界春男OS文庫
界春男
真似される男
コンビニを出てからも、その男は俺の後ろ数メートル離れた場所をぴったりと付いてきていた。左手にぶら下げたコンビニ袋の中には、メロンパンとプロテインバー、ゼロカロリーのコーラが入っていることだろう。
なぜそんなことを知っているのかというと、紛れもなく俺も同じものを購入しているからだ。ぽつりぽつりと街灯があるだけの夜道を、二人の男がメロンパンを食べながら歩いていた。俺は気が変わったので、メロンパンを途中で仕舞い、プロテインバーを袋から出した。チラと後ろを見ると、男も同じプロテインバーを手に持っていた。俺が無理やり一口で全部食べると、男も真似して一口で食べようとしている。しかし、口のサイズが足りないのかほとんどをボロボロとこぼしていた。
俺は大きく咀嚼しながら、取り出したコーラを開封すると後ろからもプシュッという音が聞こえてくる。慌てて3口飲んだが、喉を鳴らす音がそっくり重なってしまい鳥肌が立った。歩くリズムを無理やりずらしてみたり、ふいに片腕を上げたまま歩いてみたりするが、後ろの男は俺の一挙一動をそっくりそのまま真似していた。
───この男との付き合いは、ほんの数十分前からになる。午後9時ごろ、俺は近所のジムでトレーニングに励んでいた。別にかっこいい体になりたいとか、女にもてたいとかの理由ではない。なんとなく、今の自堕落な生活をしていては、老後寝たきりになってしまうような気がする。
……いや、というのは体の良い言い訳だろう。本当はかっこいい体になって女にもてたいというのが、ジムに入会する気持ちを後押ししたのだ。不純な理由だ。しかし、どうだろう。ジムにいる大半の男は俺と同じ気持ちなのではないだろうか。男は誰でもかっこよくなりたいし、女にだってもてたい。そういう気持ちを心のどこかに持っているはず。そうじゃなかったら、わざわざつらい思いをして自分の体をいじめる理由が無い。女の横で必要以上のスピードでランニングマシンを走る必要も無い。そんなことをさせるのは、女にもてたいという不純な気持ちが原因だ。
今、俺の隣で汗だくになって走っている髪の毛のだいぶ退行したおやじだって、その隣にいるスポーティーな若い女に、何かしらの印象を残したいからに違いない。どうやってそんなに走れるんですか、とか、すごいスピードですね、とか、そんな風に声をかけられるのを待っているのだろう。そのためだけに、おやじはこんなにも苦悶の表情をさらけだして、バタバタとしんどそうに走っているのだ。気持ちは分からなくもない。
ただし、一生懸命走っただけで若い女が声をかけてくるわけもないだろうし、どうせその女には彼氏もいるだろう。おやじの不純な気持ちは汗となってジム内に蒸発するだけだ。そんなことを思ってはいるが、俺だってわざとらしく欠伸をし、まだこんなスピードでは余裕だぜということをジム内にアピールしたりする。もしかすると「すごい! どうやってそんなに早く走れるんですか?」と、ぽっちゃりめの若い女が声をかけてくるかもしれない。
ところで俺のこの声は誰かに届いているのだろうか。届いていますか俺の声。あなた分かりますか。
ああ、走るのもさすがに疲れてきた。俺はいったん脚を止め、目の前に広がる大きなガラス窓に目をやった。反射してジム全体を見渡せる鏡となったそれで、若い女がいないかチェックするためだ。とはいっても反射にも限界がある。利用客の雰囲気までは分かるものの、顔まではどうしても分からなかった。
あそこに若い女のような服装の利用客がいることは分かるが、それが果たして俺好みの顔なのか、はたまた、若い女風の服装をしているだけの若くない女なのか。とても気になるが、振り返って確認することはできない。ランニングマシンを利用しているとき振り返ってジム内を見るということは、頑張って走っている自分を見ている女がいないかどうかチェックしている、ということに他ならないからだ。
もてたいのに、もてているかどうかの確認はできない。ジムとはジレンマの塊が具現化したものと言っても良いだろう。俺が相変わらず窓ガラスを凝視していると、突然知らない番号から電話がかかってきた。
少し躊躇したが、出てみるとなんのことはない保険会社からだった。なぜあいつらはいつも知らない番号からかけてくるのだろう。少しだけよろしいでしょうか、というわりには長ったらしい話が続いていた。俺はさすがに申し訳なくなり、ランニングマシンから離れてジムのすみにあるベンチに腰掛けた。おそらく厚化粧した女が、その化粧にぴったりの甲高い声でまくし立てるように何かを話している。日本語であることは間違いないのだが、どうしてか理解するのに時間がかかる。
俺は「ええ」とか「はい」などと、空返事を続けている。
「……という新しいおすすめのプランがございます」厚化粧のこの言葉で、俺はようやく話の意図を理解した。なんだそんな話か、保険なんて付き合いで入っているだけだ、全く興味が無い。俺は断りを入れようとするのだが、厚化粧はしつこく話を続けてくる。年齢の話から始まり、年収や仕事内容までをからめて、さも俺にピッタリですよと言う。俺の何を知っているんだと思っていると、なんと接待での俺の失敗談まで知っていた。どうやら会社の同僚に聞いたらしい。
俺はほとほと面倒になり、すいませんが、と言いかけると女の声が急に小さくなった。
「……このプラン実は会社の命運がかかっておりまして、もし契約していただれば私としましても非常に嬉しいことであります。それに、ここだけの話ですが、もしそうなれば個人的にお客様にお礼に伺おうと思っております」
さっきとは打って変わり、色っぽい声が聞こえてくる。「急な話ではありますが、週末、お酒を飲みながらお話できませんか」俺の中で厚化粧の女はいなくなり、若いぽっちゃりした女がそこにいた。
俺が「契約します」というと女はあっという間に厚化粧に戻り「ありがとうございます。では手続きはこちらで勧めておきますので、最後に現在地をお聞きしてもよろしいでしょうか」と言った。
俺は、やられた、と思ったがもう後には引けずに今いる場所を伝えて電話を切った。ランニングマシンに戻ると、もう汗だくおやじとスポーティーな女はいなくなっていた。現在地を言う必要はあったのだろうか。
俺はすっかり冷えてしまった身体を温めるつもりで、再び走り出した。身体はとっくに疲れていたが、思い切り走りたい気分だ。マシンの機械的な音と俺の足音が、リズミカルに聞こえてくる。ふと気がつくと、その足音に厚みが出ていた。どうやら隣に入った男が、俺と全く同じスピードで走っているようだった。俺は走る時音楽も聞かないので、自分の足音と他人の足音が重なるのをどうしても意識してしまう。多少重なってしまうのならしょうがないのだが、いつまで経っても同じではさすがに気まずかった。
マシンのスピードを少しだけ落とし、足音をわざとずらした。タタンタタンタタンと、ずれた足音が聴こえてくる。これでよしと思ったのもつかの間、いつの間にかまた足音は重なって聞こえるようになっていた。タン(タン)タン(タン)タン(タン)タン(タン)。俺はまた耐えられなくなり、今度はマシンのスピードを多少速めた。なぜ俺がここまで気を使わなくちゃならないんだ。するとすかさず男もスピードを上げた。
俺はムッとしてさらに上げる。続くように男も上げる。繰り返しているうちに、俺は全力に近いかたちでマシンの上を疾走していた。男も必死になって同じように走っている。ガラスに写った二人の男は、他の利用者と比べても明らかに異質だった。いい加減バカバカしく、そしてとても恥ずかしくなり俺はマシンをとめた。乱れた呼吸を整えながら、水を一口飲む。隣から同じタイミングでゴクリと音がする。俺はそちらを確認するのも嫌になって、肩を上下させながら更衣室に向かった。
なんなんだあいつは。なんだなんだあいつは。気味が悪い。腹立つ。俺はさっさと着替えをすませ、近くにあの男がいないことを確認してから素早くジムを後にした。
入れ替わりに、若い女がジムに入っていく。若いぽっちゃりした女だった。俺は強烈な名残惜しさを振り払い、近くのコンビニに入った。店内にはサラリーマン風の客がひとり雑誌を立ち読みしている。刈り上げてテカテカした髪型が俺に嫌悪感を抱かせる。ついでにサラサラヘアーのセンター分けも嫌いだ。メロンパン、プロテインバー、ゼロカロリーのコーラを持ってレジに向かった。
ジムで走った後にメロンパンを食べるなんて、そんなことを思うかもしれないが、メロンパンこそこのときのために存在しているようなものである。支払いをキャッシュレスで済ませ、コンビニを出ようと入り口に向かうと隣のレジで支払いを済ませていたのは、ジムにいたあの男だった。
ふいに来月の支払いが心配になった。
コンビニを出て歩き出すと、男が後を付いてきた。数メートル離れた場所から、同じ歩幅で同じタイミングで足音がする。ため息と同時に腹のガスが漏れた、ブー。
俺はスマホのカメラを起動させ、インカメラで後ろの様子を伺った。見ると男もスマホを持ち、肩越しに後ろを確認している。俺はお前を確認しているが、お前はいったい何を確認しているんだ。俺たちの後ろには街灯に照らされ、穴あき状態になった闇が広がっているだけだった。せいぜい車一台が通れるくらいの路地は、灰色のブロック塀で囲まれている。民家は無数にあれど、なぜか民家への入り口は全て反対側にあるらしい。なんとなく逃げ道が無い気がして、くしゃみが出た。
どこからか犬の鳴き声が聞こえた。つられて別の場所からも次々に鳴き声が聞こえる。俺は最初に吠えた犬さながら大きめな咳払いをすると、後ろの男も真似をした。犬は本能的に吠えてしまうのだろうが、こいつは意識的に咳払いをするのだ。なまじ脳が発達してしまった人間の、薄気味悪い部分を俺は感じずにはいられなかった。本当にこいつはどういうつもりなのだろう。
俺がしゃがむと男もしゃがむ。残りのメロンパンを投げ捨てると男も捨てた。それを拾って食べてみる。男も全く同じ動きをした。俺は小学生以来だった土の味を感じて、泣きそうになった。
少し先、街灯に照らし出された曲がり角が見えた。俺はチャンスとばかりに小走りで角まで行き、すばやく電柱の影に隠れた。案の定、男が小走りで走ってくる。しかし、俺を見失ったことが分かると、辺りを見渡しながら舌打ちをした。そこですかさず、俺は男の後ろに回り込んだ。
これで立場は逆転した。今度は俺が男を真似る番だ。男はそれに気づいたようで、何事も無かったように歩き出した。初めて見る男の後ろ姿は、俺にそっくりだった。身長も体重もおそらく同じくらいだろう。暗闇に慣れてくると、服装まで同じということに気がついた。偶然なのか、それともわざとそうしているのか。この男は俺をとことん真似るつもりで真似しているのだ。けど、いったいなぜそんなことをする必要があるのか。
小学生のとき、好きな女子と同じ匂いのシャンプーを親にせがんで買ってもらったことを思い出した。そうすると部屋中がその女子と同じ匂いになり、とても幸せだった。気持ち悪いかピュアかはそれぞれの判断に任せるが、真似をするということはそれくらいのメリットがあってするものではないかだろうか。あなたはどう思いますか。
しかし、いま俺の前を歩いている男は何のために真似をしているのか。世の中には偶然が偶然を呼び、意図的にやったのではないかと思えるほどの偶然がある。この地球だって、偶然と偶然が重なって奇跡のような確率で今の姿になったらしい。しかし、これが偶然とは考えられない、何者かの介入があってこの地球はできたのだ、という人もいる。他の無数の星々に生命体が確認できないのに、地球だけは生き物がひしめいている。こんなこと偶然であるはずがない、というわけだ。月だってそうだ。太陽と月と地球がまっすぐ並んだ時、太陽がすっぽりと月の影に隠れてしまう。偶然にしては出来すぎている。しかし、月を誰かがそこに置いたということが証明できないかぎり、それは偶然でしかない。
俺は月を見上げたが、今日は見当たらなかった。
気がつくと男も見当たらない。まさかと思ったがそのまさかだった。男は俺の後ろにいた。小難しいことを考えているうちに、2つ目の角でさっき俺がやったことと同じことをしたらしい。俺はチッと舌打ちをすると、男も舌打ちをした。俺はもう一度舌打ちをしそうになったが、真似されるだけなのでやめた。通りがかりの家からはカレーを作っているような匂いが漂ってきた。
……シチューかもしれない。男も俺と同じことを考えているかもしれない。
……豚汁の可能性もある。
狭い路地を抜けて大通りに出た。ここなら人も沢山歩いているうえ、何よりも明るい。2車線の道路はひっきりなしに車が行き来している。普段ならイライラする車のハイビームも今は心強い。男は相変わらず俺の後をつけながら俺の真似をしている。プリウスが猛スピードで走っていく。
電柱を叩けばやつも叩く。スマホを見ればやつも見る。ふいをついて突然全速力で走ってみたりもしたが、息をきらしながらどこまでも男はついてきた。もう少し頑張れば振り切れそうな気もするのだが、いかんせん俺の体力がもう残っていない。体中をぐでんぐでんにしながら歩くと、ビルの谷間に交番が見えてきた。目の前にはプリウスが停まっている。バンパーに大きなキズがあった。
俺は小走りに近づき、お巡りさん、と声をかけようとしてふと思った。俺にはまだ実害が無い。男は確かにずっと後ろをついてくるが、それがどうだというのだ。俺の後を歩き俺の動きを真似しているだけだ。それだけで警官は対処してくれるだろうか。いや、もしかすると俺の被害妄想と捉えられる可能性も無くはない。男の方をチラリと見ると、数メートル後方で動きを止めている。
男は本当に俺の真似をしているのか。俺の勘違いなのか。ジムでたまたま同じ動きをされたということがきっかけで、その後の全てが俺の真似をしていると思いこんでいるだけじゃないのか。コンビニの買い物だって、同じものを買う可能性はある。ジム帰りならプロテインを欲するだろうし、太りたくないならゼロカロリーを選ぶだろう。コーラ好きは世界中にいるから珍しくもない。メロンパンだって、パン売り場の一角を占めるように並んでいたら、思わず手にとってしまうだろう。そうか、これは思い込みだったのか。
なんだ、わっはっは。思い込みか。これが思い込みというやつか。なんだそうか。俺は安心したのか、目の前にいる警官に「思い込みですよ」と言った。警官はキョトンとしていたが、俺は構わず歩き出した。しかし、数歩歩いたところで「思い込みですよ」という声が後ろから聞こえた。振り返ると、男が警官に向かって話しかけている。こいつはやはり、おれの、まねを、している。
「お巡りさん、こいつです、こいつが俺の真似をするんです」俺は叫んだ。男もすかさず同じこと叫んだ。警官は両手のひらをこちらに向けて前後させながら、まあまあ落ち着いてというようなことを言っている。しかし、警官が落ち着けと言えば言うほど俺は興奮するようで「こいつを、こいつが、こい、こつこいつが真似をしてくるんですジムからずっと俺の真似をしてくるしついてくるんですメロンパンもです」とわめいた。
しかしやはり、言えば言うほどそれのどこが悪いのだろうかという考えが浮かんでくる。どうにかそれを犯罪らしく仕上げ、警官に伝えようとするのだが、まったくもって上手くいかない。男も一緒になって同じことを言うものだから、本当にこれのどこが悪いのかという考えが脳内を占めていく。埒が明かないと悟った警官が言った。「つまり、どちらかがどちらかをつけ回している。ということでよろしいですか」
「つけ回しているのはこいつです」
「つけ回しているのはこいつです」
男の形相を見て、俺は今こんな形相なのかと思った。俺が何かを言えばこいつは真似をする。こいつが悪いと言えば、こいつが悪いと言われる。俺と男はまんじりともせず、喋るのをやめた。しかし、男は俺の真似をしているだけなので、厳密に言えば喋るのをやめたのは俺だけだった。
警官は俺と男の顔を見比べて、右に左に顔をせわしなく動かした。俺たちが急に黙ってしまい、次の言葉を待っているのだろう。なんとなくピストルを見た。頑丈そうなケースに閉まってあり、奪い取るには苦労しそうだ。俺は小ジャンプをした。男もぴょんと跳ねる。警官はさらに困惑した。
「すいません、気のせいでした」
俺はそう言い、交番から離れるふりをして警官の頭を引っ叩いた。あっけに取られる警官が、今まさに俺に何かを言おうとした瞬間、男の分が警官の頭を揺らした。
走り出す俺と男。このときばかりは男の方が少しだけ早かったような気がする。男の人間的な部分を少しでも見れて俺は安心した。警官がなにやら怒鳴っているが、俺と男は止まらずに走り続けた。歩道を歩く歩行者を避けながら、どこまでもどこまでも走った。途中、プリウスが縁石に乗り上げていた。そんなことはお構いなしに俺たちは走った。男もどことなく楽しそうな顔で、俺の後をついてくる。前後左右に広がるビルが溶けて見える。狭い夜空に天の川が見えた気がした。
ふと男の顔が俺に似ていることに気がついた。遠い昔に俺たちは親戚だったのかもしれない。
横断歩道を駆け抜けながらそんなことを考えていると、俺は巨大なダンプに跳ね飛ばされた。流線を描くビルの明かりが流れ星よりも流れ星に見える。何かが折れる音がして、俺はアスファルトに叩きつけられた。懐からこぼれたスマホに着信があり、俺は最後の力で緑のボタンをタップした。
「先程はご契約ありがとうございました。身代わり保険の新プラン、ドッペルゲンガーコースは本日よりお客様のトレースを開始いたします。専属のスキャニングスタッフが、お客様のもとへ到着したはずですがいかがでしょうか。……お客様? もしもし、お客様? もしもし───」
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