2節7話(2節最後) そして復讐へ――

「リ……ィ……ナ……」


 リィナが、死んだ。


「いやだ……なんで……」


 跡形もなく、何も残さず。


「リィナ……リィナ……」


 痛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 怖かっただろう。


「あ……ぁ……あぁ……ぁぁああ――――――――――――――――」


 なのに、彼女はそんな素振りは一度も見せなかった。

 きっと残った者達に、これ以上の絶望を与えないようにするためだろう。せめてもの抵抗として、精一杯強がって勇気を見せることで、残された者達を精神的に崖下に引きずり込まないようにしたのだ。

 おかげで涙は出なかった。


「このクソスライムが――――!」


 代わりに恐怖よりも、怒りが募って。

 悲しみよりも、憎しみが募って。

 絶望よりも、殺意が募って。


 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる――――――――!!


 あんなに優しく強い心を持った世界一素晴らしい女性を、躊躇いもなく奪った魔獣が――〈インフィルトレーター〉が許せなかった。


「お前だけは、許さねぇぇぇええええええええええええ――――――――!!」


 復讐心で胸を満たし、駆け出そうとしたヴァルカ。


 しかし――。


 スパッ。


 一歩踏み出した瞬間、


「え……?」


 突如、己の左腕が宙を舞った。

 そして自分の左腕が生えていた箇所に目をやる。

 肩から下が切断されて、消えていた。


「ウァァアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!」


 遅れてくる、痛みの実感。着地する持ち主から離れた左腕。

 その場に膝をつき、〝先端〟のない左腕を押さえて悲鳴を上げた。吹き出す血液をどうにか抑えようと、ポケットから出したハンカチで止血を試みるも間に合わない。


 一体いつ?


 と思ったが、二十メェト先に人型の魔獣が数体立っていた。やつの風属性魔道だろうか。


「ヴァルカくん!!」


 ミーシャさんが駆け寄ってきて、自身の制服の上着を脱いで左腕の止血に加勢してくれる。


「クソ……クソが!!」


 より怒りの火に油を注がれたヴァルカは、再び〈インフィルトレーター〉に向かっていこうと立ち上がりかけた。


 ――が、


「待って!!」


 そんな自分を、ミーシャさんが引き止める。後ろから抱きしめるようにして。


「放せ、ミーシャ! あいつは俺が……! 俺が殺す!! 殺してやるッ!!」


「ダメ!! 逆に殺される……! 行っても死ぬだけ!!」


「でもッ!!」


 と、彼女を視界に入れた瞬間、ヴァルカは紡ごうとした言葉を止めた。


「お願い……! 行かないでっ……」


 彼女が震えていることに気づく。それどこか制服のスカートから太ももを伝って、体液が漏れ流れている。それが尿だと気づく頃には、ヴァルカの頭は冷静になろうとしていた。


「独りに……しないで……」


 ミーシャさんは顔を涙でぐしゃぐしゃにし、恐怖で震えながら、チーム最後の生き残りを必死に逝かせまいとしていたのだ。


「ミーシャ、さん……」


 このまま〈インフィルトレーター〉に突っ込めば、殺されるだけなのは彼女の言う通りだ。当然向かっていくからには死も覚悟のうち。しかし刺し違えてでもとか一矢報いるという勢いだけの思惑が、今となってはそれすら思い上がりなのだと自覚できる。頭に血が上った状態では抜け落ちていたが、メーア先生ですら無力だった。ここからでは届かない〈シフト〉と、火の粉同然の〈ファイヤーボール〉でどれだけのことができるのだろうか。


 何よりさっき人型魔獣の横槍で、踏み出した一歩目から左腕を切り落とされて頓挫したばかりではないか。むしろ腕だけなのは運が良かった。恐らく距離がある上にこちらが動き始めたので、狙いがずれたのだろう。


(ん……? 運が良かった……?)


 ふと、それは違うかもしれないと思った。

 追撃が来ない。


(まさか……)


 連続して敵が魔道を唱えていたら、今頃自分もミーシャさんも死んでいる。しかしそうはなっていない。

 目がないので〝見つめた〟という表現が適切かわからないが、魔獣どもは今にも裂けそうな口角を、さらに吊り上げてこちらに向いている――ように、ヴァルカには見えた。

 まるでこの状況を観賞でもするかのように。


(やつらはもしかして、楽しんでいる……?)


 優越感を噛みしめるためにあえて殺さず、絶対勝利できる状況で相手に劣等感と絶望を植え付けて遊んでいる。

 実際にはどうかはわからない。やつらの意思は読めない。

 しかしそうとしか言えない状況に、ヴァルカは屈辱的な想いを抱いたのだった。


(こいつら……!)


 でも何もできない。

 何かしようにも、力の差が大きすぎる。

 ヴァルカは無力を自覚した。

 自分にもっと力があれば。


 他の生徒を食い荒らし終え、口を赤く汚した〈ポーン〉や〈チェイサー〉達が、どんどん囲うように自分達に近づいてきた。一方で〈インフィルトレーター〉はあれから襲ってこない。ずっとその場で静止したままだ。一度捕食すると、その後しばらくは休憩に入るのだろうか。メーア先生のときも、思えばリィナを襲うまで静かだった。


「くっ……!」


 とヴァルカは〈インフィルトレーター〉を睨みつける。今できる精一杯の抵抗だ。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 せっかく理想の世界に転移したと思っていたのに。


(こんなところで、死ぬしかないのか……?)


 どう客観的に見ても、〝詰み〟である。


(どうして……)


 夢の異世界転生生活が待っていたのではないのか。

 恋人とのイチャラブ学園ライフが、

 ライバルとの切磋琢磨魔道バトルが、

 無能な自分の突然の覚醒が、

 そこからの〝俺TUEEE〟ラッシュが、

 魔獣を蹴散らしてのさすがヴァルカ様される展開が、

 リィナとの幸せな毎日が、

 待っていたのではなかったのか。

 ――なのに、諦めるしかない。


 ミーシャさんはすでに死を受け入れているようで、最期の瞬間を震えながら構えて待っている。ただせめて孤独だけではいないよう、ヴァルカに縋り付いて。


(もう、終わりなのか、俺の人生……)


 せっかく〝生きている〟と感じた人生だったのに。

 こいつらのせいで。

 魔獣とかいう、わけのわからない生き物達のせいで。

 前世と真逆であった。〝死んでいないだけ〟の人生だった前世。しかし今回は違った。〝生きている〟人生だったのだと確信する。これだけこの生を愛おしいと感じているのだから。

 しかしそれがすべて奪われようとしている。

 奪われ、穢され、壊されて。

 最悪な転生人生に変えられてしまった。

 もう終わり――――。


(……ん?)


 いや……? 

ちょっと待て。

 どうしてだ?


(なぜ、こっちが諦めてやらないといけないんだ……?)


 ふと、そう思った。


 諦めが、心を凪へと落ち着かせたのか、冷静にそもそものところから考え始める。

 おかしくないか?

 どうして、一方的に奪われなければならないのか。

 こっちは何もしていないのに。

 みんな平和に暮らしていただけなのに。


(俺達がわざわざ、それらを捨ててやらないといけない道理はないはずだ)


 全部あいつらが悪いのに。

 自分達はただ生きていたかっただけなのに。


「こんなの、理不尽じゃないか……」

 

一度そう思うと、消えかけていた心の炎が一気に灯り直す。

 心の底の怒りが、憎しみが、殺意が、収まりかけた復讐の炎が再び燃え上がる。

 諦めや絶望といった感情が遠ざかっていく。


「ヴァルカ、くん……?」


 ありえない。

 理不尽だ。許されざる理不尽である。道理に合わないこの概念は、この世界に存在を認めてはいけないものだ。

 なぜこちらが黙って、命を諦めてやらないといけないのか。

 未来を、捨ててやらねばいけないのか。


「ありえない……! ああ……ありえちゃいけないんだ」


 心の底から、感情以外の何かもこみ上げてくる。


「俺はこの学園でもっと青春したかったんだ……強くなりたかったんだ! ラルゴ達といっぱい喧嘩したかった! もっとリィナと思い出を作りたかった!!」


 心の底から、肉体の根源から、理不尽への拒絶反応が強まるのに比例して、今までにない魔力が湧き上がってきた。

 確かに今は勝てない。無力だ。一方的に蹂躙されるだけの虫ケラだ。この復讐心を果たすことはできない。皆の――リィナの仇をとることはできない。


「こんな理不尽、俺は認めない……! こんなの許さない!!」


 でも、今じゃない、いつかならと心が叫ぶ。

 身体が迸る魔力で淡く金色の光に包まれ、瞳が赫く染まる。


「えっ、な、なに……」


 彼の見た目の変異に、ミーシャさんは動揺していた。


「いずれ、この俺が――――」


 ヴァルカは明確に自覚があったわけではない。朧げだ。


「このヴァルカ・グランがッ!!」


 しかし本能で、今なら〝できる〟と確信していた。


「この理不尽を――――」


 ヴァルカは〈インフィルトレーター〉だけでなく、周囲の多くの魔獣達をできるだけ視界に収め、焼き付けた。


「叩き返してやるッ!!」


この光景を、いずれ理不尽を叩き返すやつらを忘れぬように。


「……首、洗って待ってろ」


 そう睨みつけて、最悪に格好悪い捨て台詞。

 瞬間、ヴァルカと彼に触れていたミーシャさんが、突如として大きな魔力の金色の光を放つとともに、その場から〝消失〟した。



 ――――〈シフト〉。



 まるで跡形もなく最初から存在しなかったかのように。そこには無が残るのだった。

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