原始象徴形成期

■ 概要


「原始象徴形成期」は、旧石器時代から紀元前三千年頃にかけて、人類が初めて色彩を自然現象としてではなく、生命と超自然のしるしとして体験した時代である。


洞窟壁画に残された赤土の痕跡、木炭の黒、焼けた骨の白などは、単なる素材ではなく、世界を表すための原初的記号であった。色は視覚的効果を超え、生命の流転、死と再生、自然との共感的交流を媒介する「聖なる痕跡」として用いられた。


この時代を理解することは、のちの文明的象徴体系の成立を考えるうえで不可欠であり、色彩が「自然の中に宿る力」から「人間の手で扱われる意味」へと変化する起点をなしている。



■ 1. 自然観 ― 色と生命の共鳴


原始社会において、色は自然の表面に宿る現象ではなく、生命の鼓動そのものであった。血の赤、大地の褐色、夜の黒、火の橙。これらは人間の生存を支える要素であり、同時に畏敬すべき霊的存在を体現していた。


たとえば洞窟壁画の動物像は、獲物の姿を描くと同時に「命の再現」を意図していたとされる。そこでは色が生き物の「霊気(アニマ)」を呼び戻す媒介であり、世界を再構成する行為であった。


この段階における自然観は、自然と人間の区別を前提としない「共在的宇宙観」である。色は自然と人の境界を示すのではなく、むしろ両者をつなぐ触媒として機能した。したがって原始象徴形成期の色彩は、観察の対象ではなく、世界との交信の手段であったといえる。



■ 2. 象徴性 ― 血と大地の記号化


この時代の象徴的色彩体系は、血・火・大地という三要素に収斂する。赤は生命と再生、黒は死と冥界、白は骨や光を通じた浄化の力を表した。これらの色は、物質的感覚を超えて「世界を構成する力の分布」を示す象徴体系を形づくっていた。


特に赤土(オーカー)は、死者の遺体や墓の装飾に用いられ、「再び生まれる血の土」として聖化された。赤はすでにこの時点で、生命と死、自然と超自然を結ぶ両義的な意味を帯びていたのである。


ここで重要なのは、色が「意味を担う」以前に、「行為を導く」ものであった点である。祈り、狩猟、埋葬、繁殖といった儀礼的実践の中で、色は世界の秩序を再現する装置であり、視覚的象徴というよりも「行為としての象徴」であった。この実践的象徴性こそ、のちの文明社会における象徴体系の萌芽をなす。



■ 3. 技術水準 ― 顔料の発見と描画の始動


原始象徴形成期の技術的水準は、顔料採取と簡易的な塗布・描画技術に支えられていた。赤土、木炭、白灰、動物脂などの混合物を用い、壁面や身体に色を塗る行為が一般化していた。これらの技術は単なる手仕事ではなく、「自然物を変質させる操作」として重要である。


すなわち、色を作り出す行為そのものが「自然の力を人為的に転換する経験」となった。

火による焼成や磨砕によって素材の色を変化させる過程は、のちの染色・陶芸・冶金などの技術的基盤となる。色を抽出し、保存し、再現するという知の萌芽が、すでにこの段階に芽生えていたのである。


したがってこの期における技術水準は、科学的体系には程遠いが、「変化を操作する感覚的技術」として人類の物質文化に深い基礎を築いた。

色を作り出すことは、世界を操作しうるという無意識的認識の始まりでもあった。



■ 4. 社会制度 ― 儀礼と共同体の秩序


原始象徴形成期における色の制度的側面は、まだ明確な社会的階層や法的規範を伴わないが、それでも共同体の秩序を形成する重要な媒介として機能していた。


狩猟儀礼、通過儀礼、葬送儀礼などにおいて、身体や道具に施された色彩は、共同体の成員を区別し、時間と空間を聖化する役割を果たした。


身体への塗彩(ボディペイント)は、個人を自然的存在から儀礼的存在へと変える変身の儀であり、社会的アイデンティティの原型を示していた。


また、洞窟壁画の制作や赤土の散布といった行為は、共同体が自然と交わり、死と再生を反復的に確認する社会的実践であった。


この段階での「制度」は文字や国家のような体系的構造ではなく、「儀礼の繰り返し」という時間的構造に基づいていた。色はその制度化された反復の印(しるし)であり、共同体の記憶を視覚化する役割を担ったといえる。


したがって、原始象徴形成期の色は、後の服色令や宗教美術へと連なる「制度的色彩秩序」の未分化な起源をなしている。



■ 5. 価値観 ― 生命と循環の美学


この時代の価値観において、色は美的対象というより「世界の循環を体現する力」として理解されていた。赤は血と太陽の熱、黒は夜と土の深み、白は骨と光の残滓を象徴し、それぞれが生命の位相を表していた。


つまり色は「生と死」「自然と霊」「物質と精神」を貫く原理を示す媒体であり、人間の生存感覚そのものに結びついていた。


この段階における「美」は調和や比例の理念ではなく、生命の強度を感じ取る感性的経験である。


洞窟の闇に描かれた赤い線や黒い点は、恐れと祈りを同時に呼び起こす。美とは秩序の確認ではなく、未知への接触であった。


色の価値とは、物質的希少性ではなく「霊的実在へのアクセス」を可能にする力であり、これが後の宗教的象徴や芸術的感性へと連続していく。


このように、原始象徴形成期の価値観は、色を「生の延長」として体験する存在論的美学を形成していたといえる。



■ 締め


この時代における色は、まだ芸術でも科学でもなく、「生きられる意味」としての色であった。

それは後の時代に展開する宗教的象徴、工芸的技術、社会的制度、美的理念のすべてを内包する萌芽であり、色彩文化史における最初の根源的契機と位置づけられる。


したがって、原始象徴形成期とは、人間が初めて「世界を色で感じ取る存在」へと変化した時代であり、色彩が文化となるための最初の一歩を示す歴史的地平なのである。

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