異能大戦
ふろーらいと
序章 風化する街のプロローグ
第1話 さようなら、また会う日まで [前編]
伽藍堂の廃墟、砂を纏った建築物の群れ。
寂れに寂れて遺跡のように佇むだけとなった街。
ここが大日本帝国の偉大なる帝都、
東京の中心だとひと目で分かる者はいない。
1944年6月、第二次世界大戦は唐突に幕を下ろした。
欧州、太平洋、世界中のあらゆる戦線が、ひと月足らずで静まり返った。
戦争が終わる理由は、大抵の場合三つに分けられる。
片方が敗北したか、両方が疲弊し切ったか、
戦っている場合ではなくなったか。
世界大戦が止まった理由は、分類するなら三つ目だろう。
戦争とは、人間同士の勢力争い。
そこに人間以外の怪物が割り込んだらどうなるか?
恐らくは有史以前から語られたであろう空想の議題は、
現実の物となり、人類の歴史を狂わせたのだ。
人間では無い怪物が、未知の能力を用いて人間を襲う、
そのような事件が世界各地で相次いだ。
鬼やら悪魔やら、亡霊やらエイリアンやらと、
当初様々な呼ばれ方をしたそれら怪物は、
現在では”
光魔の力には凄まじい物がある。
銃弾を100発以上撃ち込まれても動き続け、
未知の力場を使って超常現象を起こし、
過剰なほどの獰猛さで人間を見境なく襲う怪物。
光魔が暴れた事で、世界中から数々の街が滅び去った。
この東京都心の港区も、そうして荒廃してしまった。
珍しい光景では無い。
日本ばかりか、世界のあちこちで同じ事が起きているのだ。
しかし、東京というエリアに限ればレアな街並みだろう、
ここは今、帝都での居場所を無くしたあぶれ者達が、
最後に行きつき、集まって細々と暮らす程度の場所となっている。
彼もその一人。黒い服に身を包んだ、やや背丈のある細身な若人。
仄かに橙色の瞳と、襟足だけ長く伸ばして束ねた黒髪の少年。
今は空の財布だけを持つ、何者でも無い平凡な少年。
徐々に強くなる日差しの中、疲れた様子で廃ビルの地下に降りて行く。
スクラップの掃き溜めと化した地下通路を抜け、彼は鉄の扉を潜った。
こんな場所が今の自分の自宅だなどと、彼も認めたくは無いだろう。
しかし他に住める場所など思い当たらず、探すだけの余裕も無いのだ。
この日の朝は前日の夜、日銭を稼ごうと出かけた矢先、
何が楽しいのか日々暴れて過ごす暴漢共に出会して、
やっとの思いで辿り着いた勤め先を台無しにされ、
一晩かけて逃げ帰って来たばかりだった。
カレンダーを捲り、日付を今日の物に直す。
2025年3月1日。もう直ぐ次年度だがこれを買い直す金も無い。
「食い物はまだ・・・三日分はあるか」
これまでグレーな仕事には加担しても、真っ黒な犯罪に手を染めた事は無かったが。
いよいよ手段を選んでいられないかと、真っ黒な思考が頭に浮かび、しかし沈んだ。
そんな事をするくらいなら、もう少し文明的な街に向かった方が良い。
住む場所は無くなるだろうが、若い男はそれだけで従業員として需要がある。
多少のリスクはあるものの、現状を維持するリスクよりは飲み込み易い。
そうして彼が、荷造りを始めようとした時だった。
「うっ・・・!?ぐぅ・・・!」
神経を焼き切るような痛みが、晴月の腹部を襲った。
どこかにぶつけたのでは無い。何か虫にでも刺されたのでもない。
それは、体の内側から滲んだ痛み。病が体を蝕む苦痛だった。
晴月は棚に手を伸ばし、瓶を手に取り、
蓋を開けて錠剤を水も使わずに飲み込んだ。
ただの鎮痛薬、症状を抑えたり病を治したりする薬は無い。
この、痛みを誤魔化すだけの薬も、もうあと数えるほどしか残っていない。
痛みはいずれ引くだろうが、またしばらくしてぶり返すだろう。
街を出ずにいた理由がコレだ。
脈絡も無く突発的に痛み出す腹の病、
寝床が無ければ回復を待つ事さえままならない。
少し前まではまだ金にも体力にも余裕があったが。
思い返せばあの頃、早々に街を出ていれば良かったのだ。
痛みが引いて来た。寝る前に何か食べておこう。
戸棚の奥の保存食を覗き込み、どれを食べるか考える。
飽きた食料から食事を選ぶと言う退屈な時間を、
今度は痛みでは無く、別の衝撃が遮った。
鉄の扉に何かがぶつかった。部屋の外で何かが起きた音だ。
晴月は驚き、そして銃に手を伸ばす。古い軍用の拳銃だ。
幸いにも腹痛はもう感じない。彼は思い切って扉を開いた。
「誰だ!・・・?」
目線の高さに人はいない。
強盗や光魔の類が押しかけて来た訳では無いようだ。
不思議に思いながら扉の前の通路を見渡す。
すると扉のすぐ横に、何か袋のような物が見つかった。
「う、うーん・・・ここはどこ・・・?」
暗闇の中のソレが少しずつ鮮明になる。
袋に見えていたのは衣服、扉を叩いたのはコレだろう。
子供だ。女の子。黒髪を綺麗に切りそろえている。
この街にはあまり似付かわしく無い程度に清潔な格好だ。
そしてとても疲れた様子で、お腹から捻じ切れそうな程に空腹を叫んでいる。
「・・・子供?誰だ君は?なぜこんな場所に?」
声が腹の虫に遮られる。
何日も食べていない・・・にしては元気に見えるが。
しかし良く見ればその子供は、晴月の方を見ていない。
目が霞んでいるのか、ピントがあっていないのだ。
晴月は銃を仕舞いつつも、その場で1分近く悩んだ。
食料には決して余裕は無い。晴月自身も健康とは程遠い。
悩みに悩んで。悩んだ末に。彼は結局、助ける方を選んだ。
この地下室は元々、上にあるビルの水道を管理する部屋だった。
そのお陰で水道水だけは自由に飲める。ここに居着いた最大の理由だ。
しかし電気に関しては、町中の電線が切れており、使える場所はごく僅か。
灯りを確保する手段は限られる。晴月が使う物は電池式の電灯だ。
地下室は換気が難しいので、火を使うのは可能な限り避けている。
そう、例えば調理する時のような、やむを得ない場合を除いて。
「はふ!はふはふ!・・・おかわり!」
「無ぇよ!この・・・一息で2日分も食いやがって・・・」
空腹の消化器官に普通の食事は毒である。
故に晴月は、乾パンを湯に浸して粥のような物を作った。
新鮮な野菜や肉は無いので、オカズはサプリメントである。
そしてこの少女は、用意された分の食事をすぐに平らげてしまった。
晴月は驚きと焦りで白目を剥きそうになった。
「ごちそうさま〜、お兄さんありがと〜」
対して美味しくも無いだろうに、少女は満面の笑みを浮かべている。
他人の笑顔も、自分の笑顔も、晴月はしばらく目にしていなかった物だ。
食料が一気に無くなって、二重の意味で腹が痛くなりそうだが、
同時に少女が見せてくれた笑顔は、微かな安らぎを与えてくれた。
「・・・君、どうしてここにいるんだ?この街に住んでる訳じゃ無いだろ」
「うん。用事があって来たんだ、
少女は上着の内ポケットから、茶色い小包を取り出した。
何も書かれていない、箱のような物を紙で包んだだけの物だった。
和谷という人物に届けたいと言うが、晴月には心当たりがない。
表札も無い住所もあやふやな荒れ果てた街で、
特定の個人を探すのは骨が折れる作業だ。
話を聞くに、彼女はどうやら品川の孤児院に住んでいたようだ。
それが少し前に抗争によって潰れてしまい、
この小包だけを持って旅に出たらしい。
「この小包は?どうしてその和谷って人に届けたいんだ?」
「分かんない。先生が言ってたの、これを持って、大きな道をまっすぐに進んで、新宿って所に行けって」
「(品川から新宿・・・子供には遠すぎる。しかも多分、道を間違えてるし・・・緊急だったのかな。まぁ納得はできる・・・どうやら孤児院が潰れたのも、”神秘者”の抗争が原因みたいだしな)」
第二次世界大戦は、
しかしそれから80年が経過した今もなお、
戦いが再開されずにいる理由は、発見されたもう一つの存在にあった。
それは戦争のあり方を、人類の常識を塗り替える兵器だった。
戦争の歴史は、新たな兵器によって変わる物だ。
鋼鉄の船、航空兵装、レーダー装備、核兵器。
だがこの新たに発見された特別な兵器は、
それらとは一線を画す、それらとは次元の違う物。
歴史の転換点とも言うべき兵器の数々を、
個々人が容易く保有し得る異常事態とでも言うべきか。
それは、”神秘”と名付けられた超常現象。
それを持つ人間の事を神秘者、あるいは神秘保有者と呼ぶ。
光魔と神秘者の影響で、世界は混乱を極めた。
神秘者が現れ出した事で、軍が保有する戦力は数でも技術でも測れなくなった。
そう言う時代に突入し、人類はおいそれと戦争を起こせなくなったのだ。
故に人類は、世界大戦を再開しようとしなかった。
そして代わりに、光魔への対策と、神秘の管理に力を注ぐ事になった。
神秘の管理に失敗し、管理し切れない神秘者がのさばればどうなるか。
それはこの港区を始めとする荒廃した都市の数々と、
この少女が暮らしていた孤児院の悲劇を見れば分かるだろう。
あるいはそのような力は、絶望的な状況を切り開く希望にもなるかもしれない。
しかし残念な事に、晴月にもこの少女にも、都合のいい奇跡は味方していない。
今はまだ、神秘が輝く時では無い。
「君、名前は?」
「
少女は元気よく飛び出して行った。
手伝うべきか迷ったが、晴月は後を追う事はしなかった。
彼自身も病を抱えており、いつまた痛みに倒れるか分からない状況。
ついて行けば逆に邪魔をしてしまうかもしれない。
「・・・人を助けられるのは、助けが必要ない人だけだ」
晴月は壊れかけのベッドに倒れ、眠気に身を預けた。
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