第2話
陸奥宗光の意識が、若き日の肉体に戻った瞬間、歴史の歯車は再び狂い始めた。彼は、単なる海援隊の使い走りだった青年宗光ではなく、後の「カミソリ大臣」の冷徹な知略を宿した存在となった。
「先生、すぐに参ります。ただ、私には、急いで**張らねばならぬ『糸』**ができましたので」
陸奥は龍馬にそう告げると、足早に部屋を後にした。彼の目的地は、この土佐立志社の一員として政府転覆を謀る同志たちが集まる、秘密の会合場所だった。
(あの謀議は、私と同志を破滅させる**『毒の餌』**だ。薩長土肥の藩閥政治は、この焦りを利用して、邪魔者を一掃するつもりだった。だが、今度は違う)
陸奥の脳裏には、未来の知識が溢れていた。彼は、まず、この謀議を未然に防ぎ、同時に政府の要人、特に大久保利通らの信頼を勝ち取るための**『情報』**という糸を張り巡らせる必要があった。
彼が向かった会合場所は、京都の寂れた寺の一室。そこには、土佐出身の士族たちが集まり、打倒薩長政権の血気盛んな議論を交わしていた。
「宗光、遅いぞ! 我らの血を以て、この腐った藩閥政治を正すのだ!」
同志たちが、目を血走らせて陸奥を迎える。
陸奥は、部屋の中を見渡した。そして、一人の男に視線を合わせた。その男は、他の士族たちとは一線を画す、圧倒的な風格と、整いすぎた容貌を持っていた。
その顔は、まるで現代の国民的時代劇スター、杉良太郎似の、怜悧で端正な美しさ。しかし、その眼光は鋭く、底知れぬ野心を宿していた。名は
(佐川……こいつこそ、政府側の『 A 』だった男だ。我々を裏切り、情報を流して、自分の地位を築いた。歴史では、こいつの裏切りが、我々全員の破滅に繋がった)
陸奥は微笑んだ。その笑みは、佐川の持つ美貌に匹敵するほどの、底知れぬ魅力を放っていた。
「同志の皆さん。そして、佐川殿。血気盛んな志は理解できますが、我々が今動けば、それは**『蜘蛛の巣』**に飛び込む蛾と同じ。待っているのは、無残な死だけです」
陸奥は静かに話し始めた。その声には、二十代の青年とは思えない、外交官特有の、人を惹きつける説得力があった。
「我らの目標は、血を流すことではない。腐敗した藩閥政治を、内部から変革することです。そのためには、まず情報で、奴らを追い詰める必要がある」
陸奥は、未来の知識から得た、薩長政権内部の汚職と、大久保利通の秘密の財産に関する情報を、さも自らが掴んだかのように語り始めた。
同志たちは驚き、佐川の顔にも一瞬、動揺の色が走った。佐川は、陸奥の持つ情報が、自分が政府側に流そうとしていた「レベル」を遥かに超えていることに気づいたのだ。
「宗光。お前、一体どこでそんな情報を……。まるで、政府の中枢に**『蜘蛛の糸』**を張り巡らせたような話ではないか」
佐川が、警戒心をあらわにして尋ねる。
陸奥は、佐川を真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし冷徹に言い放った。
「佐川殿。情報戦において、最も恐ろしいのは、**『味方の顔をした敵』**です。そして、その敵が、最も大きな成果を上げる機会を、私は潰したい」
それは、佐川への明確な警告だった。**(お前の裏切りは、未来の私が全て知っている)**と。
佐川は、その杉良太郎似の美しい顔を、極度の緊張で引きつらせた。彼の持つ策謀や野心は、未来から来た「カミソリ」宗光の知略の前では、まるで子供の遊びのように見えた。
陸奥は、この謀議を政府への「情報提供」という形で利用し、**『内通者』**として政府内部への足がかりを築くという、より巧妙な策を立てていた。
「同志たちよ。私は、この情報を持ち、大久保公に直接会います。我々は、武力ではなく、知略でこの国を動かすのです」
陸奥は、過去の失敗という「毒」を、未来の知識という「薬」に変え、再び歴史の舞台に上がることを決意した。そして、彼は、自分の命を狙う**『蜘蛛の巣』**を知り尽くした、唯一無二の存在となったのだ。
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