒美もあるだろう。あいつのことだから、きっと金銭は望まない。早駆けの馬か、装備の打ち直しあたりか?


「日頃の労いも兼ねて、お前にも褒美をと考えている。シトロン、何か望むものはあるか」


 予想した通りの展開に、ノワは耳を傾ける。それまで顔を上げていたシトロンは、深く首を垂れ直し、聞き間違いようもなくはっきりと腹から声を出して言った。


「では、第二騎士団に属する我が愛——ノワを、伴侶として迎えたく存じます」


 ——頭でも打ったのか、シトロン!?


 岩に打ちつけられたかのような衝撃を覚えたノワは、思わず一瞬立ちくらんだ。薔薇色に頬を染めたのは、親友に求婚された女騎士ではなく、辺境伯夫人である。


「あらあら、まあまあまあ! 二人とも仲がいいとは思っていたけれど、いつの間にそういう関係に進んでいたの? 喜ばしいわ、おめでとう」

「ちがっ……お待ちください主がた! シトロン、お前ちょっとこっちに来い!」


 そのまま受諾されそうな雰囲気に正気を取り戻したノワは、列を乱して絨毯を踏んだ。未だに跪いているシトロンの腕を掴み、無理やり引っ張り上げて立たせる。出口である両開きの扉にずんずんと連れ去られながら、彼は領主夫妻へとまたも明朗な声で投げかけた。


「では、御前を失礼いたします! 俺の希望は先の通りで!」

「勝手に事を進めようとするな、この阿呆!」


 拳骨を喰らわせたノワは、求婚者を表へ連れ出した。殴られた頭をさすりながら歩かされたシトロンの足がようやく止まることを許されたのは、今はひと気のない屋敷の庭園の一角だった。

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