第13話 封鎖区の影

翌朝。

 感染症研究所・第3観測室。

 白石ユリは眠気を押し殺しながら、

 昨夜の給気塔Cの映像データを再生していた。


 モニターに映るのは、灰の嵐。

 その中心に立つ黒い外套の男。

 塔の爆発寸前、彼が何かの動作をした直後、光が消える。

 そして灰の流れが止まる。


 ――一瞬の出来事だった。


「やっぱり、彼が止めた……」


 ユリは映像を止めて拡大する。

 手の動き。指先の軌跡。

 何かを描くような仕草。

 だが、映像解析では“動作認識不可”と表示された。


 隣でモニターを見ていた助手が首をかしげる。

「博士、この部分だけ映像が飛んでます。

 解析プログラムのログも欠損していて……」


「欠損?」

「はい。システム的には撮れてるのに、内部データが空白です」


 ユリは眉をひそめた。

 意図的に消されている。

 この研究所の記録システムは軍用レベルの暗号化。

 外部から改ざんするのは不可能に近い。


「……誰かが内部で、編集した?」


 助手が不安げに画面を見る。

「博士、これ……報告しますか?」


 ユリは少し考えた。

 昨日の現場で、男――加賀美が言っていた言葉が頭をよぎる。


> 「見なかったことにしておけ。お前たちには危険すぎる」




 その声が、脳裏に残っていた。


「報告は……保留。

 代わりに、この元データを私の端末にバックアップしておいて。

 他言無用で」


「了解です」


 助手が離れるのを待ち、

 ユリはもう一度、映像をスローで再生した。


 塔の基部。

 灰の爆発寸前、男の手元で“光”が走る。

 ただの電気火花ではない。

 空気の流れごと変わっていた。


「……風が、止まった?」


 ユリは手帳に書き込む。

 風向き、温度、灰濃度。

 そのすべてが、“彼の動きの直後”に変化していた。


「まるで……制御してるみたい」


 呟いた声が、静かな室内に響いた。



 昼過ぎ。

 上層階の会議室では、研究所の幹部会議が開かれていた。

 ユリも報告者として招かれる。


「白石博士、昨日のC塔事故についての見解を」


「はい。原因は給気塔内部の制御装置の暴走による圧力上昇。

 ただし、装置の構造は既存資料と一致しません。

 現場で異常な金属板を確認しましたが、詳細は未解析です」


 幹部の一人がメモを見ながら口を開く。

「それ以上の言及は不要です。

 装置に関しては技術局が調査を引き継ぎます」


「え……でも、灰の生成過程や――」

「白石博士。あなたの専門は医療と感染症学です。

 設備や装置のことは我々に任せてください」


 口調は穏やかだったが、拒絶の色が濃い。

 ユリはそれ以上言えず、黙って頭を下げた。


 会議が終わり、廊下に出る。

 壁際の窓から、北ブロックの塔が見える。

 昨日の塔――C塔。

 修理班が作業しているが、すでに新しい金属板が取り付けられていた。


「早い……もう交換されてるの?」


 研究所の技術部でもないのに、

 誰が手配しているのか。


 足音が近づく。

 ユリが振り向くと、情報処理班の同僚が小声で言った。


「白石博士、気をつけてください。

 昨日のデータ、なかったことにされています」


「……どういう意味?」


「報告書に“現場映像なし・原因不明”と書き換えられてました。

 システムログにも、あなたのアクセス記録ごと消えてます」


 背筋が冷たくなる。


「誰が……?」


「さあ。でも、上が動いてるのは確かです」


 同僚はそれだけ言って去った。



 夜。

 ユリは研究所の屋上で風に当たっていた。

 街は静かで、封鎖区の明かりだけが遠くに見える。

 その空の向こうに――黒い外套の男の姿を思い出す。


「あの人……絶対に、ただの作業員じゃない」


 手帳を開く。

 メモの端には、自分でも無意識に書いた単語があった。


> 『導媒板(どうばいばん)?』




 意味はわからない。

 だが、昨日の男が確かにそう口にした。


 科学では説明できない現象。

 そして、上層部が隠す何か。


 その両方の中心に、

 あの男――加賀美がいる。


「……もう一度、会わなきゃ」


 夜風が吹き、ページが一枚めくれた。

 そこには、

 彼女が手書きで記した塔の座標が、赤く印を付けられていた。



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