賽は六月の終わりに
葉山 千秋
六曜編
case.1[友引]かかしのはなし
01
頭を下げる稲穂と並んで、
生きている人か。死んでいる人か。
前者ならばあんな奇行に走る人とは極力関わりたくないし、後者ならば基本的には関わりたくない。
夕日を浴びて
その風景の中に突如現れたあの案山子。いや、案山子の真似をする人、もしくは案山子のような幽霊。いずれにしても、あのまま居座られてしまうと余計なノイズが入った秋を見続けることになってしまう。
……うん。とりあえず、やめてもらおう。
案山子も含めて秋ではないかと言われてしまえばそれは勿論そうだと思うし、よく見るタイプの案山子であれば気にすることもなかっただろうが、黒のビジネススーツで
お願いするだけだ。深くは関わらない。
きょろきょろと辺りを見渡すあの案山子があそこで何をしているのかに興味がないわけではないが、余計なことに首を突っ込み過ぎると大抵ろくなことがない。
大型車同士ですれ違うには少々技術が要りそうな細い一車線の道路を、住宅沿いから田んぼ側へと横切る。
信号の無い交差点。左手に見える道路の突き当り。住宅街の奥へと続くその道路と、今歩いているこの道路の接点。
そんな丁字路の一画目中央辺りに立つ案山子に僕は声をかけた。
「そういうことなので」
「……どういうことですか?」
返事を聞く限り最低限のまともな会話はできそうなので少し安心した。それから、あまり関係ないが思っていたより声が低い。
中肉中背、短髪、髭なし、おそらく四十代男性。黒縁の眼鏡、左手薬指の指輪、高そうな腕時計。案山子の装備としては少し過剰な気もするが、光るものを身につけるという点において案外理にかなっているのかもしれない。
「案山子の真似が流行ってるんですか? あまりテレビとか見ないので疎くて」
「いや……流行ってないと思いますけど……」
「そうですか。それはよかったです。今後やめて頂けると助かります。それでは」
無事に解決したところで、肝心の豆腐を買い忘れたことを思い出してしまった。
アルバイト先でお客さんの誰かが「ため息は幸せが逃げる」と言っていた気もするが、こんなことで逃げていくような幸せに価値があるとは思えないので、大きく息を吸い込んで思い切りため息をついた。
そういえば別のお客さんが「ため息でストレスが軽減される」と言っていた気もするが、こちらは誤りかもしれない。
スーパーで買った豆腐を片手に、確認しようと戻ってきたわけだが、相変わらず案山子は同じ場所に立っていた。
「……はあ」
もう一度試してみるかとついたため息があまりにもわざとらしかったのか、案山子は申し訳なさそうな顔でこちらの様子を窺っている。
「あの……私、何か……」
「どうしてまだそこに居るんですか?」
「え? あ、いや……私ここを離れることができなくて」
なるほど。離れることができない、か。
何らかの理由があるのだろうが、外傷や不都合があるようには見えないので物理的に動くことができないというわけではなさそうだ。
「そうですか。大変ですね」
とにかく、これ以上は余計なことだ。これから先、今年の秋はこの案山子とともに過ごそう。
「じゃあ僕帰りますね。急いでるので」
丁寧にお辞儀をして帰ることにした。
「あの……私、死んでしまって。もう三日になります」
「それは残念でしたね。では」
この人は後者だったようだ。まあ、それはそうだろう。「あ、ちょっと待ってくださいよ!」背後から聞こえる声を無視して足を進める。
死んだ人間はやっかいなことに話を聞いて欲しがる。そうではないタイプの死人もいるが、その場合は危害を加えようとしてくる。さらにやっかいなことに、多くの場合、見た目だけでは生きた人間との区別がまるでつかない。
「ちょっと!」
幽霊が見えてしまう僕からすると迷惑な話だ。そして、今は急いでいるので会話に付き合う余裕はない。
「私! ここで! 待ってるんです!」
そんな大声を出してまで聞いて欲しいのかと呆れてしまったが、内容としては絶妙に興味をそそるとても良い文句だ。
私ここで待ってるんです。
何を、誰を、何故、いつまで。
まんまと乗せられてしまったようで少し癪だが十歩ほど戻った。
「何を待ってるんですか?」
「……わかりません」
これは判定が難しいところだが僅かに興味に軍配が上がる。ここで何かを待っているが何を待っているのかもわからない。
「どうして死んだんですか?」
「交通事故で……即死だったみたいです」
「それはそれは」
苦しまなくてよかったですね。と、あやうく飛び出かけたあまりにも不謹慎な言葉を一度飲み込んだ。よかった、などと言われれば流石に不快な人もいるだろう。
「えっと……苦しまなくてよかったですね」
まあ、幽霊なので問題ないか。
「本当にそうですよね」
本人もそう言っている。
「気づいた時にはここにいて……三日間、何もせず立っているだけでした。これが続くと思うと私……」
田んぼの端で。歩道と田んぼの仕切りのように、ただ立っているだけの三日間がどれほど苦痛だったのかを想像してみたが、寝食不要の状態ならば意外と悪くないかもしれない。
ただ、この幽霊には辛い時間だったようで、この世の終わりのような顔をしている。実際あの世に行ったのだろうしそこまで間違ってはいない。
「他に何かわかることはありますか?」
そもそも、幽霊がそこに居ることに必ず理由があるというわけではないことは過去の経験からもわかっている。何故かそこにいて急に居なくなった幽霊もたくさんいた。
「他には……」
とはいえ、せっかくここまで話を聞いたのだから多少面白い何かを期待したいところではある。
「あ。そういえばこの三日間、この道を妻が通ってるんです。仕事帰りだと思うんですけど」
「それが何か?」
「家からだとこの道を通るはずがないんです。かなり遠回りなので」
*
「ということがあってさ」
額の高さでグラスを揺らし、氷の代わりに夜空の月を浮かべて眺める
「それで?」
「それだけ」
窓から視線を外し、綺麗な黒髪に映える赤の瞳をこちらに向けた。彼女の切れ長の目は去年の、高校三年生の春に初めて話をした時と比べて随分穏やかになった気がする。
「
僕のことを
「とりあえず良いところだけ聞いておくよ」
「顔がそこそこ」
唐突に、本当に良いところを褒められてしまった。
「悪いところはその他色々」
つまり彼女にとって僕のそこそこの顔は、その他の悪い点を打ち消すほど魅力的だということなのだろう。そうでなければ、こうして二人で湯豆腐をつつくことなどしないはずだ。ポジティブに捉えすぎかもしれないが、ひとまずきちんと返事はするべきだろう。
「えっと、月が綺麗ですね」
「グラスの汚れが結構目立つ」
毎日食器を洗ってくれという意味だろうか。
「
「わかるわけないでしょ? 案山子になったことないもの」
それもそうか。
「とりあえずシャワー浴びて今日は寝たら? 巡、明日一限からでしょ?」
深夜一時を告げる針を見て優しい顔でそう言った彼女を、わざわざ僕の家に来てくれている彼女を、こんなことで夜更かしに付き合わせるのはたしかに気が引ける。
「そうしようかな。今日はもう帰るよね?」
「うん」
「おやすみ。あ、食器は任せて。そのまま置いといて」
小首を傾げる綴に手を振り洗面所へ向かう。鏡に映る無造作な黒髪をかきあげて現れたそこそこの顔に別れを告げて、浴室の扉を勢いよく開いた。
*
「ということがあってですね」
大学構内にある食堂で僕の話を黙って聞いていた
「……巡くん。私に話したかったのは案山子みたいな幽霊の話だったんだよね?」
「そうですよ」
「なら、後半はいらなかったんじゃない? 湯豆腐パーティー後の彼女との惚気話なんて別に聞きたくないんだけど」
オカルト研究会の代表を自称するこの
「彼女じゃないですよ。あとパーティーってほどの量でもなかったですね」
小さく波打つ長い栗色の髪を耳にかけながら、目尻の下がった大きな目を。濃いオレンジの瞳をこちらに向け、普段の穏やかな表情と比べると明らかに不機嫌な顔をしたまま口を開いた。
「お姉さんね、キミのそういう話聞くの嫌なんだよ。単純に嫉妬で」
「それはすみません。と……ありがとうございます?」
とりあえずお礼を言ってみたが、表情が表情なだけに冗談が冗談に聞こえない。
「まあ、僕の話は置いといて。この話、
名字で呼ぶのはやめてくれと言われたのだが、翠蓮さんも翠蓮先輩も何となくしっくりこないし長くて面倒なので、敬称込みで翠蓮と呼ぶことにしている。一歳上の彼女は、後輩である僕が勝手にそう呼ぶことに何も言わないおおよそおおらかな性格で、基本的には人の話をしっかり聞いてくれる良い人だ。
「前半に関してはもちろん興味しかないよ。今すぐ案山子幽霊に会いに行こう」
そして、良く言えば行動力がある。
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