現代ダンジョンの輸送革命 ~ゴミスキル「デリバリー」が、ダンジョン攻略が進んだ後の世界では神スキルになっていた件~
田の中の田中
第1話 理不尽な解雇
「斎藤くん、ちょっといいかな」
鈴木部長の温度のない声が静かなオフィスに響いた。
斎藤陽一、ヨウイチはパソコンの画面に表示された売上データのグラフから顔を上げた。
「はい」
と短く返事をして立ち上がると、周囲の同僚たちが一瞬だけこちらに視線を向け、すぐに自分のモニターへと目を戻す。
その不自然な動きに、ヨウイチは胸に小さな棘が刺さるのを感じた。
部長室のドアへ向かう短い距離が、やけに長く感じられる。
ドアをノックし、「失礼します」と中に入る。
鈴木部長は大きなデスクの向こう側、革張りの椅子に深く腰掛け、不機嫌そうに腕を組んでいた。
「斎藤くん、座りなさい」
促されるまま、ヨウイチは来客用の硬い椅子に腰を下ろした。
机の上にはヨウイチが昨日提出したばかりの企画資料が置かれている。
その一番上のページには赤いペンで大きくバツ印がつけられていた。
「これなんだがね」
鈴木部長が指で資料をトン、と叩く。
「先方に提出したデータ、拝見させてもらったよ。なかなか面白い視点だとは思ったがね」
前置きは嵐の前の静けさだった。
部長はわざとらしくため息をつくと、声のトーンを一段階低くした。
「君が提出したこのデータに致命的なミスがあったせいで、どれだけの損失が出たと思ってるんだ!」
突然の怒声だった。
ヨウイチの肩がびくりと震える。
「え…? あの、データにミスですか? 確認したはずですが…」
「確認した? この数字を見て、よくそんなことが言えるな! 取引先の担当者様から、先ほどお叱りの電話があったんだよ!『御社を信用して発注を検討していたのに、こんな杜撰なデータを提出するとは何事か』と! 大問題じゃないか!」
部長は机を拳で叩き、唾を飛ばしながらヨウイチを睨みつける。
ヨウイチは青ざめながら必死に記憶をたどった。
確かに何度も確認したはずだ。
そもそも、あのデータの中で最も重要な根幹部分の数値は、部長自身の指示で修正したものだったはずだ。
ヨウイチが当初提出したデータでは、より現実的な、しかし少し見栄えのしない数値が記載されていた。
それを部長が、「これではインパクトが弱い。もっと強気な数字にしろ。責任は私が取る」と言って、無理やり変更させたのではなかったか。
「あの、部長。その数値に関しましては、確か部長からご指示をいただいて修正した箇所かと…」
ヨウイチは恐る恐る口を開いた。
反論するつもりはない。
ただ、事実を確認したかっただけだ。
しかし、その言葉は火に油を注ぐ結果となった。
「なんだと? 私のせいだと言いたいのかね、君は!」
鈴木部長は椅子から立ち上がり、ヨウイチを見下ろした。
その顔は怒りで赤黒く染まっている。
「自分のミスを上司に擦り付けようとは、見下げ果てた男だな! 聞こえなかったのか? 私は『責任は私が取る』と言ったんだ。それは、君が完璧な仕事をした上での話だろう! ミスだらけのデータを提出しておいて、よくもまあそんな言い訳ができたものだ!」
支離滅裂な言い分だった。
だが、部長室という密室で、上司と部下という絶対的な力関係の中では、それがまかり通ってしまう。
ヨウイチは口をつぐんだ。
これ以上何を言っても無駄だと悟ったからだ。
「そもそも君は、普段から仕事が遅いし、覇気もない。いつまでも学生気分が抜けていないんじゃないのかね? 今回の件は、そんな君の気の緩みが引き起こした、必然的な結果なんだよ」
人格否定まで始まった。
ヨウイチは唇を噛みしめ、俯いて床の染みを見つめる。
部長室のドアの向こう側では、同僚たちが息を殺している気配がした。
誰も助けてはくれない。
彼らも部長の理不尽さを知っているはずだ。
だが、自分に火の粉が降りかかるのを恐れて、見て見ぬふりをしている。
それがこの会社の、そして社会の現実だった。
「斎藤くん」
部長の声が冷たく突き放すような響きに変わった。
「君のような無責任な社員を、これ以上会社に置いておくわけにはいかない。残念だが、君は本日をもって解雇とする」
「……え?」
ヨウイチは顔を上げた。
解雇。
その言葉がすぐには理解できなかった。
「今、なんと…」
「聞こえなかったのかね。クビだと言ったんだ。君のデスクにある私物は、後でまとめて自宅に送ってやる。だから、今すぐこの会社から出て行きたまえ」
有無を言わせぬ口調だった。
ヨウイチは呆然と部長の顔を見つめた。
脳が現実を拒絶している。
何か言わなければ。
不当解雇だと訴えなければ。
しかし、喉から出てくるのはか細い空気の音だけだった。
「分かりましたか。返事をしなさい」
「……はい」
絞り出すような声でそう答えるのが精一杯だった。
ヨウイチは力なく立ち上がると、ふらつく足取りで部長室を出た。
オフィスに戻ると、同僚たちが一斉に目を逸らす。
誰もヨウイチの顔を見ようとしない。
ただ、隣の席の女性社員が、同情するような、申し訳なさそうな顔で小さく会釈しただけだった。
ヨウイチは自分のカバンを手に取ると、誰にも何も言わず、逃げるようにオフィスを後にした。
会社の自動ドアが開くと、冷たい雨が叩きつける音が耳に届いた。
空は暗く、灰色の雲が垂れ込めている。
まるでヨウイチの心の中を映しているかのようだった。
傘を持ってきていなかった。
もうどうでもいい。
彼は雨の中に一歩踏み出した。
冷たい滴があっという間にスーツを濡らし、肌の温度を奪っていく。
駅までの道を、彼はただ無心で歩いた。
人々が傘をさして足早に通り過ぎていく。
誰もずぶ濡れの男のことなど気にも留めない。
ふと、高校時代の記憶が蘇った。
2日本の中心に突如として現れた巨大な塔、通称「バベル」。
モンスターが闊歩し、未知の資源が眠るダンジョン。
世界中が熱狂し、多くの若者が一攫千金を夢見て「冒険者」を目指した。
ヨウイチもその一人だった。
平凡な毎日に飽き飽きしていた彼は、ダンジョンに自分の未来を賭けようと決意したのだ。
だが、神は彼に微笑まなかった。
授かったスキルは【デリバリー】――指定した住所に物を届ける。
ただそれだけのスキル。
ダンジョン攻略には全く役に立たない、いわゆる「ハズレ」「ゴミスキル」だった。
住所のないダンジョン内部では、そもそも発動条件すら満たせない。
仲間たちからは笑われ、彼は早々に冒険者の夢を諦めた。
大学にも行かず、そのままフリーターになり、そしてようやく今の会社に拾われた。
それから十数年。
真面目に、ただひたすら真面目に働いてきた。
それなのに、この仕打ちだ。
「結局、俺の人生はどこまで行っても『役立たず』か…」
雨音に混じって、自嘲の言葉が漏れた。
安アパートにたどり着き、錆びついたドアを開ける。
郵便受けから一枚の赤い紙がひらりと床に落ちた。
家賃の督促状だった。
給料日を待って払うつもりだったが、その給料すらもう入ってこない。
部屋は狭く、薄暗い。
窓の外では、雨がますます強くなっていた。
ヨウイチは濡れたスーツのまま、冷たいフローリングの床に座り込んだ。
身体の芯まで冷え切っている。
だが、それ以上に心が冷たい。
上司の顔、同僚たちの逸らされた視線、高校時代に自分を馬鹿にした友人たちの顔、そしてゴミスキルを授かった瞬間の絶望。
過去と現在の不幸がごちゃ混ぜになって頭の中を駆け巡る。
何がいけなかったんだろう。
どこで間違えたんだろう。
もっと要領よく立ち回るべきだったのか。
もっと強いスキルがあれば、違う人生があったのだろうか。
考えても答えの出ない問いが次から次へと浮かんでは消えていく。
「う…っ」
喉の奥から嗚咽が漏れた。
一度漏れ出すともう止まらなかった。
彼は子供のように顔を歪め、声を殺して泣いた。
悔しい。悲しい。情けない。
あらゆる感情が涙となって溢れ出す。
雨音だけが彼の嗚咽をかき消してくれていた。
どれくらいそうしていただろうか。
涙も枯れ果て、ただ虚無感だけが残った。
人生のどん底。
まさにその言葉がふさわしい状況だった。
彼は力なく床に横たわり、天井の染みをぼんやりと見つめながら意識を手放した。
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