第3話「愛という名の嘘」


## 第一章:優しさの正体


「美味しい?」


隆志が、フォークを差し出してきた。彼の皿に乗っているメインディッシュ——ローストビーフ。


「あ、うん……」


口を開けると、隆志が優しく料理を運んでくれる。


「どう?」


「……美味しい」


笑顔で答える。


隆志が、満足そうに微笑んだ。


「莉子が喜んでくれると、俺も嬉しいよ」


そう言って、私の頬に軽くキスをする。


**「嬉しい……」**


莉子の感情が、温かく広がる。


でも、同時に——


**「こんなこと、私にはしてくれなかった」**


美咲の記憶が、蘇る。


結婚記念日。

私が作った料理を、隆志はスマホを見ながら食べていた。

「美味しい?」と聞いても、「うん」と一言だけ。


それどころか——


**「味が薄いんだよな、お前の料理」**


そう言われたこともあった。


「……っ」


フォークを握る手に、力が入る。


「莉子?」


隆志が、心配そうに覗き込む。


「大丈夫?さっきから、ぼーっとしてるけど」


「ううん、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」


笑顔を作る。


**この笑顔は、誰のもの?**


もう、わからない。


「無理しないでね。疲れてるなら、今日は早めに帰ろうか」


隆志が、優しく私の手を握る。


その温もりを感じながら——私は、混乱していた。


**この優しさは、本物?**


それとも——


## 第二章:妻への愚痴


デザートが運ばれてきた頃、隆志がワインを一口飲んで、溜息をついた。


「はぁ……」


「どうしたの?」


「いや、また家のことでさ」


**家——つまり、美咲のこと。**


心臓が、ぎゅっと締め付けられる。


「妻が、さ」


隆志が、疲れた表情で続ける。


「最近、ますます冷たくなってきてる」


「……そうなの?」


莉子として、心配そうな声を出す。


でも、心の中では——


**「私が冷たい?あなたが先に冷たくしたんでしょ!」**


美咲の怒りが、沸騰しそうになる。


「うん。俺が話しかけても、適当な返事しかしないし」


**それは、あなたが私の話を聞いてくれなかったからだ。**


「記念日も忘れてるし」


**あなたが先に忘れたんだ。何年も連続で。**


「料理も、最近手抜きばっかり」


**毎日、あなたのために作ってたのに。**


「笑顔も見せてくれない」


**あなたが、私を笑顔にしてくれなかったからだ。**


心の中で、叫びが溢れる。


でも、口では——


「それは……辛いね」


莉子の声で、共感してしまう。


「だろ?」


隆志が、私の手を握った。


「でも、君といると癒されるんだ。莉子は優しいし、いつも笑顔でいてくれるし」


**私だって、最初は笑顔だったのに。**


「君がいなかったら、俺、どうなってたかわからない」


**私がいても、あなたは何も変わらなかった。**


「ありがとう、莉子。君が俺の支えなんだ」


そう言って、隆志が私の額にキスをする。


**莉子の心が、喜びで満たされる。**


**でも、美咲の心は——憎悪で燃えていた。**


## 第三章:二面性


レストランを出て、車に戻る。


助手席に座った私の隣で、隆志がエンジンをかける。


「今日も楽しかったね」


「うん」


笑顔で答える。


でも、頭の中では——隆志の言葉が、ぐるぐると回っていた。


**「妻は冷たい女」**

**「莉子は優しい」**


本当に?


本当に、そうなの?


「ねえ、隆志」


思わず、口が動いた。


「ん?」


「美咲さんって……本当に、そんなに悪い人なの?」


**何を聞いてるの、私?**


隆志が、一瞬黙った。


そして——


「……悪い人じゃないよ。ただ、合わなかっただけ」


「合わなかった?」


「うん。結婚する前は良かったんだけどな。結婚したら、急に変わっちゃって」


**変わったのは、あなたでしょ。**


「どう変わったの?」


「なんていうか……つまらない女になった」


**つまらない——**


その言葉が、胸に突き刺さる。


「家事ばっかりして、オシャレもしなくなって、会話も減って」


**それは、あなたが私を褒めてくれなくなったからだ。**


**オシャレしても「どこ行くんだ」と疑われたからだ。**


**会話しようとしても、スマホばかり見ていたからだ。**


「俺、もっとキラキラした女性が好きなんだよね」


隆志が、私——莉子——を見て、微笑む。


「莉子みたいな」


**私は、キラキラしてなかったから、捨てられたの?**


「……そっか」


声が、震えそうになる。


必死に、堪える。


「でも、まあ……離婚するつもりだから」


「え?」


「うん。もう弁護士に相談してる」


**嘘。**


心の中で、確信した。


**絶対、嘘だ。**


美咲だった頃、隆志がそんな話を持ち出したことは一度もなかった。


つまり——


**これは、莉子を繋ぎ止めるための、嘘。**


「離婚したら……一緒になれるね」


隆志が、私の手を握る。


「ああ。ちゃんと、君と結婚する」


**また、嘘。**


胸が、冷たくなる。


**この人は、嘘つきだ。**


**妻にも嘘をつき、愛人にも嘘をつく。**


「……嬉しい」


でも、私は——莉子として——笑顔を作った。


**「本当に?本当に、結婚してくれるの?」**


莉子の感情が、希望に満ちて輝く。


**でも、美咲は知っている。**


**この約束が、果たされることはない。**


## 第四章:帰宅後


莉子のマンションに戻ると、隆志がそのまま部屋に入ってきた。


「今日、泊まってもいい?」


「……うん」


断れるはずがなかった。

莉子の体が——いや、莉子の心が——拒否しなかった。


リビングのソファに座った隆志が、スマホを見ながら溜息をつく。


「また妻からメッセージ来てる」


画面を覗き込むと——


**『今日も帰らないの?』**


美咲からのメッセージだった。


**私が、送ったメッセージ。**


いや——違う。


**生きている美咲が、送ったメッセージ。**


「無視でいいや」


隆志が、スマホを放り投げた。


「冷たくない?」と、莉子として聞く。


「冷たいのはあっちだよ。いつもこんな事務的なメッセージばっかり」


**事務的——**


そうだった。


私——美咲——は、いつからか隆志に感情を込めたメッセージを送らなくなっていた。


送っても、既読無視されるから。

返事が来ても、「うん」とか「了解」だけだから。


**だから、私も事務的になった。**


でも、隆志にとっては——それが「冷たい」理由になるのか。


「莉子は違うよね。いつも可愛いスタンプ送ってくれるし」


隆志が、私のスマホを指差す。


画面には、莉子と隆志のLINE履歴。


**『今日もお疲れ様💕』**

**『会いたいよ🥺』**

**『大好き❤️』**


絵文字とスタンプだらけのメッセージ。


「こういうの、嬉しいんだよ」


隆志が、私を抱き寄せる。


**「嬉しい……抱きしめてくれた」**


莉子の心が、温かくなる。


でも——


**「気持ち悪い」**


美咲の心が、拒絶する。


**二つの感情が、激しくぶつかり合う。**


「莉子、愛してるよ」


隆志が、耳元で囁く。


**愛してる。**


その言葉を——私は、美咲として、何年も待っていた。


でも、隆志がその言葉を口にするのは——


**いつも、莉子に対してだけ。**


「……私も、愛してる」


口が、勝手に答える。


**これは、莉子の言葉?**

**それとも、美咲の皮肉?**


もう、区別がつかない。


## 第五章:深夜の囁き


隆志が寝息を立てている。


ベッドの中、その隣で——私は、天井を見つめていた。


**眠れない。**


頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。


隆志の言葉が、何度も蘇る。


**「妻は冷たい」**

**「莉子は優しい」**

**「キラキラした女性が好き」**


**「莉子を愛してる」**


全部——


**嘘だ。**


いや、嘘じゃないのかもしれない。


でも——


**本当でもない。**


隆志にとって、愛とは何?


妻には冷たくして、愛人には優しくする。

それが、愛?


妻が変わったと愚痴を言うけど——

自分が妻を変えたことには、気づいていない。


愛人に「結婚する」と約束するけど——

その約束を守る気は、ない。


**これが、愛?**


「……違う」


小さく呟く。


**これは、愛じゃない。**


ただの——


**「ねえ、違うよ」**


突然、心の中で声が響いた。


莉子の声。


**「隆志は、本当に私を愛してくれてる」**


「……莉子?」


**「優しいし、会いに来てくれるし、綺麗だって言ってくれる」**


「それは——」


**「美咲さんが、隆志を満足させてあげられなかっただけ」**


「……っ!」


胸が、ぎゅっと締め付けられる。


**「私は、隆志に愛されてる。だから、幸せなの」**


「幸せ……?」


**「そうだよ。美咲さんには理解できないかもしれないけど」**


莉子の声が——私を、責める。


いや、違う。


**これは、莉子の記憶が見せる、幻覚?**


それとも——


**本当に、莉子の意識が、私の中にいるの?**


「やめて……混乱する……」


頭を抱える。


でも、莉子の声は止まらない。


**「ねえ、美咲さん。あなたは、隆志を愛してた?」**


「……当たり前でしょ」


**「じゃあ、どうして愛を伝えなかったの?」**


「伝えてた!でも——」


**「スタンプも送らない、笑顔も見せない、それで愛してるって言えるの?」**


「あなたには……わからない……」


涙が、溢れてきた。


**「私にはわかるよ。だって、私は隆志に愛されてるから」**


「愛されてない!あなたは、都合のいい女にされてるだけ!」


叫んだ瞬間——


隣で、隆志が寝返りを打った。


「……莉子?」


寝ぼけた声。


「……ごめん、なんでもない」


声を落として、答える。


隆志が、また寝息を立て始める。


私は——涙を流しながら、考えていた。


**これは、愛なのか。**


**隆志の優しさは、本物なのか。**


**それとも——全部、嘘なのか。**


答えは、出ない。


ただ一つ、確かなことがあった。


**私の中で、美咲と莉子が——**


**同じ男を巡って、争っている。**


## エピローグ:朝の光


朝日が、カーテンの隙間から差し込んできた。


隆志が目を覚まし、伸びをする。


「おはよう、莉子」


優しい声。

柔らかい笑顔。


「……おはよう」


私は、笑顔を作った。


隆志が、キスをしてくる。


**「嬉しい」**——莉子の感情。


**「吐き気がする」**——美咲の感情。


二つの感情が、同時に存在している。


「じゃあ、俺そろそろ行くね。仕事あるから」


「うん」


隆志が服を着て、玄関へ向かう。


ドアの前で振り返って、もう一度笑顔を向けてくる。


「また今度ね。愛してるよ」


「……愛してる」


答える私の声は——


**誰のものだったのだろう。**


ドアが閉まる。


一人になった部屋で、私は鏡の前に立った。


莉子の顔。


その奥に、美咲の影。


「ねえ、教えて」


鏡に向かって、問いかける。


**「これは、愛なの?」**


**「それとも——嘘なの?」**


鏡の中の私が——


**二つの表情で、笑っていた。**


愛を信じる、莉子の笑顔。


愛を疑う、美咲の笑顔。


**二つの答えが、同時に存在している。**


**それが——この転生の、残酷さだった。**


---


**愛という名の、嘘。**


**それとも——嘘という名の、愛。**


**もう、境界線は見えない——**


---


## 【第3話 終わり】


**第4話「私は誰?——侵食される魂」に続く**


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