新人が入ってきた

「問題はありませんか」

 訝しげに書類を見つめる職員。神森市役所の4階、超常生物対応課に来ていた。カウンターの向こうは忙しそうに作業している。

 放課後に来たのも、昨日討伐した超常生物の報告書の提出のためだ。

 みまもりねこ、通称まもねこ、円筒型巡回型ロボットの通称、の一部が昨日のタックルで壊れていたため、書類の提出してくれと通知が来ていた。

 アプリで書けばいいのでは。不満はあるが、未成年ということで色々制限があるらしい。おそらく未成年と少し話したかったらしい。さっきか部長と名乗る方と話している。

「特には。猟刀も抜けました」

 猟刀は討伐用の特殊機能のついた刀だ。超常生物接近まで抜けないためのロック、切断のための熱や電気も利用できる。ただ基本的には斬ることが目的のものだ。

「怪我もないか、不満点はありますか?」

「鉄も切れるようにできてませんか」

 書類にも書いたと同じ答えを返す。

 鉄豚は腹を見せれば簡単に殺せるものの、やはり一手間をかけるのが面倒だ。

「できるよ」

「え」

 初めて目を見た。先生が生徒に向ける、未熟者を見る目だった。

「最新型の猟刀は慣れれば石も鉄も切れるよ。熟練者は鉄豚くらいの装甲なら切り捨てているよ」

 顔が熱くなる。全然知らなかった。居合を学んだのは一般的な道場だから、超常生物討伐用の猟刀については使用書と講習ビデオ程度の知識しかない。

「勉強不足ですみません」

「ああいや。これは上級者向けの使い方ですから、知らなくても仕方ないですよ。そもそも機能ではなく、技術によって可能になりますから。始めたばかりの月峰くんができなくても当然ですよ」

 気を使わせてしまった。澱が沈むように、胸が重い

「今回討伐していただいて非常にありがたいですし、継続が大事ですよ」

「はい」

「私からお聞きしたいことは以上です。何か質問はありますか」

「鉄を斬る方法は誰に聞けば」

「あー」

 目を逸らした。やってしまったという顔だ。

「……まだ三体だけですから、お教えできません」

 当然の返答だった。

「でもあなたは頭いいと聞いてますからね。自分で気づくかもしれませんよ」

 柔らかな笑みを浮かべる。表情には期待がこもっていた。

 刀を振るう高校生に向ける顔か?とは思ったものの、聞いたのは自分なので黙って頭を下げた。

「ありがとうございました」

 翻ってカウンターから立ち去る。「次の方ー」、と流れるように俺の案件はすぎていった。

 *

「お疲れ様です」

 学校が終わり、家で着替えてからカフェのキッチンに入った。

 キッチンは異様に静かだった。ドア横のカレンダーを見ると「面接」の一言だけ。

「あ」

 ありがとうございましたー、ほぼ同時にのれんの向こうからドアのベルが響く。

 遅れるとは伝えたけど、カフェの事情を忘れてた。

 謝るにしても事態を把握せねば。音を立てないようにカウンターに向かう。のれんに手をかけたところで天井が顔を見せた。

「あ、お疲れ」

 ギョッと体を引く。

「すみません」

「何が?」

「面接の邪魔しませんでしたか」

「別に?ちょうど終わったところだったよ。そもそも入店したら挨拶しろと指示したのは僕だから、謝んなくていいよ」

「すみません」

「突発的に謝るのもあんまり良くない」

「す……はい」

「よし。今お客さんいないから、テーブルの皿を片付けて」

「はい」

 そのまますれ違う。手に持ったタブレットPCはもちろん画面が見れなかった。

 それからテーブルに残っていた皿を回収し、テーブルとカウンターを拭く。ここ最近では珍しく客のいない時間だった。

 窓の外からはヴェールのような柔らかな日が差し込み、絵画の一場面のようだ。

 カウンターの中に戻り、ステンレスの机の上を拭いていると戻ってきた。

「お疲れ様です。今日の面接はどうでしたか」

「合格」

「早い」

 面食らった。さっき面接で、すでに決定済みとは。

「どんな人でしたか」

「君と同じ高校一年の女の子。家が料理屋みたいで、接客の手伝いをたまにして言いたそう」

 納得行った。特に飲食の経験済みなら即答だろう。

「ものすごい元気な人だったよ」

「石火先輩くらいですか?」

「それ以上」

「おお……」

 石火先輩は明るく、例えればファストフード店で大量のポテトを食べている集団にいそうな人。カラオケ店から良く出てくる人。のような印象だ。最近は以前いた居酒屋から戻ってこいと店長から誘われる人だ。快活で人と会うことがエネルギーになる人。

 陰気の俺がなじむま一ヶ月くらいかかった。今でも馴染めているか不安であるが、これを言うと諭されるから受け入れる。

 それ以上に元気な人だと、日差しが強すぎて影が小さくなりすぎないか。

 そもそもこの喫茶店はレトロで落ち着いた雰囲気なのに馴染めるのだろうか。

「君はコーヒー淹れてくれればいいよ」

 店長はキッチン上のタブレットを眺める。画面はコーヒー豆の貯蔵量一覧。

「できることをすればいい。石火くんも新しい人も、接客に向いてる人だから、そっちに任せな」

「次の人はコーヒー淹れた事ないんですか」

「料理の方がうまいよ」

 適材適所。言い訳をして思考を切った。これ以上は卑屈になる。

「勘はね、鈍ってほしくないんだ」

「勘ですか」

「特にカフェはね。飲み物で売ってるから」

「まあ、そうですね」

 コーヒーではないが、以前高級喫茶店で紅茶を飲んだことを思い出した。

 高校受験合格のお祝いに駅近くの高級ホテルのレストランに行った。スーパーで貯めたポイントを引き換えに割引券を持っていった。

 背伸びするような高級な雰囲気と、味わいと美術品のような造形の料理に初めて舌鼓を打つという熟語の意味を実感した。特に穏やかに過ごせたのは、華族のようなシワひとつないスーツの知秋さんが居ていただいたこともある。

 知秋さんの食事の説明を聞きながら食べるのは一つの経験であり、食事への付加価値の再極地だと実感した。カフェのバイトでもあの経験は非常に参考になる。

 その中でも紅茶の味は全然違った。そもそもコース料理を食べる機会も少なく、コーヒーか紅茶かと聞かれて、国語の問題に出てきた紅茶を思い出して紅茶を頼んだのだった。普段は適当にコップにティーバッグと沸かした湯を入れるだけ。渋く香りもどうでもよかった。

 しかし頼んでみると、鼻に抜けるような香り、舌にスッと通り抜ける味わい。冷めても爽やかな味は抜けなかった。

 適当だったな。あまりに適当だった向き合い方をなおし、受験も終わったことで食について集中して学び始めた。

 たった一回の食事でも多くのことを学べた。特に気を許した人との食事がこんなに満足するものだと初めて知ったかもしれない。

 時間と、手際、コーヒーも紅茶もどちらも勘や手際の良さが求められる。適当に入れるとえぐみや渋みが残る。なかなか勘は身に付かない。

「不安なことがあれば相談してね。どんな人にも相性はあるから」

「ありがとうございます」

 息をはく。誰にも愛される人はいない。ただ仕事の同僚になる。

 知秋さんはエスプレッソ用の小さなカップを磨いている。エスプレッソに砂糖を入れ、一気に流し込む飲み方を教えてくれたのは知秋さんだ。

 知らない世界を教えてくれた。運営の助けになりたい。増長したことを考えながらも、見知らぬ新人との会話を考えた。

 またしても鉄豚だった。

 朝やけの中、震える手でスマホを操作する。切った鉄豚の通報のためだ。

 朝の修練のランニング中、偶然近所の自転車置き場でボリボリと自転車を食べる鉄豚を発見。刀を抜き、横から突き、腹を切り倒した。鉄豚の嫌いな酸っぱい香りの網には大きな穴が空いていた。証拠写真を撮る。

 ちぎられたパイプと車輪が抽象画のように曲線を描いている。保険のシールが貼ってあるから、申請すれば保険金はもらえるはず。

 証拠のために死骸と自転車の遺骸を共に撮る。

「いってきま、うぇっ!?」

 駐輪場入り口から声がした。死骸をどつき、動かないことを確認してから声の方に顔を向けた。

 深い藍色のセーラー服、神森高校の女子制服だ。スカートの下にジャージを履き、これから自転車に乗るところだと格好が表していた。

「あたしの自転車がー!」

 肩からショルダーバッグがずり落ちる。その場に立ちすくんでいた。来ないのか、足元の湯気をあげる死骸を見やり、まあ来ないかと理解した。

「ここの鉄豚は討伐しました!少し後に回収がきます!」

 講習ビデオで見たように、現状を伝える。下手に動かれると二次被害になる。

 自転車置き場の狭い道に大量の被害があると考えると警察が来るはずだ。それまでに周囲に指示を出す。

「回収するまであまり近寄らないでください!」

 市では必須のワクチンがある。それでも近寄らないに越したことはない。

 それでもぼんやりとしたままだったが。急にハッとしたように目に光が戻った。

「番号!」

「はい?」

「自転車の番号ってわかりますか。保険って書いてある」

「えっと」

 番号を伝えると、頭を抱えた。わずかな可能性にかけていたらしい。

「……ありがとうございます!周りの人にも伝えときます!」

 肩を落としたまま、それでもはっきりとした声で伝えた。

 ふらふらと道を戻っていく姿は正直かわいそうだ。何かいいことが起きて欲しい。

 それから数分後、パトカーと回収車がやってきた。

「他の人は」

「きてませんね」

 そういえば。スマホを見ると通勤で混み合う時間だった。それなのに自転車置き場には誰もきていない。

「ああ、入り口の掲示板に表示してあったよ。自転車置き場に鉄豚が出たって」

 警備員が現れた。今回は傍から出てきたから対処に遅れたらしい。

「さっき女の子が来てね、スマホやってない人にも伝えて欲しいって頼まれたんだ」

 なるほど。肩を落とした姿がよぎった。人のことも思える、優しい人だ。

 顔も碌に覚えてないものの、少しいい心持ちになれた。学校はギリギリだった。

 鉄豚。装甲生物である。ダンゴムシのような装甲をもち、雑食で特に金属を食べる。

 亀のように長命で、特に長く生きた物の装甲は非常に分厚く、そして一つの金属資源となる。

 だから非合法な連中も狙っていると。

 小型鉄豚はC1級だが、大型鉄豚がE2級で単独対応を忌避されているのはこの点にある。

 *

「ただいま」

 誰もいない家に戻り、すぐに着替える。更衣室を使っていいとはいいとは言われてるものの、落ち着かなくて自分の部屋で着替える。

 就業10分前になったところで家を出て裏口から入る。

 カレンダーを見てから挨拶。『16:00〜 新人初日』と書いてあった。

 今日は水曜日だから早上がりでこっちに来たのだろう。

 ノブの上が赤い。更衣室のロックがかかっている。女の子、の文字が頭をよぎって、その場を離れようとしたところで、青に変わった。

「外に出ます!」

 快活な、ハリのある声。朝聞いた声だった。

 ゆっくりドアを開けて、現れたのは俺と同じギャルソンスタイルの女の子。今朝と違って髪の毛は落ちないようにセットされていて、凛とした印象に変わる。

 目が合った。電気が走った気がした。

「朝の人?」

「あ、はい」

 見知らぬ人と話すのは苦手だ。どもりつつ答えると、手を合わせて口元にもっていった。

「すっごいね。勉強できるのに超常生物駆除して、カフェでバイトしてるんだ」

「本業はこっちです」

 言ってから気づく。

「俺のこと知ってますか」

「うん、月峰冬湖くん。めっちゃ頭いいって有名だよ」

 口の中に苦味が出る。社交的であらねばならない。

「商業科まで、聞こえているとは」

「嫌だった?ごめん」

「別に……あまり他のクラスとは話さないから知らなかったんだ」

 そろそろ話題を変えたい。ちょうどカウンターから知秋さんが現れた。

「雑談中だった?」

「就業時間です」

「すみません。着替えました!」

 おそらく早く来て着替えるように指示していたらしい。無言の了承のように知秋さんの前に立った。俺も一歩引いて立つ。

「今日から一緒に働くことになる、千川春花さんです」

 自己紹介よろしく。妙なテンションで促す。隣の春花さんは「はい!」と大きな声で答えた。

「千川春花です!得意なことは料理と台拭きとご飯を100グラム単位で盛ることです!家が食堂なので手伝いで盛ってました!カフェで働くのは初めてなので、まだ未熟な点もありますが、すぐに覚えます!よろしくお願いします」

 ばっと頭を下げた。勢いよく靡く後ろ髪が飛魚みたいだった。

 

 

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