VOODOO

路輪 一人

Could this be

第1話 Could this be

【我々は超越者だ――陰謀に立ち向かうタブロイド記者、ミナ・クレーバーの半生。】


 我々は超越者だ。


 途切れた集中の隙間に飛び込んできた言葉に気づかされて顔を上げた。そのまま音の出所を探す。


 行き交う人波の間に立ちすくんで、ミナ・クレーバーは周囲を見渡した。ランドマリーの首都、リベラフェデラーの中の歓楽街、ネオン・ロウストリートを飾る環境音。人にとっては雑音でも彼女にとってそれは啓示だった。歌詞は続くのだ。我々は超越者だ。


 そうしてやっと彼女は、ギーガー・スクルージの名曲『Walk』を響かせるスピーカーを見つけた。それは十字に区画整理された真っ直ぐな通りを照らす街灯の一つに括り付けられていた。


 昼もなく夜もない


 掠れた声で彼は歌う。奇しくも時刻は黄昏、歓楽街はにわかに活気づき始める。薄らとした暗さが足元から忍び寄って、街と通り、そして店内の照明が眩しく輝き始める。光を嫌って路地裏に蹲る闇が手を招いて夜を呼ぶ。スピーカーを見上げて立ち止まった彼女は、薄く微笑んで肩掛けのトートバッグを抱え込んだ。歓楽街である、女性の一人歩きには危険がつきまとう。そんな社会を彼女は嫌っているし憎んでいる。そしてギーガーの曲は、そんな人々の恐怖心にそっと寄り添い、鼓舞したのだ。傷つく者こそが救われるべきだ、と。


 ドラムスが始まる。泣いているようなギターが響いて、民族調のシーケンスが始まる。彼女は意を決して進行方向へ人の波をかき分けるように進み始めた。ギーガーの曲は遠くなるが、ミナの中ではボリュームのつまみをひねるように大きくなっていく。


 脳内に完璧に再生される『Walk』のドラムスを刻みながら歩く。行き先は、歓楽街にあるバー『ブラスマイクス』である。月刊『ケムトレイル』の専属記者である彼女は、これからとある情報提供者に会う予定なのだ。彼は、今貧民街で増加中であるゾンビ被害に関する情報を持っていると言う。それが本当なら、と彼女は考える。それはまるで自分のための物語だ。


 保守的な南部の田舎に生まれて、厳格な宗教家の母と、飲んだくれの父の間の三人姉妹の真ん中として生まれた。姉は早々に妊娠をして家を出て、妹は街の男の家を泊まり歩いている。母の期待が自分に向くのは当然だろう、ハイスクールでもそれなりの成績を残して、都会の大学に合格できたのだ。がむしゃらに勉強をしたのは、復讐の意味も込められていた。自分を揶揄ったクラスメイト達、それは男も女も、見た目にしか価値を見出せず、目先の利益のみを追い求める馬鹿どもの巣から逃げ出して、真実の価値を証明する事。器量がいいわけでもないし、愛嬌もなかったが、他者からの尊敬は得たかった。そしてそうなるべきだと考えていた。何故なら自分は、間違いなく努力は行ったからだ。


 その努力を持って、ミナは面接に臨んだ。自身は世界を変えることのできる人間だと心から信じていた。そしてそれは周囲の人間にも理解できる事だと考えていた。だが、憧れたワールドクロック社の面接官は、彼女の出身大学と容姿を一瞥した後、不採用の通知を出した。続くセンチネルでも同じ結果だった。数十の面接ですべて同じ結果を突きつけられ、狭く古いアパートの一室でくぐもった声で泣いた夜。あの夜彼女を立ち上がらせたのがギーガー・スクルージ、彼は言ったのだ。『我々は超越者だ』と。


 踏破する荒野は暗く長いが


 彼女はその時、自身は荒野にいると理解したのだ。何かを為すべき人間は荒野を行かねばならないから、これは啓示だと彼女は思った。暗く長い荒野。うら寂れた冷たい風に吹き荒ぶ荒野。足の裏は血に汚れ、全身から血を吹き出していようとも我々は荒野を歩かねばならない。彼の歌を聴いた自分は選ばれたのだ、と感じた。立ち上がらねばならない。荒野を歩く為に必要なのはくぐもった声で泣くことではなく、立ち上がり進むことだ。そして彼の歌に陶酔した。メロディックでエモーショナルなオルタナティブロック、一部評論家からは『ゴミのようだ』と称されたパンク、ギーガーを取り囲む全てが、まるで自分の世界の事に思えた。ギーガーの魅力は何もその音楽センスだけではない、彼の綴るリリックもまた非常にポエティックでインテリジェンスに溢れている。彼は世界を憂えている。彼は世界に抗議している。だから彼の言葉は世界を変える。私も同じように世界を変えることが出来る。


 血と怒りと抗議に彩られた足跡を


 世界に怒りを届ける為に、彼女は再度立ち上がった。恥も外聞も捨ててやっと取り付けた面接は、零細のタブロイド出版社で行われた。レッドピル出版の社長室で初めてモーティに会った事をミナは覚えている。どうしても出版の仕事をしたい。大手出版社を何社も受けたが、全滅だった、とミナが口走った瞬間、モーティはその場で採用通知を出した。シャツが破れそうな大きなお腹を揺らしながらモーティはその言葉を口にする。「ダメな奴ほどいい。ダメじゃなきゃダメなんだ。社会のお眼鏡に適う人間になってどうする。社会に見られる人間になれるのは、社会の外にいる人間だけなんだ」


『ケムトレイル』で記者として取材をしていくうちに、ゆがみ切った世界の真相を知った。ギーガーの言葉は本当だった。既に世界は血と怒りに満ちている。大手出版社は政府のプロパガンダ組織であり、貧民層を中心としたモンスター被害の真相を隠している。富裕層に人気のワールドクロックは国内主要ギルドや、軍部を担う聖シオン騎士団の太鼓持ちだ。ワールドクロック、センチネル共に報道するのは、政治と経済の小難しい話ばかり。重要な民衆、そして何よりも支援しなければならない弱者や女性は無視されている。貧民層で俄かに増加しているゾンビ被害、モンスターたちによる捕食、命の保障をされない人々。つまり、政府にとって彼らは邪魔なのだ。モンスターたちによる人口抑制は恐らく政府に主導されている。


 確信がある。証拠など何もないけれど、そう考えると辻褄が合う。自分のこの現状も、ままならない世界も、面白くもない日々の生活も、すべては政府による陰謀なのだ。始めなければ。これは言葉で世界を変える戦いなのだ。

 やるせない真実がそこにあって、異質な自分はそれを手にとれた。けれども世界はそれを知らず、今この瞬間にだって少女が泣きながら助けを求めている。男に、モンスターに、社会に殺されている。そんな事は許さない。世界は徹底して公正であるべきだ。吐き気を催す男達の詭弁と嘘に塗れてきた。暴力に泣かされてきた。そんな男に寄り添う女もまた敵である。世界の半数以上を相手取って戦うには頭を使う必要があり、その使命を自分は負って生まれたのだ。


 取材の七つ道具を納めたトートバッグを抱えながらミナは考える。もし、モンスターがいなかったら?それは幸せな世界だろう。武器が作られないから戦争は存在せず、女たちが暴力に怯える事もない。格差は存在せず、科学はより発展し、人々は手を取り合い微笑むだろう。そうではない世界に生まれたことを嘆く必要はない。変えていけば良いだけだ。


 意思はすべてを覆すがゆえに。


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