はぐれと龍

じーさん

第1話 龍神とはぐれ者

かつて、人知れぬ山奥の幽世かくりよに庵を結び


静かに暮らす一人の陰陽師がいた。


名は波金ばきん


はぐれ者と呼ばれ


その左目には、古ぼけた眼帯の下に異形の義眼を隠し持つ男。


世のことわりから外れたあやかしと人間との狭間で生きる彼は


誰とも深く関わらず、ただ己の術を磨く日々を送っていた。


彼の庵に、ある日、一人の男が現れた。


純白の狩衣かりぎぬを身に纏い


銀色の髪は月の光を吸い込んだように輝く。


顔貌がんぼうは整い


見る者を畏怖させるほどの気品を宿しているが


その瞳は氷のように冷たく


あらゆる感情を拒絶しているかのようだった。



男は、自らを龍胆りんどうと名乗った。


「貴殿の術の腕、噂に聞いている。わたくしの力となり、この世の穢れを浄化せよ」


その言葉は、命令であった。


何の遠慮も、敬意もなく


ただ与えられた使命を果たすよう求める


絶対的な支配者の響き。


波金ばきんは、茶を淹れる手を止め


冷めた目で男を見やった。


「へっ。随分と偉そうな口を叩くもんだな、お坊ちゃん。俺は誰の指図も受けねぇ、はぐれ者だ。てめぇの退屈な遊びに付き合ってる暇はねえ」


波金ばきんは、かつて仕えていたあるじの裏切りによって全てを失い


以来、誰の命令にも従うまいと誓っていた。


ましてや、感情の欠片も見えぬ


この傲慢な男の配下になるなど、もってのほかだ。


「貴殿の過去は知っている」


龍胆りんどうは、波金ばきんの言葉を遮り


感情のない声で告げた。


「その身に宿す、異形の力も。貴殿は、わたくしと同じこの世のことわりから外れた者。そして、故にわたくしが求める力を持ち得る、唯一の存在だ」


波金ばきんは、眼帯の下の義眼が疼くのを感じた。


(こいつ……どこまで知ってやがる……)


彼の異形の力――左目の義眼に宿る


全てを見通し、全てを破壊する禁忌の力は、誰も知らないはずだった。


わたくしには、この世を守る使命がある。そのために、貴殿の力が必要だ。……拒むならば、ここで力ずくで従わせるまで」


龍胆りんどうの言葉と共に


庵全体が、凍てつくような霊力に包まれた。


それは、波金ばきんがこれまで出会ったどんなあやかしよりも


深く、そして冷たい、絶対的な力。


波金ばきんは、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「へっ。面白い。てめぇのような感情のねぇ人形が、どこまで俺を縛れるか、試させてもらうぜ、龍神様」


そう、男の正体は


この国の守護を司る、人ならざる存在――龍神。


だが、波金ばきんは、龍胆りんどうの冷徹な仮面の下に


何かを深く押し込めているような


言い知れぬ虚無を感じ取っていた。


それは、波金ばきん自身が抱える


拭いきれない喪失感にも似た、影。


二人の出会いは、支配と反発。


しかし、その始まりは、互いの心の奥底に


静かな波紋を広げ始めていた。


冷徹な龍神と、はぐれ者の陰陽師。


異なる道を歩んできた二つの魂が


今、交錯しようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る