4節4話 ロリババア博士
ヴァルカはドアノックをし、
「ヴァルカ・グランだ」
「入ってよいぞ」
名乗ると、さっそく客人を迎える明るい声が返ってきた。部屋の主の許しを得たので、ドアノブを回して室内へと足を踏み入れる。
「今戻った……ドリス〝博士〟」
「ウム、おかえりなのじゃ。〈タイプ:コマンダー〉撃破の報が入ったから、そろそろ来る頃合いと思ってたぞ」
そう言って、迎えたのは見た目が十歳くらいの小柄な少女だった。銀色の臀部まで届く末広がりの癖っ毛ボサボサロングヘアに、アンテナのようにピンと立った一房の大きな浮き毛が特徴的。羽織っている白衣は彼女のサイズに合ったものがなかったのか、裾が床ギリギリだ。袖も長過ぎるのか、両腕とも袖口に手が埋まってしまっている。
「また戦果を上げたようじゃの」
「失ったものも大きい」
「謙遜は美点じゃが、落ち度ばかり見るのは欠点じゃぞ?」
ドリス・アシュクロフト博士。この見た目だが、ヴァルカより年上の二十代半ば、しかしながら研究者としてはまだ若いにもかかわらず、この国の装杖研究と開発の第一人者という立場である。装杖の研究はまだ新しい分野ゆえ、この国とオリエンス帝国くらいでしか進んでいないが、彼女の活躍によって実用化が十年早まったとすら言われている天才だ。
(落ち度か……事実なんだがな)
部屋の最奥には大きな窓があり、その直前には彼女が現在座る椅子と、窓と並行に木製の両袖机が設置されている。両袖机の前には垂直に来客用の長机が置かれていて、それを挟むように両脇にソファーも並んでいた。出入り口向かって左右の壁にはどちらも一面本棚が並び、その棚も隙間なく分厚い書籍で埋め尽くされている。
見れば見るほど、この執務室にその少女らしき外見の女性は釣り合わないが――彼女はまさしくこの部屋の主であった。
「……腕のメンテをご所望かの?」
もう三年以上の付き合いだ。何も言わなくても、こちらの用件を把握していた。
「よろしく頼む」
「ウム、そこのソファーに座るのじゃ」
ヴァルカは向かって右のソファーの真ん中に腰掛ける。するとドリス博士も執務机から離れて、向かいのソファー――ではなく、後ろから回り込んでヴァルカの左隣に腰掛けた。
さっそく彼女はヴァルカの義手を愛おしそうに撫で始める。
「ワシの〈アシュクロフト・システム〉は今回も、十全に起動したかのう?」
と、上目遣いで尋ねる。
毎度思うが、距離が妙に近い。
「……ああ、問題なく、意図的に〈オーバードライブ〉を引き起こせた」
「ウム、それは良き良き。この義手型装杖〈スペムノンハベット〉も、随分と使いこなせるようになったもんじゃ。最初は起動すらできんかったのに」
「私の実力不足も大きいが……当時は義手も今より完成には程遠かった」
ニヤニヤとドリス博士は笑みを浮かべ、ツンツンと頬を突いてくる。
「言うようになったのう~。三年前拾ったときは、そんな冗談も言えなかったのに」
「……冗談のつもりはないんだが」
確かに自分の力不足も大いにあったが、今の義手を手懐けられたペットとすれば、当時は野生そのままの暴れ馬だった。
からかうつもりもなく、心から大真面目な表情を浮かべていることに気づいたドリス博士は、むっと頬を膨らめる。
「……少しは冗談ってことにせい。当時完璧とドヤってたワシが、傷つくじゃろーが」
「すまない……」
「正直なのは美点じゃが、無遠慮なのは欠点じゃの……」
そう言って小さくため息をつくと、
「まあ、昔のが今とは比べ物にならんほど、荒削りだったのは事実じゃしな」
「今更だが、感謝している。この腕のおかげで私は戦場に立てた。それにどんどん〈オーバードライブ〉を引き出しやすくなってる。詠唱から起動までの時間、今回最短だった」
「ウム、さすがワシじゃな!」
と、ドヤ顔で腕を組む。
「ワシも感謝しとるぞ。援軍も間に合わず、リーリスに到着したところで後の祭りじゃったが、研究所としてはお主という最高の拾い物をした。おかげで〈スペムノンハベット〉の開発が飛躍的に進んだのじゃ。たまには現地調査名目で同行してみるもんじゃな」
「……私達を拾ってくれたのが、博士達でよかった。転移先が別の場所で、見つけたのが魔獣だったら、今頃ここにはいないだろう」
気を失ったヴァルカ達が発見されたのは、王都郊外の被害の少なかった街道近くだった。
「もしそうなっておったら、人類の未来にとって多大な損失じゃったろうな」
「……何度か似たようなことを言っていたが、そこまでか?」
「お主はまだ自身の価値を理解しておらんようじゃの。一般人とは比べ物にならない魔力の〈最大貯蔵量〉に、〈限界変換量〉の制限を取っ払う魔力暴走――〈オーバードライブ〉を、自力で引き起こせる稀有な体質を持っておるのじゃぞ? 普通の人間は自力どころか、装杖を使ってもなかなか起こせん。百万人に一人いるかいないかと言って良い」
自分の価値――。その説明も何度も受けたが、かつて〝持ち腐れ〟と呼ばれていた劣等生の自分にとっては、いまいち実感がなかった。
「自力で引き起こせるか……。あのときはただ感情がぐちゃぐちゃで、いっぱいいっぱいだっただけだ。どこに転移するかも何も考えず、とにかくその場から生き延びることだけを考えて、魔力の限り〈シフト〉を使った。言うなら、偶然かつ無意識の産物だ」
「素質としては、十分すぎるのじゃ。確かに感情の高まり、死を目前にした極限状態、何よりお主自身の体質――これらが複雑に絡み合った結果、ようやくそのときだけ起こせた再現性のない奇跡なのじゃろう」
彼女の手が、金半透明の水晶に触れる。
「じゃが、別に偶然か否かなどどうでも良い。それを必然かつ意図的に可能とするために、ワシらの研究がある。大事なのは、そもそもゼロイチを起こせる素質があるかないかじゃ。所詮道具は道具。必要なのは扱える人間なのじゃからな」
「……そうか」
「というわけで、メンテの対価として、今日こそお主の〝精〟を献上してもらおうかの!」
「……は?」
いきなり何言ってるんだこいつは、となった。
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